GMOインターネットグループローン・クレジット事業への参入と、2年後の撤退

250億円で買った消費者金融を528万円で手放す——過払い金の底が見えないなかで何を守ったか

時期 2007年8月
意思決定者(推定) 熊谷正寿 GMOインターネット 会長兼社長
論点 多角化した金融事業の損失処理と本体の存続
概要
2005年8月15日、GMOインターネット(現GMOインターネットグループ)は消費者金融のオリエント信販株式94.28%を250億4,100万円で取得することでユニゾン・キャピタルの投資ファンドと最終合意した。2年後の2007年、貸金業法改正と過払い金返還請求の急増を受けて同事業からの撤退を決め、当時の経営陣へのMBOにより528万円で譲渡した。
背景
2005年6月の東証一部上場まで、審査への影響を避けて大きな新規事業に踏み込めない時期が続いていた。上場後に熊谷正寿会長兼社長はネット金融への参入を決め、イーバンク銀行への出資、証券会社の自社設立、ローン・クレジット事業の買収を同時に始めた。
内容
オリエント信販は女性向け個人ローンを主力とし、2005年3月末の消費者向け営業貸付金残高は809億円、顧客は約20万口座で業界17位であった。買収資金は同日決議の普通社債280億円などで賄った。貸金業では利用残高500億円に達するまで黒字化が難しいとの試算があり、残高の獲得を狙った買収であった。
含意
過払い金の過去10年分の引き当てを求められ、105億円の計上に加えて約200億円の追加引き当てが必要になった。2007年12月期の連結業績は売上高463億円・経常損失97億円・当期純損失176億円となり、GMOは自社の社史で総損失を約400億円と記している。熊谷氏は自身の不動産を現物出資し、個人で30億円を借り入れて59億円の増資を実行した。
筆者の見解

528万円の値札が示したもの

250億円で買った会社を528万円で手放すという結末は、値付けの誤りというより、値付けの前提が外から書き換えられた事例に近い。オリエント信販は買収時点で年13億円台の最終利益を出しており、貸付残高809億円という数字も実在した。崩れたのは、過去に受け取った利息を将来返さなくてよいという前提のほうである。制度の解釈が一つ変わると、買った資産の値だけでなく、買う前の年の損益まで遡って書き換えられる——貸金業という事業の性質を、GMOは自社の決算書で確かめた。

この撤退が後に残したのは、規律と、それを可能にした構造である。限界投資額を資産の3分の1に抑える約束は、2018年の暗号資産マイニング事業で372億円の特別損失を出したときにも本業の営業利益を守った。そして2007年末に現金へ変えられたのは、ホスティング子会社の株式であり、証券子会社の株式であり、イーバンクの持ち株であった。事業ごとに別会社へ分けて市場価格をつけておいたことが、本体を切り売りせずに済んだ理由であったといえる。分散という言葉は、この会社では理念より先に、資金繰りの現実として意味を持った。

Yutaka Sugiura, 2026年7月

背景

東証一部上場のあとに解かれた制約

2005年6月1日の東証一部上場まで、GMOインターネットは大きな新規事業に着手しづらい状態にあった。一部への直接上場を目指して審査が続いており、審査に響く行動を避けたためである。同じ時期、ライブドアはニッポン放送株を買い、楽天は球団を取得していた。上場が決まると、熊谷正寿会長兼社長は抑えていた検討を一挙に新規事業へ振り向けた。候補は映画館を営んでいた実家に連なるメディア事業と、伯祖父が銀行を創業した家系に連なる金融事業の二つであった[1]

熊谷氏が選んだのは金融であった。インターネットとの相性がよく、必要とされ続け、月々の収入が積み上がる事業という基準に照らした結果である。参入は三つ同時に始まった。イーバンク銀行(現楽天銀行)の株式取得による銀行業への接近、高島秀行氏を迎えてのGMOインターネット証券のゼロからの立ち上げ、そしてオリエント信販の株式取得によるネットローン事業への進出である。ローン事業の買収は、貸金業では利用残高が500億円に達するまで黒字化が難しいという試算に基づき、その残高を一度に手に入れる狙いであった[2]

