この判断を、砥石屋が半導体へ進出した話として読むと、順序を取り違えることになるように思われる。1968年の時点で日本に半導体切断の市場は無く、あったのは客が語る数年先の見通しと、七十ミクロンという数字だけであった。第一製砥所が引き受けたのは製品ではなく仕様である。用途を自ら選んだというより、示された薄さに自社の技術を合わせにいった——積算電力計の磁石も注射針も万年筆も、同じ形で受けてきた仕事であった。違ったのは、その一件の先にあった市場の大きさだけだっただろう。
もっとも、この参入が会社を変えたのは砥石が売れたからではない。薄すぎる砥石は使い方を教えなければ需要が伸びず、教えるための実験機を作れば、今度は機械のほうを買いたいと言われる。素材の売り切りで完結できなくなった時点で、部材供給者としての位置は失われていた。1970年の精密切断装置は、新規事業の成果というより、砥石を売り続けるために引き受けた宿題に近い。捨てるものを自分で選んだのではなく、選ばされたところにこの決断の性格があるのかもしれない。