ビジョナルEC「LUXA」の分社と、株式会社ルクサのKDDIへの売却

時期 2015年4月
意思決定者(推定) 南壮一郎 社長
論点 HR外多角化の扱いと本業への集中
概要
ビズリーチは2010年8月にセレクト・アウトレット型ECサイト"LUXA(ルクサ)"を始め、同年11月に株式会社ルクサとして分社した。人材領域の外へ広げたこの事業を、2015年4月にKDDIが株式取得で合意し、同年10月に売却した。株式の譲渡でビズリーチには特別利益が入り、その資金がHR本業のマーケティング投資に回った。
背景
創業まもないビズリーチは、収益の柱を早く増やす狙いから転職サイトと別にECのLUXAを立ち上げ、独立した会社に切り出して運営した。2013年9月にはKDDIが3.3億円を出資してルクサと資本業務提携を結び、auスマートパス会員へのサービス提供で連携が進んだ。この出資が、のちの全株取得へつながる入り口となった。
内容
2015年4月14日、KDDIがルクサの発行済株式の取得で株主と合意し、ルクサをKDDIの連結子会社とすると発表した。売却は同年10月に実行され、ビズリーチは4年で200人規模へ育った事業を手放した。譲渡でまとまった特別利益が入り、南壮一郎社長は最後の判断をルクサを率いた村田に委ねた。
含意
人材領域の外で試した事業を切り離し、ビズリーチは転職・採用のHR領域へ資源を絞り直した。売却益はテレビCMの原資となり、認知拡大とHRMOS採用などの新規事業に振り向けられた。ルクサを率いた村田は、のちにCOOとしてビズリーチへ戻った。
筆者の見解

飛び地を畳むということ

この売却を、本業に集中するための飛び地事業の整理と読むだけでは、事の半分しか見ていないことになる。ルクサは村田が4年で200人規模へ育て、上場も見えていた事業であった。それを自社で伸ばしきる道ではなく、より相性のよいKDDIへ託す道を選んだところに、この判断の芯がある。育てた事業をどこで手放すかを見極め、得た資金を本業の勝負どころへ回す——ビズリーチはその資源の配分を、創業まもない時期に一度やってのけたとみることができる。

もっとも、これを鮮やかな資本配分と呼べるのは、その後のビズリーチの成長を知っているからにすぎない。売却の時点でルクサは200人規模まで育ち上場も視野に入る事業であり、手放さずに伸ばし続ける選択もありえた。実際、事業を率いた村田はいったんKDDIグループへ移り、のちにCOOとして戻るという回り道をしている。育てた事業と人をいったん外へ出す痛みを払ってでも本業に絞った点は、売却益の大きさだけでは測れないといえる。

Yutaka Sugiura, 2026年7月

同じ問いに直面した会社

畑違いの領域へ、参入するか2007年GMOインターネットグループローン・クレジット事業への参入と、2年後の撤退多角化した金融事業の損失処理と本体の存続
2006年エバラ食品工業冷凍食品・広告代理店・物流へ広げた周辺事業からの全面撤退多角化と事業構成の絞り込み
2001年神戸製鋼所テキサス・インスツルメンツ社との半導体合弁の設立と、マイクロン・テクノロジー社への全株式譲渡多角化と事業ポートフォリオ
1992年ディスコ半導体拡散炉事業からの撤退と開発費約50億円の損失計上本業外の新規事業からの撤退と事業領域の絞り込み
1985年川崎製鉄LSI事業推進部の発足によるASIC事業への参入と、川崎マイクロエレクトロニクスへの分社鉄鋼以外の収益の柱づくり
事業を切り出し、別会社にするか2018年東芝稼ぎ頭の半導体メモリ事業の売却と東芝メモリ(現キオクシア)の分離債務超過回避と虎の子の喪失
2012年デクセリアルズソニーによるケミカルプロダクツ事業の売却と、政投銀・ユニゾン主導の受け皿VGケミカルへの分離独立親会社の選択と集中と、素材子会社の分離独立
1973年三井松島ホールディングス石炭生産部門の分離と兼業会社への転換 ― 松島炭鉱から松島興産へ石炭依存と多角化
2025年ソニー金融事業の一部分離・再上場(パーシャル・スピンオフ)金融事業の分離と資本効率
2002年カナデビア祖業・造船の分社化と環境企業への転身事業構造の転換
出典・参考
  • ビジョナル 有価証券報告書 第6期(2025年7月期)【沿革】
  • KDDI「セレクト・アウトレット型ECサイトのルクサとKDDI 3.3億円の資本業務提携」(2013年10月17日)
  • KDDI「KDDI株式会社による株式会社ルクサの子会社化について」(2015年4月14日)

免責事項およびポリシー