朝日インテック極細ステンレスワイヤー販売から医療カテーテル製造業への転換と、国内初のPCIガイドワイヤーの製品化

時期 1992年3月
意思決定者(推定) 宮田尚彦 社長
論点 業態転換と極細ワイヤー技術の医療への転用
概要
産業用の極細ステンレスワイヤーロープを扱う商社として1976年に出発した朝日インテックは、1990年代の前半に医療機器の製造へ業態を転じた。1991年に瀬戸メディカル工場を新設してメディカル開発部門を構え、1992年3月に医療用具製造業の許可を取得、国内で初めて心筋梗塞治療用のPTCAガイドワイヤーとガイディングカテーテルを製品化した。創業者・宮田尚彦氏の主導による構造転換である。
背景
産業用ワイヤーロープの細物に特化した素材販社として蓄えた伸線・ワイヤーフォーミング・トルク・コーティングの技術は、OA機器や自動車の動力伝達に使われてきた。1988年の商号変更で販売から製造へ踏み込んだ同社は、既存の取引先と競合せず、この極細ワイヤーの技術を生かせる新しい分野を探していた。
内容
詰まった冠動脈へ通す極細のガイドワイヤーは、産業用に磨いた極細ステンレスワイヤーの技術をほぼそのまま応用できる領域であった。1991年10月に愛知県瀬戸市へ瀬戸メディカル工場を新設し、1992年3月に厚生省から医療用具製造業の許可を受けて、国内初のPTCAガイドワイヤーとガイディングカテーテルを製品化した。医師の要望に応えて自ら試作を繰り返す一貫生産の体制で、許認可と臨床を要する参入の壁を越えた。
含意
1994年に香港へ営業拠点、1996年にメディカル製品の製造販売会社アテックを設けて、ワイヤーロープの販社は1990年代の前半までに医療カテーテルの製造業へと骨格を組み替えた。連結売上高は2025年6月期に1,200億円へ達し、その約9割を医療事業が占める。
筆者の見解

転用先を、競合しない場所に見つけたこと

この転換を、商社が製造業へ脱皮した成功譚として読むと、肝心のところを取り逃がす。朝日インテックが選んだのは、既存の取引先と正面から競合せず、伸線・トルク・コーティングという自社の極細ワイヤー技術がそのまま生きる場所であった。詰まった冠動脈へ通すガイドワイヤーは、産業用ロープの延長線上にありながら、国内では誰も手をつけていない領域であった。技術の転用先を、競争の薄い医療へ定めたところに、1992年の国内初の製品化を可能にした判断の芯があったとみられる。

もっとも、転換が実を結ぶまでには長い時間がかかった。医療機器は製造の許認可と臨床の積み重ねを要し、連結業績が最初に開示された2002年6月期でも売上は52億円にとどまっていた。売上の9割を医療が占め、心血管デバイスの専業メーカーとして数えられるようになるのは、さらに二十年余りを経た後である。素材メーカーの業態転換は、技術が移せるかどうかだけでは決まらない。移した先で許認可と信用を積み上げる年月に耐えられるかどうかに、成否がかかっていたといえる。

Yutaka Sugiura, 2026年7月

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出典・参考
  • 朝日インテック 有価証券報告書【沿革】
  • 朝日インテック 沿革(公式サイト) https://www.asahi-intecc.co.jp/about/history
  • 中部経済新聞 連載(2019年)
  • 朝日インテック 有価証券報告書(2002年6月期・2025年6月期・連結)

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