いすゞ自動車 GM説得で乗用車撤退 いすゞの乗用車事業からの全面撤退と商用車・ディーゼルへの集中

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時期 1992年12月
当時の社長 関和平
論点 事業領域の選択と集中
何をなぜ決めたか
概要

1992年、連続赤字の乗用車事業について、関和平社長が就任直後に自社生産・開発からの全面撤退を決断した。筆頭株主の米ゼネラル・モーターズ(GM)を自ら説得し、トラック・バスとディーゼルエンジンへ経営資源を集中した、いすゞ最大の選択と集中である。

背景

GM提携下で規模を追った乗用車は黒字化せず、毎年300億円を超える赤字を計上した。91年10月期には単体で483億円の経常赤字を計上して無配へ転落。設備投資と車型の膨張が高コスト体質を招き、乗用車が再建の重荷となっていた。

内容

92年12月の3カ年中期計画で40年続いた乗用車生産にピリオドを打った。ホンダ・日産系・マツダと系列を越えて完成車の相互供給やエンジン供給を組み、トラック・RV・ディーゼルエンジンの3分野に資源を絞り込んだ。

含意

名門の誇りより身の丈の強みを選んだこの決断が、後年の商用車・ディーゼル専業としての再生につながった。

いつ何が起きたか 6件
筆者の見解
筆者の見解

名門の誇りより、強みをどこに集中するか

この決断の核心は、財務危機そのものよりも、名門の誇りが手放せなかった乗用車を、就任直後の関社長が正面から畳んだ点にある。乗用車を続けていれば技術者が集まる、RVには乗用車の技術が要る——歴代の社長はそう言って撤退を先送りしてきた。関社長は400億から500億円を捨てる覚悟でその連鎖を断ち、トラックとディーゼルという自社の強みへ資源を集中した。参謀として長く問題を見てきた人物だからこそ、就任の機を逃さず切り込めただろう。

最大の難所は、乗用車の供給先でもある筆頭株主GMの説得であった。関社長は外資の意向に従うのではなく、いすゞの強みがどこにあるかを示してGMを味方に変えた。撤退後のいすゞは商用車とディーゼルエンジンの専業として再生し、2020年代には過去最高の利益を重ねる世界的な商用車・ディーゼルメーカーへと育っていく。規模を追うより、自社の強みをどの事業に絞るか——いすゞの乗用車撤退は、その問いに正面から答えた選択と集中の一例である。

Yutaka Sugiura, 2026年7月

業績の推移
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参考文献
出典・参考
  • 日経ビジネス 1995年6月5日号
  • 日経ビジネス 1993年2月1日号
  • 日経ビジネス 1992年7月6日号
  • 日経ビジネス 1992年2月24日号
  • いすゞ自動車 会社年鑑(連結業績)

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