決断
何十年も使う計器から、一度で捨てる消耗品へ主力を移した。1963年1月に発売したプラスチック製ディスポーザブル注射筒は、ガラス製の注射筒を煮沸して再利用する病院の慣行と正面からぶつかったが、再利用にともなう肝炎の感染リスクという一点で受け入れられた。1964年に富士宮工場、1970年に愛鷹工場を建設して量産を広げ、1971年にはベルギーと米国へ現地法人を設立した。社名を実態に合わせたのは1974年10月で、主力が検温器から離れて11年が経っている。1992年3月期に連結で赤字を計上したのち、1995年6月に富士銀行から転じた和地孝氏が社長に就任し、縦割りへ横ぐしを刺すTBUを導入する。事業の中身より先に社員の動き方を変えたことが、1999年から始まる海外買収を実行できる状態を作った。
2021年4月 CSL Plasmaとの原料血漿採取の協業
CSL Plasmaとの原料血漿採取の協業成分採血システムの技術を原料血漿の採取へ広げるにあたり、多くの血漿事業者へ順に売り込む道を採らず、CSL Plasma 1社の米国の採取センター網へRikaを一斉に入れる契約を選び、レイクウッドに専用の生産設備を積み上げた同じ経営論点に直面した企業 | 新規事業・多角化血液・細胞テクノロジーカンパニーの売上収益と調整後営業利益率2021 2022 2026 売上収益(億円) 1,095 1,206 2,310 調整後営業利益率(%) 17.4 17.3 14.6 1995年6月 TBU導入と企業風土改革
業績の推移1994 1995 2000 売上高(億円) 1,113 1,149 1,712 経常利益率(%) 4.9 9.3 15.5 1921年9月 赤線検温器として設立