重要な意思決定
大船工場を新設
背景
高度成長期の化粧品需要拡大と既存工場の生産能力限界
戦後の高度経済成長期に入り、国内では生活水準の向上とともに化粧品需要が急速に拡大していた。スキンケア製品は日常的に使用される消費財となり、安定供給と品質の均一化が経営上の課題となっていた。躍進五ヵ年計画で整備された全国販売網を通じて販売量は増加したが、従来の都市部工場では生産能力と敷地の拡張余地に限界が生じていた。
同時期の製造業では、工程の自動化と大量生産を前提とした郊外立地が進んでいた。物流網の整備により都市中心部から離れた場所でも全国供給が可能となり、工場は広い敷地と将来の増設余地を重視して再配置されつつあった。化粧品の製造においても、研究・品質管理・生産を一体で運用できる拠点の確保が求められる段階に入っていた。
決断
鎌倉市岩瀬にスキンケア主力工場を新設し供給体制を刷新
1959年11月、資生堂は神奈川県鎌倉市岩瀬に大船工場を新設した。化粧水、乳液、美容液、口紅などスキンケア製品を中心とする主力生産拠点として位置づけ、大量生産と品質管理を前提に設計された。国内向け製品の供給を集約することで、製品間の品質均一化と生産効率の向上を同時に実現する狙いがあった。
大船工場は操業開始後、半世紀以上にわたり国内向け製品の中核拠点として稼働した。しかし、周辺の宅地化進行により物流経路や設備更新に制約が増大し、老朽化対応や耐震強化に大規模な追加投資を要する状況が生じた。2015年、資生堂は生産拠点集約の一環として同工場を閉鎖し、那須・大阪茨木・福岡久留米の新工場へ製造体制を移管した。