1991年5月、熊谷正寿氏は東京都世田谷区下馬にボイスメディアを設立した[1]。当初の事業はダイヤルQ2を用いた双方向通信の企画・開発と、その機器の開発・販売[2]である。1994年2月に本店を港区南青山へ移し[3]、1995年11月には商号をインターキューへ変更してインターネット接続事業へ転業した[4]。同年12月に始めた接続サービス『interQ』[5]は、ダイヤルQ2の決済機能を用いることで、利用者にIDの郵送やクレジットカード登録を求めなかった[6]。料金は1分20円で、申し込みの手続きを踏まずに接続できる設計[7]であった。
アクセスポイントは、サービス開始から1か月半で全国51拠点まで増えた[8]。1997年11月にはレンタルサーバー事業へ参入し、本店を渋谷区桜丘町へ移した[9]。接続とホスティングという月ごとに料金が入る二つの事業が、創業から6年で揃った[10]。1998年1月には形式上の存続会社アルティマックスと合併し、1株の額面を500円へ改めた[11]。同じ1998年、熊谷氏は2051年に売上高10兆円・経常利益1兆円を掲げる『55ヵ年計画』を定めている[12]。策定した時点の売上規模は10億円台[13]であった。
公開準備のチームが発足したのは1997年12月ごろで、本格的に動き始めたのは1998年3月[14]であった。熊谷氏を除く4名は、全員が株式公開の実務を経験していなかった[15]。当時の店頭公開は売上と利益を求められ[16]、東証マザーズや大証ナスダック・ジャパンの設立で公開の条件が緩んだといわれるようになるのは、インターキューの公開より後にあたる[17]。監査は中央監査法人、書類作成の助言はアタックス今井会計グループ、証券印刷は宝印刷[18]が引き受けた。店頭公開には、のちの新興市場にはない『Ⅱの部』の書類作業があった[19]。
1999年8月27日、インターキューは独立系のインターネット接続事業者として日本で初めて店頭公開した[20]。公募価格4,200円に対して初値は21,000円をつけ[21]、時価総額は1,200億円に達した[22]。証券コードは9449[23]である。準備を担った島影氏は、成功の要因として経営トップの意志と『出られるときに出る』[引用元]判断を挙げ[24]、熊谷氏が準備期間中に一度も方針を変えなかったと述べた[25]。公開の翌月にあたる1999年9月にはドメイン事業を始め、接続・ホスティング・ドメインの三層が揃った[26]。2000年12月期の連結売上高は79億8,000万円、当期純利益は11億9,000万円[27]である。
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|---|---|---|---|---|
| 1991〜1999年ダイヤルQ2の課金機能を転用し、独立系ISPとして初の店頭公開に至る | 熊谷正寿 | ボイスメディア(後のインターキュー)を設立 | ★ | |
| 熊谷正寿 | 本店を移転 | ★ | ||
| 熊谷正寿 | 商号を「インターキュー」に変更 | ★ | ||
| 熊谷正寿 | インターネット接続(プロバイダー)事業に参入 | ★★ | ||
| 熊谷正寿 | クラウド・レンタルサーバー(ホスティング)事業に参入 | ★★ | ||
| 熊谷正寿 | 本社を移転 | ★ | ||
| 熊谷正寿 | 形式上の存続会社アルティマックスと合併 | ★ | ||
| 熊谷正寿 | 独立系インターネット接続事業者として初の店頭公開 1999年8月27日、インターネット接続事業のインターキュー(現GMOインターネットグループ)が店頭市場へ株式を公開した。独立系のインターネット接続事業者としては日本で初の店頭公開で、証券コードは9449。公募価格4,200円に対し初値は21,000円をつけ、時価総額は1,200億円に達した。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 熊谷正寿 | ドメイン事業に参入 | ★★ | ||
