ディスコ市況の谷でも黒字を保つ収益構造への作り替えと、経費管理レベルの導入

四年周期で振れる市況にどう耐えるか——ITバブル崩壊の赤字から、次の谷までの二年

時期 2007年1月
意思決定者(推定) 溝呂木斉・関家一馬(常務) 社長
論点 シリコンサイクル下の収益構造とコスト管理
概要
ディスコは2007年1月、シリコンサイクルの谷でも黒字を確保できる体質を2010年までに作ると対外的に表明した。全部署への経費削減の義務づけ、カイゼン活動のPIM化、部門別のWill会計、営業利益率に連動する経費の段階管理を重ねた作り替えであった。
背景
半導体の設備投資はおよそ四年周期で振れ、同社はITバブル崩壊後の2002年3月期に連結経常損益で23億円の赤字を出していた。2007年3月期には売上高861億円・純利益109億円まで戻ったが、次の谷で再び赤字になるかが問われていた。
内容
事業を「切る・削る・磨く」に限ったうえで、経費をAからFまでの段階で営業利益率に連動させ、部署ごとの収支を見えるようにした。開発投資と顧客満足の調査は不況期にも止めず、絞るものと絞らないものを分けた。
含意
リーマン・ショックで売上高が42%減った2009年3月期も黒字を保った。「万能在庫」「経費管理レベル」「固定費の変動費化」という呼び名は今日のIR資料にも残り、制度として定着したことがうかがえる。
筆者の見解

目標が手続きに変わるまで

2007年1月に語られた「2010年までにサイクルの谷でも黒字」という目標は、期限を待たずリーマン・ショックで試された。2009年3月期は売上高が42%減り、残った営業利益は1億円である。関家一馬氏自身が「たまたま」と呼んだ薄さであり、達成というより試験の途中経過に近い。それでも意味があったのは、目標が営業利益率と経費の段階に翻訳され、全社の手続きへ落ちていたからだとみられる。

ただ、この構造でサイクルが消えたわけではない。2010年3月期の売上高は617億円と戻りが鈍く、水準を取り戻すのに二年かかっている。経費の段階管理が効いたのも、拡散炉の失敗を経て事業を「切る・削る・磨く」に限り、装置と消耗品の両輪を持つ形が先にあったからで、経費の仕組みだけ写しても同じにはならない。赤字を出さないことと伸びることは、別々に設計するほかないといえる。

Yutaka Sugiura, 2026年7月

背景

四年周期で振れる商売

半導体の設備投資は、およそ四年の周期で山と谷を繰り返す。ディスコはその波動の中でジェットコースターのような経営を続け、何度も赤字転落の辛酸をなめてきたと2007年の記事は書いている。ITバブルが崩壊した2002年3月期の連結決算は、売上高303億円に対して経常損益が23億円の赤字、当期純損益も22億9千万円の赤字であった。装置の受注は市況とともに一度に消える[1][2]

谷から戻る速さも際立っていた。連結売上高は2003年3月期の371億円から2007年3月期の861億円へ伸び、同期の営業利益は195億円、当期純利益は109億円となる。2007年初めの記事は、世界シェア70%・売上高営業利益率23%の優良企業と紹介し、ITバブル期の実績に迫る水準まで復活を遂げたと書いた。問われていたのは水準ではなく、次の谷でまた赤字に落ちるかどうかであった[3][4]

1997年に引いていた線

事業の枠は、すでに決まっていた。1980年代から1990年代前半にかけて半導体の拡散炉など切削以外の分野へ手を出して巨額の損失を出し、これを機に1997年、「切る・削る・磨く」を軸に自社の存在価値を定義した「ディスコ・バリューズ」を練り上げている。そこには売り上げやシェア、規模の拡大を成長とはしないと書かれた。伸ばす方向ではなく、手を出さない範囲を決めた文書であった[5][6]

溝呂木斉社長は、不況期の投資が好況で生きるという考えを横浜ゴム時代に学んだと述べ、ITバブル崩壊の直後に営業赤字へ陥っても開発投資を続けたと語っている。1999年からは世界中の全納入先を対象にした顧客満足度の調査を年1回行い、2003年には従業員満足度の調査も始めた。景気に合わせて絞るものと、景気にかかわらず絞らないものを、先に分けていたことになる[7]

