祖業・繊維事業からの全面撤退と870億円の金融支援要請、経営陣総退陣

半世紀続いた縮小と延命の果てに、上埜修司社長はなぜ祖業を手放し自ら退く道を選んだか

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時期 2024年11月
意思決定者 上埜修司藤井実 ユニチカ 社長(退陣表明時)・ユニチカ 社長(再建担当)
論点 祖業・繊維事業の存廃と経営責任
概要
2024年11月28日、ユニチカが祖業である繊維事業からの全面撤退と870億円規模の金融支援要請を発表し、上埜修司社長ら社内取締役全員が退陣する考えを示した経営判断。1889年創業以来135年余り続いた繊維事業の歴史に区切りをつけ、地域経済活性化支援機構(REVIC)の支援下でPETフィルムなど高分子事業を中核とする体制へ再編する契機となった。
背景
1969年の合併以来、繊維事業は慢性的な設備過剰と構造不況を抱え、1975年の工場閉鎖、2014年の375億円の金融支援を経てもなお赤字体質から抜け出せず、2024年3月期には上場来初となる営業赤字に転落した。
内容
衣料繊維・不織布・産業繊維の一部(全社売上高の4割強)からの撤退と、REVIC・取引銀行・メインバンクによる総額870億円の金融支援要請、資本金1億円への減資、社内取締役全員の退陣を同時に発表した。
含意
撤退表明は延命策の限界を認める決断であり、2025年にはREVICの過半出資と藤井実新社長体制が発足、セーレンやシキボウへの事業譲渡が進んだ。半世紀にわたる段階的縮小が、ここでひとつの区切りを迎えた。
筆者の見解

半世紀の延命の果てに

この決断の核心は、1969年の合併以来半世紀余り続いた「資産処分と設備縮小で赤字を穴埋めし、事業構造そのものは温存する」という対応の限界を、ユニチカ自身が認めた点にある。1975年の3工場閉鎖も、2014年の375億円の金融支援も、赤字幅を圧縮する対症療法にとどまり、繊維事業への依存構造は残り続けた。2024年3月期の上場来初の営業赤字は、その反復がついに限界に達したことを映す数字であったとみることができる。祖業を丸ごと手放すという選択には、延命ではなく再生を選ぶという、これまでとは異なる判断の重さがうかがえる。

もっとも、この決断が示すのは、事業の再生と会社の来歴が必ずしも同じ主体によって完結するとは限らないという現実でもある。祖業からの撤退と経営陣の総退陣は、上埜修司氏の手で決められたが、その後の再建は藤井実氏という後任と、REVICという外部資本、そしてセーレンの川田達男会長という買い手の手に委ねられた。135年続いた繊維事業の記憶は、ユニチカという会社籍を離れてなお、買い手のもとで問われ続けているといえる。

Yutaka Sugiura, 2026年7月

背景

祖業135年と繰り返された延命

ユニチカの祖業である繊維事業は、1889年創業の尼崎紡績に始まり、135年余りにわたって同社の中核をなしてきた。1969年にニチボーと日本レイヨンが合併して発足した新生ユニチカも、繊維業界の慢性的な設備過剰という構造問題を背景に生まれた会社であった。合併から6年後の1975年には、繊維構造不況による巨額赤字を受けて名古屋・犬山・桐生の3工場を閉鎖し、資産売却益で穴埋めする減量経営に踏み切っている。2024年の全面撤退は、この半世紀余り続いた縮小と延命の反復が行き着いた先であった[1]

もっとも、繊維事業の慢性赤字が表面化したのはこの時が初めてではなかった。2014年5月26日、ユニチカは繊維事業の不振により2015年3月期に連結最終赤字370億円、債務超過約160億円に陥る見通しとなり、三菱東京UFJ銀行など主要取引銀行に第三者割当増資の引き受けを含む金融支援を要請した。日本政策投資銀行系ファンドを含めて総額375億円を調達し、佐賀工場の閉鎖などの構造改革を進めたが、繊維事業の収益体質そのものは変わらなかった[2]

2023年度の営業赤字転落という契機

この10年で最初にほころびが表面化したのは、2024年3月期であった。ユニチカは同期の連結決算で売上高1183億円に対し営業損失25億円、経常損失10億円を計上し、上場来初めてとなる営業赤字に転落した。2023年度の業績悪化を受け、同社は2023年11月の中間決算発表の時点で通期赤字が確定的となり、金融支援や事業再編を含む対応策の検討に入っていた[3]

