拡散炉事業の打ち切り(1992年・ディスコの決断)

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論点量産に届かない新規事業から撤退するか
ディスコ:業績の推移
売上高(億円)当期純利益率(%)
半導体拡散炉事業からの撤退と開発費約50億円の損失計上

何をなぜ決めたか:半導体拡散炉事業からの撤退と開発費約50億円の損失計上

概要

ディスコは1990年代の初めに、半導体製造の前工程で使う拡散炉(熱処理炉)の事業から撤退し、十年で投じた約50億円の開発費を損失として確定させた。ダイシングソーで後工程の寡占を築いた同社が、前工程へ広げた唯一の飛び地を畳んだ判断で、決めたのは創業者の跡を継いだ関家憲一社長であった。

背景

ディスコは切断砥石とダイシングソーで国内95%・世界80%のシェアを占め、後工程では取り切った状態にあった。次の伸び代を求めて半導体前工程の縦型拡散炉へ進み、十年で約50億円を投じたが、そこには既に強い装置メーカーが並んでいた。

内容

拡散炉は製品としては完成し技術的な評価も得たものの、量産化に届かず事業として成立しなかった。半導体需要の低迷で本体も苦しくなるなかで開発を打ち切り、投じた開発費を損失として処理した。参入を決めたのは創業者で父の関家三男氏であった。

含意

撤退の後、ディスコは基軸となる技術から離れない方針を選び、切る技術の派生としてウエハー裏面を削るバックグラインダを育てた。1997年には行動規範"ディスコ・バリューズ"で事業領域を"切る・削る・磨く"に限る。失敗が判断基準の明文化を促したとみられる。

いつ何が起きたか7件
考察:動いている製品を畳むということ
考察

考察:動いている製品を畳むということ

この撤退を、本業外への多角化の失敗と読むだけでは足りない。拡散炉は技術的な評価が高く、製品としては成功していたと関家憲一社長自身が認めている。国内95%を握った後工程に伸び代は乏しく、前工程は数少ない次の市場でもあった。売れない製品ではなく、動いている製品を畳む判断であった。それでも止められたのは、参入を決めたのが創業者であり父の関家三男氏だと名指しできる立場に、後を継いだ息子が座っていたからだと推察される。

もっとも、その判断が早かったとはいえない。開発は十年に及び、費やした約50億円は撤退の時点で戻らない金であった。止める決め手も、基軸技術という理屈より、このまま続ければ後が危ないという資金繰りの側にあった。基軸を外れたことへの反省を語ったのは撤退から二年後の1995年であり、事業領域を『切る、削る、磨く』と言葉にしたのは1997年である。教訓は失敗の直後ではなく、それを言い直した時に働き始めるといえる。

Yutaka Sugiura, 2026年7月
参考文献

参考文献

参考
  • 決断 1986年1月号(サバイバル出版)
  • 商工ジャーナル 1995年6月号(商工中金経済研究所)関家憲一氏談話
  • 日経ビジネス 2003年7月7日号 関家憲一氏談話
  • ディスコ 有価証券報告書(2025年3月期)【沿革】
  • 戦略経営者 第9巻第5号(通巻91号)掲載の業績推移
  • 証券 第52巻第2号(通巻611号)掲載の業績推移

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