この判断の核心は、何を伸ばすかではなく、何を捨てるかにあったと推察される。17年の赤字は、後発でありながら先発と同じ全品目を抱えたことの帰結であった。第五郎氏が配電盤と変圧器を中止し、設備を活かせる電動機へ絞ったのは、競争優位を築けない領域を手放して初めて資源が一つに集まるという理屈に沿っていた。腕のいい技術者を涙をのんで手放してまで品種を減らした点に、集中が痛みと引き換えでしか成り立たなかった事情がうかがえる。
もっとも、モートルへの集中が実を結んだ背景には、満州事変後の軍需という外部の追い風もあった。絞り込みそのものが黒字転換を保証したわけではなく、集中した先に運よく需要が伸びた面は否めない。それでも、広げて敗れ絞って蘇るというこの往復は、以後の安川電機が銀行管理下のロボット事業や近年のROIC経営に至るまで繰り返していく。捨てる領域を決めることから立て直しが始まる——1932年の選択は、その型を最初に示した点で今日にも通じている。