当時社長を務めていた上埜修司氏は、繊維事業の立て直しに取り組みながらも、2024年1月のインタビューで「特徴ある製品を伸ばし回復へ」と語り、汎用品からの脱却を模索していた。しかし価格転嫁が追いつかない衣料繊維や、採算の悪化した不織布・産業繊維の重荷は大きく、上埜氏の在任中に繊維事業単独での再建策は限界に近づいていた[4]

決断

全社売上高4割の繊維事業からの撤退表明

2024年11月28日、ユニチカは記者会見を開き、祖業である繊維事業から全面的に撤退すると発表した。対象は、子会社ユニチカトレーディングが手がける衣料繊維、不織布事業、中空糸膜などを除く産業繊維事業で、いずれも全社売上高の4割強を占めていた。国内では岡崎事業所(愛知県)の合繊工場やユニチカテキスタイル(岡山県)、ユニチカスピニング(長崎県)、大阪染工(大阪府)が、海外ではインドネシア・タイの現地法人が対象となり、譲渡先選定を含む事業再編が動き出した[5]

同時に示されたのが、870億円規模の金融支援要請であった。内訳は、官民ファンドの地域経済活性化支援機構(REVIC)による第三者割当増資と融資枠の設定で約350億円、取引銀行への債権放棄要請で約430億円、メインバンクの三菱UFJ銀行による融資枠設定で90億円である。あわせて資本金を1億円へ減資し、税負担の軽減も図ることとした[6]

経営責任としての退陣表明

経営責任の取り方についても、同じ会見で方針が示された。上埜修司社長は、金融機関との交渉が成立してREVICからの出資などの支援体制が整った段階で、社内取締役全員が退陣する考えを明らかにした。想定される時期は2025年4月下旬ごろとされ、支援の実現を条件に自ら身を引く形が取られた[7]

上埜修司社長は会見で「今回、ユニチカグループが存続するための最後のチャンスをいただいた」と述べ、金融機関や株主、取引先への負担を詫びたうえで、生き残りをかけて事業再生計画を遂行する考えを強調した。自らの退任については「退陣イコール経営責任を取った形とはならない」とも語り、事業譲渡が完了し2025年度のアクションプランを策定するまでは、経営の当事者として責任を果たす考えを示した[8]

結果

REVICの支援決定と藤井実新体制

2025年2月7日、ユニチカは大阪市内で臨時株主総会を開き、REVICからの支援を柱とする再建策と新経営陣の人事案を可決した。同月13日にはREVICから正式な出資決定の通知を受け、第三者割当増資によってREVICが議決権の過半を握る新たな資本構成へ移行することが決まった。取引金融機関も債権放棄に応じる方向で足並みをそろえた[9]

経営責任を取って上埜修司社長が退く一方、後任には1987年入社の生え抜きで技術畑を歩んできた藤井実上席執行役員(当時63歳)を充てる人事が固まった。藤井氏は2月7日の臨時株主総会で取締役に選任され、4月30日付でユニチカの社長に就任した。以後、藤井氏は繊維事業の譲渡交渉を陣頭指揮する立場となった[10]

雇用維持を掲げた事業譲渡とセーレン側の証言

藤井実社長は就任後、繊維事業の譲渡交渉にあたって「従業員の雇用を維持してくれるかどうかを最優先に複数企業と交渉している」との方針を掲げた。2025年9月2日、ユニチカは岡崎事業所(愛知県岡崎市)を中心とするポリエステル関連事業をセーレンへ譲渡すると発表し、譲渡価額は78億円、2026年1月1日付での事業開始が決まった。譲渡先の新会社は「NBセーレン」と名付けられ、従業員の雇用は引き続き維持される見通しとなった[11]

買収した側の証言も残る。セーレンの川田達男会長は、週刊東洋経済2026年3月28日号のインタビューで、ユニチカを支援する金融機関から「セーレンに何とかしてほしい」と強い要請があったことを明かし、赤字体質の工場であっても岡崎の立地と約500人の従業員という人材に価値を見いだしたと語った。毎年10億円以上の赤字を出していた工場について、川田氏は次期の2027年3月期には黒字転換できるとの見通しを示す一方、シキボウやカワボウへも衣料・不織布事業の一部譲渡が並行して進み、繊維事業の解体は2025年を通じて進行した[12]

出典・参考