資生堂の決断社史:経営の意思決定を振り返る

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決断

商品より先に、値段を誰が決めるかを設計してきた。1923年12月、関東大震災で配給機構が壊滅すると、資生堂は問屋を、資生堂製品だけを扱う専業の販売会社へ組み替えた。値引き販売の防止を小売段階まで徹底させ、販売会社の株式を所属店に持たせて利害を共にさせる二段構えで、1973年時点の系列は販売会社89社・チェインストア1万6000店に達した。1953年の再販指定がこれを法的に補強したが、1995年6月に公正取引委員会から量販店への価格拘束を理由に排除勧告を受けると、役員会の抗戦論を退けて9月末に受諾し、70年余り続いた化粧品の再販価格維持を手放す。2006年3月にはヘアケアのTSUBAKIへ発売初年度から50億円超の宣伝費を投じた。70年余り価格を握った会社が、価格を握れなくなったあとに選んだのは、宣伝費を一つの商品へ集める配分だった。

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