ディスコ極薄砥石ミクロンカットの開発:注射針と万年筆で稼ぐ砥石屋が、まだ市場のない半導体用の薄さへ開発を向けた選択

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時期 1968年
意思決定者(推定) 関家三男 社長
論点 市場が立ち上がる前の用途への開発資源の配分
概要

1968年、工業用砥石の第一製砥所は、家電メーカーから持ち込まれた企画に応じて半導体用の極薄切断砥石の開発に着手した。注射針の加工と万年筆のペン先割りで用途の七割を占めていた時期であり、シリコンウエハーを切る砥石に国内の市場はまだ無い。関家三男社長が手を向けたのは、目の前の受注ではなく数年先に立ち上がる用途であった。翌1969年にはダイヤモンドを素材にした"ミクロンカット"を厚さ0.05ミリで完成させ、日刊工業新聞社の十大新製品賞を受けている。

背景

第一製砥所は、磨く砥石から切る砥石へ用途をずらしながら生きてきた会社である。積算電力計の磁石、真珠の核、万年筆のペン先、注射針——いずれも客の相談に応じて薄さを詰めた仕事で、1967年の極薄切断砥石は注射針加工用43.0%、万年筆ペン先割り28.5%、エレクトロニクス材料加工用23.0%という構成であった。

そこへ届いた話は 『昭和四十三年頃、アメリカではちょうど第一次コンピュータ・ブームだったんです。日本も近い将来、必ずそうなるから、いまのうちに半導体用に薄さ七十ミクロン(〇・〇七ミリ)ぐらいの切断砥石を開発するようにいわれたんです』 というものであった。米国の第一次コンピュータブームを日本の需要の前触れと読む見通しが、依頼の側にあった。

内容

半導体用として示された厚さは70ミクロンで、ダイヤモンドを素材に選んで到達したのは0.05ミリであった。髪の毛より細く切る砥石を作れる会社は、当時ほかに無い。ただし薄い砥石を渡すだけでは売れなかった。

『使い方を教えるというか、ソフト・ウェアも私どもで開発しなければ需要が伸びなくなってしまったんです』 ——実験機を備えたアプリケーション開発室を設け、顧客と並んで切り方を詰める体制を社内に置く。その実験機も売ってほしいという求めが続き、1970年9月に精密切断装置そのものを商品として世に出した。素材を納めて使い方は客に委ねるという砥石屋の立場を、この時点で捨てている。

含意

砥石と装置と使い方の三つを一社で抱える形は、この参入の後始末として生まれた。1975年2月には半導体用ダイシングソーへ進み、1980年には半導体材料専用切断機で国内約98%・世界60%のシェアを占めるに至る。1967年1月期に売上高3億円だった砥石屋は、1982年1月期には76億円、うち六割をダイシングソーで稼ぐ会社へ姿を変えた。市場の無い用途に薄さを合わせた1968年の着手が、その入口であったとみることができる。

筆者の見解

市場の無い用途に薄さを合わせる

この判断を、砥石屋が半導体へ進出した話として読むと、順序を取り違えることになるように思われる。1968年の時点で日本に半導体切断の市場は無く、あったのは客が語る数年先の見通しと、七十ミクロンという数字だけであった。第一製砥所が引き受けたのは製品ではなく仕様である。用途を自ら選んだというより、示された薄さに自社の技術を合わせにいった——積算電力計の磁石も注射針も万年筆も、同じ形で受けてきた仕事であった。違ったのは、その一件の先にあった市場の大きさだけだったとみることができる。

もっとも、この参入が会社を変えたのは砥石が売れたからではない。薄すぎる砥石は使い方を教えなければ需要が伸びず、教えるための実験機を作れば、今度は機械のほうを買いたいと言われる。素材の売り切りで完結できなくなった時点で、部材供給者としての位置は失われていた。1970年の精密切断装置は、新規事業の成果というより、砥石を売り続けるために引き受けた宿題に近い。捨てるものを自分で選んだのではなく、選ばされたところにこの決断の性格があるのかもしれない。

