1947年〜 電球の再生から硝子加工の機械化へ、技術を売る商社の型
- 1954年京都市下京区に日本硝子商事株式会社を設立し、アンプル用硝子管・錠剤瓶用硝子管の販売を開始
- 1959年本店を大阪市大淀区(現 北区)に移転
- 1960年滋賀県大津市に大津工場を設置し、管瓶・小型電球用バルブ等の生産を開始
- 1963年魔法瓶用中瓶加工の自動機械を開発し魔法瓶用硝子の販売を開始
- 1965年製薬会社向けに医療機器(輸液セット)の販売を手掛ける
- 1969年株式会社富沢製作所(現 ニプロ医工株式会社)を子会社とし医療機器の生産を開始
- 1972年株式会社ニプロに医療機器の国内販売を担当させる
ニプロの業績推移:単体
出所:有価証券報告書等
電球を焼き直す仕事から硝子加工の技術を得るまで
ニプロの出発点は硝子の販売ではなく、電球の再生にあった。創業者の佐野實氏は1947年、21歳で滋賀県大津市に電球再生の仕事を興し、琵琶湖天然瓦斯の協力を得て操業した。1950年には同じ大津市でびわこ電球製作所を営み、この時期に日本電気硝子との取引が始まっている。硝子加工の技術は当時、欧米が先行しており、日本には電球や真空管の製造工程を通じて伝わった。佐野氏はその工程から技術を身につけ、手作業が当たり前だった硝子加工を機械の側へ移した。のちに佐野氏は「当社は電球の製造によって、ガラスの加工技術を身につけることができた」と講演で振り返っている。 [1][2][3][4]
- [1]1947年に佐野實が滋賀県大津市で電球再生事業を興した
- [3]1950年にびわこ電球製作所を経営し、日本電気硝子との取引が始まった
- ニプロ 有価証券報告書 第58期(2011年3月期)【役員の状況】
- [2]佐野實の生年月日は1926年6月10日で、1947年時点の年齢は21歳
- 証券アナリストジャーナル 1987年3月号「ニッショー」
- [4]硝子加工技術は電球・真空管の製造工程を通じて日本に伝わったとの佐野實の説明
1954年7月、日本電気硝子の西日本総代理店になったのを機に、佐野氏は京都市下京区に日本硝子商事を設立し、アンプル用硝子管と錠剤瓶用硝子管の販売を始めた。有価証券報告書が創業年とするのはこの年にあたる。前身の電球事業で得た機械化の知見はただちに製品へ移された。同じ1954年、アンプル管の製造を機械化している。当時の大阪には300軒ほどのアンプル加工業者がいたが、この加工機械の普及によって15社まで減った。硝子管を売る商いを始めた会社が、売り先の業界構造そのものを塗り替えたことになる。1959年11月に本店を大阪市大淀区へ移し、1960年3月には滋賀県大津市に大津工場を設けて管瓶や小型電球用バルブの生産に入った。 [5][6][7]
- ニプロ 有価証券報告書 第73期(2026年3月期)【沿革】
- [5]1954年7月に京都市下京区で日本硝子商事を設立しアンプル用硝子管・錠剤瓶用硝子管の販売を開始
- [7]1959年11月に本店を大阪市大淀区へ移転、1960年3月に大津工場を設置
- 証券アナリストジャーナル 1987年3月号「ニッショー」
- [6]大阪に300軒ほどいたアンプル加工業者が加工機械の普及で15社に減った
- [1]1947年に佐野實が滋賀県大津市で電球再生事業を興した
- [3]1950年にびわこ電球製作所を経営し、日本電気硝子との取引が始まった
- ニプロ 有価証券報告書 第58期(2011年3月期)【役員の状況】
- [2]佐野實の生年月日は1926年6月10日で、1947年時点の年齢は21歳
- 証券アナリストジャーナル 1987年3月号「ニッショー」
- [4]硝子加工技術は電球・真空管の製造工程を通じて日本に伝わったとの佐野實の説明
- [6]大阪に300軒ほどいたアンプル加工業者が加工機械の普及で15社に減った
- ニプロ 有価証券報告書 第73期(2026年3月期)【沿革】
- [5]1954年7月に京都市下京区で日本硝子商事を設立しアンプル用硝子管・錠剤瓶用硝子管の販売を開始
- [7]1959年11月に本店を大阪市大淀区へ移転、1960年3月に大津工場を設置
商社でありながら機械を作る、独特の業態が生まれた事情
1963年9月、魔法瓶用中瓶を加工する自動機械を開発し、魔法瓶用硝子の販売を始めた。魔法瓶の中瓶製造機械はすべて自社製となり、大阪地区に2台しかない最新機で全需要を賄うほどの生産性を実現している。原料を入れる者と製品を取り出す者、2人いれば動く機械だった。世界の主要企業から引き合いが来たが、魔法瓶は大阪の地場産業であり、この機械を輸出すれば地元の産業を痛めるとして、佐野氏は輸出を断り続けた。目先の売上より取引先の産業基盤を優先した判断にあたる。1987年の講演でも、この方針を守り続けていると語っている。 [8][9][10]
- ニプロ 有価証券報告書 第73期(2026年3月期)【沿革】
- [8]1963年9月に魔法瓶用中瓶加工の自動機械を開発し魔法瓶用硝子の販売を開始
