この判断の芯にあるのは、自ら旗を振った標準規格を、当の旗振り役が自らの手で降ろしたという事実である。統一交渉が決裂し、有力メーカーが集まらないまま孤軍で走り出した時点で、勝算は陣営の広がりでブルーレイに劣っていた。それでも現行DVDでの規格統一という成功体験が、統一や撤退を潔しとしない空気を社内に残し、走り続ける選択を後押ししていた。売上高274億円の事業が単年で1,085億円の税引前赤字を生んだ2007年度の数字は、規格戦争が製品の採算ではなく陣取りの費用として積み上がっていたことを示している。勝ち目を失うや2か月弱で幕を引いた素早さは、傷を最小限にとどめる損切りとして合理的であったとみられる。
もっとも、撤退の速さは、そもそも分裂したまま商品化へ突き進んだ側の責任と表裏の関係にある。より大きな問いは、VHS対ベータという先例を業界が共有しながら、なぜ二度目の分裂を避けられなかったかにある。次世代DVDの勝敗は、製品そのものの優劣よりも、ハリウッドの映画会社、ウォルマートに代表される流通、そしてパソコンを握るマイクロソフトといった外部の力学によって決した。終息費用48,328百万円を一度に飲み込めるだけの体力が当時の東芝にはあり、翌年度にはデジタルメディア事業の損益が改善している。畳む判断は正しく機能したが、走り出す前の一手までは覆えなかったといえる。