パーソナルケア事業の売却
低価格帯を手放し高価格帯に賭ける——魚谷雅彦社長CEOはなぜ祖業に連なる日用品ブランドを1,600億円で手放したのか
更新:
- 概要
- 2021年2月3日、資生堂が「TSUBAKI」「uno」などのパーソナルケア(日用品)事業を1,600億円でCVCキャピタル・パートナーズ系のファンドへ譲渡すると発表した経営判断。会社分割で新会社「ファイントゥデイ資生堂」へ承継し、7月1日付で譲渡を完了、資生堂は35%出資で合弁化した。魚谷雅彦社長CEOが進めた高価格帯(プレステージ)集中戦略の一環である。
- 背景
- 魚谷体制は高付加価値のスキンビューティ領域を核に化粧品への選択と集中を進めており、マス広告に多額の宣伝費を要する低採算のパーソナルケアは、資源配分のうえで優先順位が下がっていた。対象事業は2019年度の売上高がおよそ1,056億円で、資生堂全体の約9%を占めていた。
- 内容
- パーソナルケア事業を吸収分割(簡易吸収分割)で切り出し、その全株式をCVCが投資助言するファンド出資のOBH社へ譲渡した。譲渡価額は1,600億円でEBITDA倍率にしておよそ11倍にあたる。資生堂は親持株会社の株式35%を取得して合弁化し、将来の成長がもたらす果実の一部を出資分に応じて手元に残す設計とした。
- 含意
- 譲渡益は2021年12月期の黒字転換を支え、譲渡先のファイントゥデイは独立後に営業利益率10%超の収益性を確保した。一方で資生堂の日本事業は、販売数量が多く固定費を吸収してきた収益源を失い、2022年度にコア営業利益130億円の赤字へ転落した。選択と集中が意図せず利益構造の脆さを顕在化させ、のちの構造改革へと連なる一因となった。
果実を残す売り方と、緩衝材の喪失
この判断の評価は、「果実の一部を残す売り方」をどうみるかに集約される。資生堂は1,600億円という対価を受け取りつつ、持株会社の株式35%を残して将来の成長にも手をかけた。譲渡先のファイントゥデイがCVCのもとで営業利益率10%を超える収益性を実現したことは、その持分判断が一面で報われたことを示している。ただ、同じ事業が独立後にむしろ収益性を高めた事実は、なぜ資生堂自身の手ではその果実を引き出せなかったのか、という問いをあわせて残すことにもなった。
より重い論点は、手放したものが単なる低採算事業ではなかった点にある。数量の大きい日用品は、国内の生産と販売を支える固定費の受け皿であり、需要が揺れたときに全体の採算をやわらげる緩衝材の役割をあわせ持っていた。プレステージへの集中は、その緩衝材を同時に手放す選択でもあった。コロナ後のインバウンド消失と重なって日本事業が赤字へ転じ、2024年以降の早期退職や2025年の過去最大級の赤字を伴う構造改革へ連なっていった経緯をみると、選択と集中が生む果実と、それが削り取る守りの厚みとを、どう秤にかけるかという問いが残る。パーソナルケアの売却は、その両面を映す判断であったとみることができる。
Yutaka Sugiura, 2026年7月
背景
プレステージ集中という戦略
資生堂は魚谷雅彦社長CEOのもとで、高付加価値のスキンビューティ領域を経営の核に据え、化粧品への選択と集中を進めていた。国内市場が成熟するなかで、投資に見合うリターンが見込めるのは中・高価格帯のプレステージ領域だという見方が社内で固まりつつあった。この構図のなかで、成長のために継続的なマス広告投資を強いられるパーソナルケア(日用品)事業は、資源配分の優先順位が下がり、本体の戦略のなかで居場所を狭めていった[1]。
譲渡の対象となるパーソナルケア事業は、資生堂にとって決して小さな塊ではなかった。「TSUBAKI」「uno」「専科」など広く知られたブランドを抱え、2019年度の売上高はおよそ1,056億円で、資生堂全体の約9%を占めた。国内に限れば、2020年時点で国内売上高全体の16.2%にあたる規模であった。相応の売上を生む一方で、マスマーケットの価格競争と広告費の重さから収益性は高くなく、高価格帯を軸とする本体の戦略とは水と油の関係にあった[2][3]。
決断
1,600億円でCVCへ
2021年2月3日、資生堂は、パーソナルケア事業を吸収分割(簡易吸収分割)によって新設会社へ承継させ、その全株式を、CVCキャピタル・パートナーズが投資助言を行うファンドが出資するOriental Beauty Holding(OBH社)へ譲渡すると発表した。新会社の全株式および関連する事業資産の譲渡価額は1,600億円で、EBITDA倍率にしておよそ11倍にあたる。対象には「TSUBAKI」「uno」「専科」「シーブリーズ」「Ag」「アクエア」といったマスマーケット向けのブランド群が含まれた[4][5]。
