土光敏夫

東芝・元取締役社長

Doko Toshio(敬称略)

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社長就任 1965年5月
生年月日 —
学歴 東京高等工業学校機械科
出自 —
社長就任までの出自
出自

1896年9月15日、岡山県御津郡大野村(現岡山市)に生まれた。東京高等工業学校(通称・蔵前、現東京工業大学)で3年を過ごし、石川島芝浦タービンの重役を経て石川島重工業・石川島播磨重工業の社長を務めた。石川島播磨では14年半社長の座にあり、1964年5月に名古屋造船と名古屋重工業を合併したのち、同年11月に社長を田口連三氏へ渡した。石川島と東芝は古くから協力関係にあり、土光氏は長く東芝の非常勤役員を兼ねていた。

社長に選ばれた経緯
抜擢

1965年5月、東京芝浦電気会長の石坂泰三氏の懇請を受けて社長に就任した。与えられた責務は減配が続いていた東芝の立て直しで、就任前年度にあたる1965年3月期の当期利益は74億円と、1963年3月期の194億円から半分以下に減少していた。人事は前任の岩下文雄氏と石坂氏の話が煮つまらないうちに新聞へ出ており、土光氏には正式な要請から内定まで一週間しかなかった。東芝は資本金も従業員数も石川島の3倍ほどの規模だった。

在任中の主な施策
施策

就任後ただちに各事業部へ権限を全面的に委譲し、組織を動かす側へ手を入れた。自己申告と社内公募の制度を制定し、4年間で1,600人以上を異動させた。部課長1,800人を集めて長期経営計画を掲げ、売上高の目標を2年前倒しの1969年に達成し、自身の考えは毎月「トップ指針抄」として社内報に流した。売上高は1966年3月期の2,213億円から1971年3月期の6,001億円へ伸びた。1972年8月に社長を退任した。

在任の評価
評価

執筆予定

経歴 1965〜1972年
在任中の業績
就任前(FY64)2,313億円
退任時-
変化-
就任前-
退任時-
変化-
参考文献 1件

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