決断

2010年までに、谷でも黒字

目標がはっきり言葉になったのは2007年の初めであった。関家圭三常務・経営企画本部長は、シリコンサイクルによって業績が変動するのは仕方がないとしたうえで、2010年までにはサイクルの谷でも黒字を確保できる体質にしたいと述べている。市況を読み当てるのではなく、売上高が半分になっても黒字が残る構造を先に作るという宣言であった[8]

溝呂木斉社長が挙げた効き目は、数字ではなく意思決定の速さであった。ディスコ・バリューズへの理解を深めることで一体感が高まり、現場への権限委譲がしやすくなった、顧客満足の向上に向けた意思決定も速くなったと語っている。記事は末尾で、谷間でも稼げる体質は仕上がったのか、いずれ来る次の下降でこれまでの取り組みが試されると書いた。答えが出るまでに二年もかからなかった[9]

経費を営業利益率に連動させる

仕組みは三つの層に分かれていた。全部署へ年5%以上の構造的な経費削減を課したうえで、カイゼン活動をPIM(Performance Innovation Management)活動として部署や業務の単位の目標に落とす。加えてWill会計と呼ぶ管理会計を入れ、部署ごとの収支を見えるようにした。営業利益率に応じて経費を5段階、のちに6段階で動かす仕組みも設けている[10]

経費の段階は、AからFまでの符号で運用された。関家一馬氏は、レベルFが発動されれば従業員は危機意識を持ち、決めた以上に経費を切り詰めると説明している。半導体は市況の変動が激しいという前提が先にあり、景気の判断を個々の現場に委ねず、営業利益率という共通の物差しで全社の支出を一斉に切り替える設計であった。固定費を持たないのではなく、固定費を動かせるようにしたことになる[11]

結果

2009年3月期に出た答え

次の谷は、2007年の記事から二年足らずで来た。リーマン・ショックを受けた2009年3月期の連結売上高は531億円で、前期の916億円から42%減っている。それでも営業利益1億円、当期純利益2億円を確保して黒字を保った。半導体関連の各社が赤字に沈むなか、売上高が四割減っても黒字で乗り切ったと、後年の記事も同じ期を指して書いている[12][13]

ただし、当の社長はこの結果を手柄として語らなかった。関家一馬氏は、今回の不況で赤字にならなかったのはたまたまであるとし、レーザー装置がいずれ成長する確信はあったが、LED向けがこのタイミングで急伸するとは予想していなかったと述べている。実際、2010年3月期の連結売上高は617億円にとどまり、2011年3月期に997億円・営業利益159億円へ戻るまで二年を要した[14][15]

呼び名が残るということ

施策の名前は、その後も同社自身の言葉として残った。2023年に出した投資家向けの資料は、ダウンサイクルへの対応として、「万能在庫」など内製化による原価低減と陳腐化リスクの低減、「経費管理レベル」の設定や「固定費の変動費化」によるコストマネジメントを継続していると説明している。平時から変化への対応力を高める仕組みという位置づけであった[16]

関家一馬氏は、市場の動きに出荷を合わせるように柔軟性を付け、一方で営業利益率を引き上げて財務的なバッファーを持つ経営に力を入れてきたと語っている。連結売上高は2014年3月期に初めて1,000億円を超え、2026年3月期には4,369億円、営業利益は1,850億円に達した。営業利益率は42%である。谷で沈まないための構造が、山での利益率をも押し上げたとみることができる[17][18]

出典・参考
  • 週刊東洋経済 2007年1月20日号「企業・産業 シリコンサイクルに負けない経営 もう赤字にはならない! ディスコ“大改革”の中身」
  • 週刊東洋経済 2010年6月19日号「会社が変わる! 企業戦略シリーズ4 【戦うNo.1技術】 第5回 ディスコ 「パラノイア」の勝利! 半導体加工技術で独走」
  • 週刊東洋経済 2014年4月18日号「カンパニー&ビジネス ディスコ 半導体精密加工で圧倒 成長を導く「価値観経営」」
  • ディスコ 2023年3月期 決算 One on One Meeting FAQ
  • 日経ビジネス(2023年8月25日)「ディスコ関家社長「会社を自分ごとにする経営が危機に強い」」
  • ディスコ 有価証券報告書(2002年3月期・2007年3月期・2009年3月期・2011年3月期・2026年3月期/連結)

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