ニプロアンプル用生地管の独占販売権を用いた輸入品排除と、公正取引委員会の排除勧告

輸入に踏み切った取引先へ値上げと供給停止で応じたことは、何を守り、何を失ったのか

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時期 2000年2月
意思決定者(推定) 佐野實 社長
論点 独占販売権の行使と競争法遵守
概要
ニプロが日本電気硝子製アンプル用生地管の西日本地区独占販売権を背景に、韓国からの輸入に踏み切ったアンプル製造業者ナイガイに対し、値上げの通告と実質的な供給停止で応じた行為。1999年6月に公正取引委員会が立入検査に入り、2000年2月に排除勧告が出された。2006年6月5日の審判審決で独占禁止法第3条違反が認定されている。
背景
アンプルの原料である生地管は業界ぐるみで日本電気硝子1社に依存する構造にあり、ニプロは同社製生地管の西日本地区独占販売権を持っていた。ニプロ自身、1950年のびわこ電球製作所時代から日本電気硝子と取引を重ね、1954年には西日本総代理店となったことを機に創業している。
内容
輸入をやめるか数量を絞るよう求めたうえ、翌年にはナイガイに対してのみ2割の値上げを通告した。ナイガイが従来価格で支払いを続け大阪地裁に債務不存在確認訴訟を起こすと、担保の差し入れか現金取引かの二者択一を迫り、拒まれると生地管の供給を全面的に止めた。
含意
2012年12月21日、東京高裁はナイガイと内外硝子工業に対し計1億33百万円の支払いを命じ、2014年10月に最高裁の上告不受理で確定した。請求額20億32百万円に対する認容額は約7%にとどまったが、独占禁止法第25条に基づく損害賠償が認められた事例となった。
筆者の見解

川上を握るということ

この事件を、独占的地位に驕った企業の逸脱と読むだけでは足りない。ニプロにとって生地管は、1950年に日本電気硝子と取引を始め、1954年に西日本総代理店となったところから続く事業の入口であった。狭い市場で川上を押さえ、加工機械を売って材料を買ってもらう——佐野實社長が商品より先に技術を売ると語った商法は、供給を握ることと表裏にある。輸入という別の入口が開けば、その商法の前提そのものが崩れる。ナイガイへの申し渡しは、事業の型を守ろうとした行為だったとみることができる。

もっとも、守ろうとしたものの大きさに比べて、失ったものは小さくなかった。認容額1億33百万円は連結売上高2,000億円規模の会社にとって軽い金額だが、公正取引委員会に排除型私的独占を認定され、その記録が20年近く有価証券報告書のリスク項目に残った。かつて自社の加工機械で300軒を15社に絞った会社が、今度は価格と供給の操作で1社を締め上げている。同じ市場支配でも、技術で競争相手を減らすことと、供給を止めて選択肢を塞ぐことの間には、法が引いた線がある。その線の位置を、この事件は当事者に教える形になったといえる。

Yutaka Sugiura, 2026年7月

背景

生地管という細い川の上流

アンプルの原料となる硝子管は、生地管と呼ばれる。日本の製薬向けアンプル市場でこの生地管は、業界ぐるみで日本電気硝子1社に依存する構造にあった。ニプロはその日本電気硝子製生地管について、西日本地区の独占販売権を持っている。両社の関係は古く、創業者の佐野實氏が1950年にびわこ電球製作所を営んだ時期に取引が始まり、1954年に西日本総代理店となったのを機に前身の日本硝子商事が設立された。ニプロにとって生地管は、事業の出発点そのものであった[1][2]

市場そのものは大きくない。ニプロがかつて自社の加工機械でアンプル業界の構造を変えたときも、大阪に300軒ほどいた加工業者は15社まで減っている。狭い市場で川上を握る側と、そこから買うほかない中堅業者という関係が、この事件の土台にあった。ナイガイの村津敬介社長は総合商社と外資系銀行を経て家業を継いだ人物で、原料を1社に頼る構造を危ぶみ、韓国からの輸入に踏み切った。供給源を増やすという、それ自体は珍しくない判断であった[3][4]

決断

値上げと供給停止

ニプロが採った対応は、段階を踏んで重くなった。まず輸入をやめるか数量を絞るよう求め、応じない場合の含みを示している。村津社長によれば、輸入をやめれば差額は補填する、それが駄目なら輸入数量を絞れ、それもできないなら覚悟がある、という三段の申し渡しであった。ニプロ側はのちの公正取引委員会の審判で、輸入方針は正論だと発言したと主張している。翌年、ニプロはナイガイに対してのみ2割の値上げを通告した。公定価格へ引き上げ、特別値引きを全廃する内容であった[5][6]

ナイガイは従来価格のまま支払手形を切り続け、同時に大阪地裁へ債務不存在の確認を求める訴訟を起こした。これに対しニプロが出したのが、実質的な受注拒否であった。輸入品だけでは製薬会社の要求する数量と品質に応えられないナイガイが発注量を増やそうとすると、担保を差し入れるか現金取引に切り替えるかの二者択一を迫っている。ナイガイが新たな取引条件を拒むと、生地管の供給は全面的に止まった。原料の入口を握る側が、その入口を閉じた形であった[7][8]

司法と当局が動くまで

決着は司法と競争当局の側から来た。1999年3月、大阪地裁は債務不存在の確認訴訟でナイガイ勝訴の判決を下している。同年6月には公正取引委員会がニプロへの立入検査に踏み切り、翌2000年2月、排除勧告を出した。ここでニプロの行為は止んでいる。最初の違法行為からこの時点まで5年が経っていた。担保か現金かの取引条件をニプロが迫ったのは大阪地裁判決の直前であり、判決後もその条件は改められなかった[9]

勧告に強制力はなく、争いはさらに続いた。公正取引委員会がニプロによるアンプル生地管に係る私的独占事件について審判審決を出したのは、2006年6月5日である。独占禁止法第3条に違反する行為があった旨を明らかにする内容であった。勧告から審決まで6年を超えており、この間ナイガイの売上はピーク時の15億円から9億円へ落ちている。審決は違法行為がすでになくなっているとして、格別の措置を命じてはいない[10][11]

結果

損害賠償訴訟という後始末

審決の確定後、争いは民事へ移った。2007年12月7日、株式会社ナイガイおよび内外硝子工業株式会社は、独占禁止法第25条に基づく損害賠償請求訴訟を東京高等裁判所へ提起している。請求金額は20億32百万円であった。2012年12月21日、東京高裁はニプロに対し、ナイガイへ50百万円、内外硝子工業へ83百万円の計1億33百万円と、支払済みまで年5分の割合による金員を支払うよう命じる判決を言い渡した。認容額は請求額の約7%にとどまっている[12][13]

原告側はこれを不服とした。2013年1月7日、原判決のうち敗訴部分の破棄と、認容額のほか13億52百万円および年5分の金利相当額の支払いを求めて上告受理を申し立てている。ニプロは有価証券報告書の事業等のリスクに訴訟の項目を設け、結果によっては経営成績や財政状態に重要な影響を及ぼす可能性があると記載し続けた。決着がついたのは2014年10月15日、最高裁判所の上告不受理決定によってであった。行為から数えて20年近くを要している[14][15]

出典・参考

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