資生堂は、この事業を単純に手放したわけではなかった。譲渡と同時に、OBH社の完全親会社にあたる持株会社Asian Personal Care Holdingの株式の35%を取得し、CVCと組んで対象事業を合弁として運営する形をとった。売却で1,600億円の対価を得つつ、将来の成長がもたらす果実の一部を、出資分に応じて手元に残す設計であった。新会社の社名は「株式会社ファイントゥデイ資生堂」と決まり、2021年7月1日から稼働した[6][7]。
「退路を断つ」選択と集中
一連の判断の底には、化粧品への集中という魚谷雅彦社長CEOの明確な意思があった。同社長は譲渡の発表にあたり、投資に見合うリターンが見込めるのはプレステージ(高級品)であり、そこが成長の最大の源泉であると述べ、化粧品への選択と集中を進める考えを示した。祖業に連なるマスマーケットのブランド群を手放すこの判断は、業界では、高価格帯への集中に賭けて後戻りの余地を断つ「覚悟」と受け止められた[8]。
資生堂にとってパーソナルケアを抱え続けることは、成長のために継続的なマス広告投資を担い続けることを意味した。会社は、対象事業のポテンシャルを最大限に引き出すにはマーケティング投資の一段の強化が欠かせないとみており、その投資を本体で背負うよりも、事業運営に長けた投資ファンドの資本と規律のもとへ委ねる道を選んだ。35%の持分を残したのは、そのうえで独立後の成長余地をなお取り込もうとする狙いがあったからとみられる[9]。
結果
完了・黒字転換と、譲渡先の成長
譲渡は計画どおりに進んだ。2021年7月1日、資生堂はパーソナルケア事業の日本国内などでの譲渡を完了し、同日付で持株会社Asian Personal Care Holdingの株式35%を取得して合弁事業を稼働させた。売却にともなう譲渡益は本体の業績を押し上げ、2021年12月期の連結決算は、親会社株主に帰属する純利益が424億円の黒字となり、116億円の赤字だった前期から転換した。日本以外の各地域で売上が回復に向かうなかでの、譲渡を織り込んだ黒字であった[10][11]。
手放した先の事業は、独立後にむしろ収益性を高めた。ファイントゥデイは、CVCのもとで原価や販売管理費の見直しを進め、2022年度には売上高1,000億円超を保ちながら営業利益率10%超を確保した。資生堂本体では優先順位が下がっていた事業が、専業の経営とファンドの規律のもとで数字を伸ばし、資生堂も残した35%の持分を通じてその果実の一部にあずかった[12]。
日本事業の赤字転落
一方で、資生堂本体の日本事業は、売却の副作用を正面から受けた。販売数量が多く、国内の生産と販売の固定費を支えてきたパーソナルケアを切り離した結果、日本事業のコア営業利益は2022年度に130億円の赤字へ転落した。インバウンド最盛期の2019年度に910億円あった日本事業の営業利益と比べると、単純計算で3年ほどのあいだに1,000億円規模の利益が消えた計算になる。高価格帯への集中は、意図せず本体の利益構造の脆さを表に出す結果を招いた[13][14]。
もっとも、日本事業の不振は日用品の売却だけが招いたものではない。新型コロナウイルスによる訪日客の消失で、免税やインバウンドに支えられていた国内売上が縮み、2021年12月期の日本事業は前期比8.9%減の2,762億円へ落ち込んでいた。日本以外の地域が回復に転じるなかで、国内の弱さが際立っていた。そこへ、固定費を支えてきた日用品を切り離したことが重なり、日本事業の採算悪化がいっそう表面化した。この赤字は、のちの大規模な早期退職と構造改革へと連なる一因になった[15]。
- 資生堂「パーソナルケア事業譲渡に伴う会社分割(簡易吸収分割)等に関するお知らせ」(2021年2月3日)
- 日本経済新聞(2021年2月3日)「資生堂『高価格品に資源集中』 日用品売却1600億円発表」
- FASHIONSNAP(2021年2月3日)「資生堂がパーソナルケア事業を1600億円で売却、TSUBAKIやウーノ展開」
- 国際商業オンライン(2021年3月)「パーソナルケア事業譲渡で退路を断った資生堂の覚悟」
- FASHIONSNAP(2021年6月17日)「資生堂が譲渡したパーソナルケア事業、新会社の名称がファイントゥデイ資生堂に決定」
- 資生堂「パーソナルケア事業の譲渡完了(日本国内等)と合弁事業の稼働開始に関するお知らせ」(2021年7月1日)
- FASHIONSNAP(2022年2月9日)「資生堂の2021年12月期の最終利益が424億円の黒字 日本以外の国で成長」
- 東洋経済オンライン(2023年6月29日)「資生堂、屋台骨の日本事業が『赤字転落』の深刻 『TSUBAKI』など日用品事業の売却で起きた誤算」