| 2000〜2004年設立364日での子会社上場と、株式交換によるグループ化 | 熊谷正寿 | 連結子会社を個別に上場させるグループ多重上場モデルの確立 2000年9月5日、インターキュー(現GMOインターネットグループ)は設立から1年に満たない連結子会社まぐクリックを大証ナスダック・ジャパン市場へ上場させた。以後2005年までに、GMOペイメントゲートウェイとGMOホスティング&セキュリティが東証マザーズへ上場し、本体も東証二部・一部へ移った。事業ごとに別々の株式を市場へ出すグループ経営の型が、この6年で固まった。 詳細を読む | ★★★ | |
| 熊谷正寿 | 商号を「グローバルメディアオンライン」に変更 | ★ | ||
| 熊谷正寿 | 株式交換によりアイルを完全子会社化 | ★ | ||
| 熊谷正寿 | 株式が東京証券取引所市場第二部に上場 | ★ | ||
| 熊谷正寿 | 連結子会社のpaperboy&co.へ資本参加 | ★ | ||
| 熊谷正寿 | カードコマースサービスを子会社化 | ★ | ||
| 2005〜2010年ローン・クレジット事業での約400億円の損失と、資本の立て直し | 熊谷正寿 | オリエント信販株式94.28%を250億4,100万円で取得しローン・クレジット事業へ参入 | ★★ | |
| 熊谷正寿 | GMOインターネット証券を設立しインターネット証券事業へ参入 | ★ | ||
| 熊谷正寿 | GMOインターネット証券の全株式を売却 | ★ | ||
| 熊谷正寿 | ローン・クレジット事業への参入と、2年後の撤退 2005年8月15日、GMOインターネット(現GMOインターネットグループ)は消費者金融のオリエント信販株式94.28%を250億4,100万円で取得することでユニゾン・キャピタルの投資ファンドと最終合意した。2年後の2007年、貸金業法改正と過払い金返還請求の急増を受けて同事業からの撤退を決め、当時の経営陣へのMBOにより528万円で譲渡した。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 熊谷正寿 | クリック証券を子会社化 | ★★ | ||
| 2011〜2025年岩盤事業と新領域の二層構造、そして持株会社体制への移行 | 熊谷正寿 | FXプライムを子会社化 | ★ | |
| 熊谷正寿 | ゲームポットを子会社化 | ★ | ||
| 熊谷正寿 | GMOクリックHDが東京証券取引所ジャスダック市場に上場 | ★ | ||
| 熊谷正寿 | あおぞら銀行・あおぞら信託銀行とインターネット銀行の共同運営で合意 | ★ | ||
| 熊谷正寿 | あおぞら信託銀行の株式を取得し持分法適用関連会社化 | ★ | ||
| 熊谷正寿 | 暗号資産交換事業に参入 | ★★ | ||
| 熊谷正寿 | 暗号資産マイニング事業に参入 | ★★ | ||
| 熊谷正寿 | あおぞら信託銀行をGMOあおぞらネット銀行に商号変更 | ★ | ||
| 熊谷正寿 | GMOあおぞらネット銀行がインターネット銀行事業を開始 | ★★ | ||
| 熊谷正寿 | 暗号資産決済事業においてステーブルコイン「GYEN」「ZUSD」の提供を開始 | ★ | ||
| 熊谷正寿 | ワイジェイFXを子会社化 | ★ | ||
| 熊谷正寿 | イエラエセキュリティを子会社化 | ★ | ||
| 熊谷正寿 | 商号を「GMOインターネットグループ」に変更 | ★ | ||
| 熊谷正寿 | AI・ロボット事業参入のためGMO AI&ロボティクス商事を設立 | ★ | ||
| 熊谷正寿 | インターネットインフラ・広告・メディア事業をGMOインターネットへ承継 | ★ | ||
| 熊谷正寿 | 公開買付けによりプライム・ストラテジーを子会社化 | ★ |
免責事項およびポリシー
事実根拠:出所(GMOインターネットグループ)