重要な意思決定
1952

躍進5ヵ年計画を策定

背景

戦後復興期における化粧品需要の回復と貿易自由化への備え

1950年代初頭、日本経済は戦後復興段階にあり、都市部を中心に消費活動が回復しつつあった。化粧品は可処分所得の増減に左右されやすい分野であり、販売数量の見通しを立てにくい状況が続いていた。統制解除後の市場には中小メーカーが多数参入し、価格や品質にばらつきが生じていた。安定的な事業基盤を持つ大手と参入間もない中小との間で競争条件は整理されておらず、市場は流動的であった。

また、講和を控えた政策環境の変化により、将来的な貿易自由化は避けられない情勢にあった。海外製品が流入すれば、国内メーカーは品質や価格だけでなく、供給量、販売網、広告展開を含めた総合的な競争に直面することになる。短期的な売上回復策だけでは対応が難しく、全国規模で供給・販売・認知を同時に引き上げる中長期の事業設計が求められていた。

決断

販売・広告・製造への計画的投資を五年間で同時に実行

1952年、資生堂は全社方針として「資生堂躍進五ヵ年計画」を策定した。単年度の業績回復ではなく、五年間で販売・広告・製造の各領域に計画的に投資を行い、事業基盤を段階的に引き上げることを目的とした。チェインストア制度を軸に全国規模の販売網整備を進めると同時に、商品単位ではなく企業名の認知を高める広告投資を拡大した。

製造面では量産体制への投資を進め、需要増加に対応できる供給能力と原価管理の両立を目指した。販売・広告・製造の三領域を同時に拡張することで、個別施策の効果を連動させる設計が採用された。単年度の売上目標ではなく、五年間の累積投資によって事業構造そのものを底上げする方針は、資生堂としては初めての中長期計画であった。

結果

全国供給と認知形成を通じて1964年に国内シェア首位を達成

五ヵ年計画に基づく施策は、1950年代後半にかけて継続的に実行された。販売網の拡張により全国での安定供給が可能となり、広告展開を通じて資生堂の企業名が広く認識されるようになった。量産体制の整備は需要変動への対応力を高め、価格と品質の安定を支えた。特定商品の一時的なヒットに依存しない、複数製品を通じた市場カバーの体制が構築された。

1960年代前半には流通・供給・認知の各面で蓄積された優位性が競争上の差として表れ、1964年には国内化粧品市場においてシェア首位に到達した。躍進五ヵ年計画は、計画段階で設定された構造的な投資方針が十年以上の時間をかけて市場地位の確立につながった事例であった。この計画で整備された全国販売網と認知基盤は、以後の資生堂の国内事業を支える基盤として機能し続けた。