Yutaka Sugiura, 2026年9月

半導体用の切断砥石に取り組んだ条件

科目 概要 備考
開発の対象 半導体用の極薄切断砥石 シリコンウエハーに並んだ米粒大のチップを切り離すための砥石
着手の発端 家電メーカーからの持ち込み企画 米国の第一次コンピュータブームを、日本の需要の前触れと読む見通しが背景にあった
求められた厚さ 70ミクロン(0.07ミリ) 半導体用として依頼の側から示された仕様
到達した厚さ 0.05ミリ 髪の毛の太さは50〜60ミクロン。これより細く切れる砥石を持つ会社は当時なかった
素材 ダイヤモンド 完成した砥石は"ミクロンカット"と呼ばれ、翌1969年に十大新製品賞を受けた
転用した技術 万年筆ペン先用の0.14ミリ砥石 共同開発や開発費援助の申し出を断り、単独で仕上げたレジノイド砥石
着手時の主な用途 注射針・万年筆ペン先・電子材料 1967年の用途別使用比率は注射針43.0%、万年筆ペン先28.5%、電子材料23.0%
着手時の規模 売上高3億円 1967年1月期。前期は2億円で、当期純利益は0.25億円
競合していた方式 スクライバーとレーザー 表面に傷をつけて割る方式と、光線で焼き切る方式がウエハー切断の主流だった
使い方の提供 アプリケーション開発室 実験機を備え、顧客と並んで切り方を詰める体制を社内に置いた
装置化 1970年9月に精密切断装置を発売 実験機も売ってほしいという求めが続き、切る機械そのものを商品にした
販売拠点 1969年12月に米国子会社を設立 DISCO ABRASIVE SYSTEMS, INC.(現DISCO HI-TEC AMERICA, INC.)

出所:石垣 1982年7月号(日本商工会議所)関家三男氏談/日経ビジネス 1980年5月5日号(日経BP社)/ディスコ 有価証券報告書 第86期(2025年3月期)【沿革】

ディスコ:意思決定の前後5期の業績

(億円) 売上高 備考
1964年1月期 1966年1月期・1967年1月期のほかは、公表資料で売上高を確認できていない
1965年1月期
1966年1月期 2 当期純利益は0.06億円
1967年1月期 3 当期純利益は0.25億円。極薄切断砥石の用途は注射針が最も多い
1968年1月期
1969年1月期 半導体用の切断砥石に着手した1968年を含む期
1970年1月期
1971年1月期 1970年9月に精密切断装置の販売を開始
1972年1月期
1973年1月期
1974年1月期
極薄切断砥石の用途別使用比率(1967年)
  • 注射針加工用 43%
  • 万年筆ペン先割り 28%
  • エレクトロニクス材料加工用 23%
  • その他 6%

出所:帝国銀行 会社要録 第48版(1966年1月期・1967年1月期の売上高と当期純利益) / 日本一の企業 1967年版(極薄切断砥石の用途別使用比率)

同じ問いに直面した会社

自社技術による隣接領域への展開1968年鹿島建設超高層・耐震技術への先行投資と開発事業への進出超高層・耐震技術への先行投資と開発事業の多角化
1968年帝人繊維一本足からの脱却を掲げた新規事業探索の専門組織づくり繊維依存からの多角化と新規事業開発
1967年日本特殊陶業自社技術を電子部品へ広げる非自動車領域への多角化事業の柱づくりとセラミック多角化
1967年オムロン制御技術を社会インフラへ広げる社会システム事業と世界初の無人駅システム制御技術の応用先の拡張と事業の多角化
1970年日本触媒アクリル酸の国産化と後発参入を結び付けた原料一貫戦略の確立石油化学参入とアクリル酸国産化による原料一貫戦略、SAP後発逆転
出典・参考
  • 石垣 1982年7月号(日本商工会議所)「柔軟な頭脳で製品開発」株式会社ディスコ 取締役社長・関家三男氏
  • 日経ビジネス 1980年5月5日号(日経BP社)
  • 日本一の企業 1967年版
  • 帝国銀行 会社要録 第48版
  • ディスコ 有価証券報告書「第86期(2025年3月期)【沿革】」

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