テルモのこの十年は、事業の中身を入れ替える前に、まず社員の動き方を変えた点に特徴があるだろう。TBUという煩雑な仕組みは、効率だけを見れば欠点の多い設計だが、二人の上司のあいだで自ら判断する経験を社員に強いる装置でもあった。答えを与えず考えさせるという和地氏のやり方は、短期には混乱を招いても、指示待ちの体質を内側から溶かす作用を持っていたとみられる。組織図の巧拙よりも、そこで人がどう動くかに賭けた改革であったといえる。
一方で、風土改革の成果を業績の数字だけで測るのは難しい。売上高や純利益の伸びには、カテーテルなど市場そのものの成長や、後の海外買収の寄与も混じっている。TBUがどこまで直接の要因であったかを切り分けることはできない。ただ、基盤ビジネスで稼ぎながら先端へ投じるという和地氏の収益設計は、その後のテルモが買収を重ねて治療領域を広げていく時期の土台になったと推察される。風土改革が事業構造の転換にどう接続したのかは、なお通史のなかで見届ける価値がある論点である。