ブリヂストン ファイアストンで自主回収 米国での欠陥タイヤ問題と、大規模なリコールへの踏み切り
更新:
何をなぜ決めたか
- 概要
-
2000年、ブリヂストンの米国子会社ブリヂストン・ファイアストンで、フォードのSUV"エクスプローラー"に装着したタイヤの表面剥離による死傷事故が社会問題となり、大規模な自主回収に発展した。海崎洋一郎社長は主要役員を米国へ送って再建に当たらせたが、対応の遅れの責任を残し2001年に退任した経営判断。
- 背景
-
1988年に買収したファイアストンの経営を現地主義で米国側に委ねた結果、死亡事故や訴訟という重要なリスク情報が親会社ブリヂストンのトップに届かず、危機の初動が遅れた。
- 内容
-
自主回収に踏み切り、生産・品質・法務の主要役員を大挙して米国へ投入。米国子会社の経営陣を刷新し、リスク情報が本社へ上がる経路を作り直す一方、フォードには 『タイヤだけが原因ではない』 と断固反論した。
- 含意
-
回収関連損失は2期で1617億円に上り、フォードとの100年近い取引も終わった。資本で握った子会社の現場リスクをどう本社が掌握するか、大型買収の統合という課題を突きつけた。
いつ何が起きたか 6件
筆者の見解
買収した会社を、どこまで自社の管理に組み込むか
この判断の核心は、製品事故そのものよりも、海外子会社に委ねた権限とリスク情報が経営のトップに届かなかったという、連結ガバナンスの欠落にあった。ブリヂストンは日本企業のグローバル化の成功例とされてきたが、資本で子会社を統べることと、その現場に潜むリスクを本社が握ることは別の課題だった。買収から12年、現地主義の裏側に積もった情報の断絶が、危機の初動を鈍らせた。
海崎洋一郎社長は自主回収と役員派遣で事態の収拾に剛腕を振るいながら、みずからは引責を否定して退いた。フォードへの強硬な反論は疑惑の払拭に必要でもあり、同時に長年の顧客を失う代償も伴った。買った会社をどこまで自社の管理に組み込むか——ファイアストンの欠陥タイヤ問題は、大型買収の成否が統合の深さで決まることを、痛みとともに示した事例として残る。
Yutaka Sugiura, 2026年7月
業績の推移
同じ問いに直面した会社
同じ問いに直面した会社
参考文献
- 日経ビジネス 2000年9月4日号
- 日経ビジネス 2000年10月2日号
- 日経ビジネス 2000年10月16日号
- 日経ビジネス 2001年1月22日号
- 日経ビジネス 2004年1月26日号(渡邉惠夫ブリヂストン社長・編集長インタビュー)
- ブリヂストン 有価証券報告書(連結)
- ブリヂストン「ブリヂストン物語」第10章第1節(ブリヂストン公式サイト)