第一次大戦による輸入の途絶という外部の事態が、検温器の国産化を一事業者の商機を越えた医療・公衆衛生上の課題へ押し上げ、医学的な正統性と資本・流通が別々の担い手から供給された。個人の才覚よりも、立場の異なる者が課題を共有して集まった枠組みに、この創業の特徴があると思われる。
もう一つ見えてくるのは、検温器という単一品目の国産化を掲げた創業の趣旨が、その後の半世紀にわたり社名として保たれた重みである。事業の実態が消耗品全般へ移ったのちも、赤線検温器という呼び名が1974年まで残された経緯には、創業時に据えた使命が長く社の自己認識を規定していたことが読み取れる。輸入代替という時代の要請から出発した会社が、その出自を名として長く抱えていたといえる。