- 証券アナリストジャーナル 1987年3月号「ニッショー」
- [9]最新の魔法瓶中瓶製造機械は大阪地区に2台しかなく全需要を賄い、必要人員は投入と取出の2人
- [10]魔法瓶製造機械の輸出は大阪の地場産業を損なうとして拒んだ
この会社の業態は、単純な商社にも製造業にも収まらない。佐野氏自身が「本質的には商社であるが、やることは工業的であり、技術的である」と述べ、経営の根幹を「商品を売るよりも、まず技術を売ること」に置いていた。取引先が必要とする生産機械を自社で開発し、その機械が使う材料を買ってもらう。硝子管そのものの利幅ではなく、加工工程を握ることで取引を続ける構えである。アンプル管の自動機を納めた先は製薬会社であり、その製薬会社がのちに医療機器の顧客になる。取引の相手を替えずに扱う品目を替える動き方だった。この型が、のちに医療機器へ移るときの足場になった。 [11]
- 証券アナリストジャーナル 1987年3月号「ニッショー」
- [11]佐野實が自社を「本質的には商社であるが、やることは工業的であり、技術的である」と説明した
- ニプロ 有価証券報告書 第73期(2026年3月期)【沿革】
- [8]1963年9月に魔法瓶用中瓶加工の自動機械を開発し魔法瓶用硝子の販売を開始
- 証券アナリストジャーナル 1987年3月号「ニッショー」
- [9]最新の魔法瓶中瓶製造機械は大阪地区に2台しかなく全需要を賄い、必要人員は投入と取出の2人
- [10]魔法瓶製造機械の輸出は大阪の地場産業を損なうとして拒んだ
- [11]佐野實が自社を「本質的には商社であるが、やることは工業的であり、技術的である」と説明した
硝子から遠い二つの川、スーパーマーケットと医療機器
1963年11月、大阪府豊中市服部に食料品中心のニッショーストア服部店を開き、スーパーマーケット業界に入った。硝子商が食品小売に出るのは唐突に映るが、佐野氏の説明は一貫している。新規参入にあたっては、その業界の発展に寄与できるかを検討したうえで決める。スーパーについては生鮮三品の鮮度落ちを防ぎ、鮮度を上げることに技術で貢献できると考えた。安く買い叩いて安く売るのが当時の常識だったなかで、正当な値段で少し等級の高い品を仕入れさせ、品質で差をつける方針を採った。「ニッショーの品物は高いけれども品質は良い」という評判は、この方針の結果である。 [12][13][14]
- ニプロ 有価証券報告書 第53期(2006年3月期)【沿革】
- [12]1963年11月に大阪府豊中市服部でニッショーストア服部店を開設しスーパーマーケット業界に進出
- 証券アナリストジャーナル 1987年3月号「ニッショー」
- [13]新規参入は当該業界の発展に寄与できるかを検討して決めるという佐野實の説明
- [14]高い等級の品を正当な値段で仕入れ、品質で差別化する方針を採った
医療への入口は1965年4月、製薬会社向けに輸液セットの販売を手掛けたことにある。アンプル管の取引で製薬業界とつながりがあり、硝子の加工技術も持っていた。ただし佐野氏は、得意先である製薬会社と競合する医薬品ではなく、医療用具を選んだ。1969年8月には富沢製作所を子会社として注射針の生産に入り、販売するだけの立場から自ら作る立場へ移った。1972年4月には日本プラスチック・スペシャリティースを買収して株式会社ニプロと改称し、医療機器の国内販売を担わせている。「ニプロ」の名はこのとき手に入れた社名に由来し、のちに本体の商号となる。 [15][16][17][18]
- ニプロ 有価証券報告書 第73期(2026年3月期)【沿革】
- [15]1965年4月に製薬会社向けに医療機器(輸液セット)の販売を手掛けた
- [17]1969年8月に富沢製作所を子会社とし医療機器の生産を開始
- 証券アナリストジャーナル 1987年3月号「ニッショー」
- [16]得意先の製薬会社と競合しない医療用具を事業領域に選んだ
- [18]1972年4月に日本プラスチック・スペシャリティースを買収して株式会社ニプロへ商号変更し医療機器の国内販売を担当させた
- ニプロ 有価証券報告書 第53期(2006年3月期)【沿革】
- [12]1963年11月に大阪府豊中市服部でニッショーストア服部店を開設しスーパーマーケット業界に進出
- 証券アナリストジャーナル 1987年3月号「ニッショー」
- [13]新規参入は当該業界の発展に寄与できるかを検討して決めるという佐野實の説明
- [14]高い等級の品を正当な値段で仕入れ、品質で差別化する方針を採った
- [16]得意先の製薬会社と競合しない医療用具を事業領域に選んだ
- ニプロ 有価証券報告書 第73期(2026年3月期)【沿革】
- [15]1965年4月に製薬会社向けに医療機器(輸液セット)の販売を手掛けた
- [17]1969年8月に富沢製作所を子会社とし医療機器の生産を開始
- [18]1972年4月に日本プラスチック・スペシャリティースを買収して株式会社ニプロへ商号変更し医療機器の国内販売を担当させた