250億4,100万円の買収と、社債280億円

2005年8月15日、GMOインターネットは取締役会でオリエント信販株式の取得に関する最終合意書の締結を決議した。売り手はユニゾン・キャピタルの三つの投資ファンドで、9月30日の引き渡しで合計94.28%を250億4,100万円で取得する。資金は同日決議した普通社債280億円などで賄った。買われる側のオリエント信販は1971年設立、女性向け個人ローンを主力とし、2005年3月期の売上高は192億3,900万円、最終利益は13億9,600万円であった[3]

買収の理由として会社が挙げたのは、両者の顧客接点の重なりであった。GMOの側にはブログとインターネットマーケティングを通じた1,800万人規模のリーチがあり、オリエント信販の側には店舗を持たず東京と大阪のコンタクトセンターで全国を賄う営業網があった。同社の消費者向け営業貸付金残高は2005年3月末で809億円、顧客は約20万口座で業界17位である。翌2006年6月には商号をGMOネットカードへ改め、グループの名を冠した[4][5]

決断

過去10年分の過払い金という条件変更

買収から1年ほどで前提が崩れた。制限超過利息の受領を原則として認めない司法判断が示され、貸金業法などの改正がこれに続いた。公認会計士協会からは過去10年分の過払い金をすべて引き当てるよう求められ、GMOは105億円を計上したうえで、なお約200億円の追加引き当てが必要な状態に立った。事業を引き継いでからわずか1年しか経っていないにもかかわらず、前の所有者が9年間得た利益に対応する返還まで背負う計算であった[6][7]

財務の悪化は数か月で表れた。安田昌史氏によれば、2007年3月末に116億円あった自己資本は6月末に6億円へ落ち、自己資本比率は8%から0.5%になった。同社の社史は連結の純資産が195億円から77億円へ、自己資本比率が7.7%から0.5%へ低下したと記している。返還請求の総額は司法判断と法解釈の動き次第で、どこで止まるかを見通せなかった。損失を一度に確定させてでも事業を手放す判断は、この見通しの立たなさから導かれた[8][9]

528万円での譲渡と、創業者個人の増資

2007年8月、GMOはローン・クレジット事業からの撤退を決めた。譲渡先は同事業の経営陣で、MBOの形をとり、価格は528万円であった。280億円で引き受けた事業が、2年で500万円台の値札になった。同社の社史は、この譲渡に加えてローン・クレジット事業への76億円の増資と50億円の貸し付けを合わせ、総額約400億円の損失が確定したと記している。有価証券報告書の連結業績で確認できる範囲では、2006年12月期の当期純損失121億円と2007年12月期の同176億円が、この時期の穴にあたる[10][11]

撤退そのものは損失の確定であって、資本の穴は別に埋める必要があった。GMOはGMOホスティング&セキュリティ株式の約10%を売って10億円、イーバンク株式の全売却で12億円の譲渡益、GMOインターネット証券株式95.9%を熊谷氏個人が買い取ることで28億円を確保した。ヤフーからは14億5,000万円の出資を受けた。それでも足りず、2007年末、熊谷氏は自身の不動産を会社へ現物出資し、個人名義で30億円を借り入れて合わせて59億円の増資を実行した。上場企業の資本の穴を、創業者個人の財産が埋めた[12][13]

結果

翌期の黒字転換と、投資額を縛る規律

撤退の翌期、2008年12月期の連結売上高は372億円、営業利益41億円、当期純利益21億円となり、ローン・クレジット事業を切り離した本業の姿が戻った。同年9月にはGMOペイメントゲートウェイが東証マザーズから市場第一部へ移り、12月にはpaperboy&co.がジャスダックへ上場している。損失の処理と並行して、上場子会社を増やす型は止まっていなかった。金融そのものからも降りず、2010年9月にクリック証券を子会社化して証券事業へ戻っている[14][15]

残ったのは金額の上限を決める習慣であった。熊谷氏はこの経験のあと、限界投資額を資産の3分の1までと定めたと語っている。2014年の取材では、買収当時について「このときはマイペースではなく無理をしていた」と述べ、ルールが変わって前の所有者の分まで10年分の過払い請求を背負うことは想像していなかったと振り返った。同氏はまた、この一件で最も得たものとして、現場が会社を支えるという意味で仲間が成長したことを挙げている[16][17]

出典・参考

免責事項およびポリシー