京セラ米クアルコムの携帯電話端末事業の承継と、6期連続赤字
部品メーカーがなぜ完成品の世界市場へ出たのか——第二電電以来の端末事業を一気に広げる賭けと、その帰結
- 概要
- 2000年2月、京セラは米クアルコムからCDMA方式の携帯電話端末事業を承継し、キョウセラ・ワイヤレス・コーポレーション(KWC)を設けた。稲盛和夫氏が第二電電の設立以来育ててきた端末事業を一気にグローバル化する狙いがあり、京セラが部品メーカーから完成品メーカーへ事業の範囲を広げる判断でもあった。
- 背景
- 京セラの通信機器事業は、端末を供給していないNTTドコモの攻勢とPHSの苦戦、衛星携帯電話イリジウムの行き詰まりに直面し、打開策が求められていた。一方のクアルコムはCDMAの技術開発とライセンス供与を収入源と位置づけており、端末製造部門は売上1,000億円程度ながらほとんど利益を上げていなかった。双方の思惑が重なって承継が成立している。
- 内容
- 京セラは承継したKWCに余剰人員の削減とアメーバ経営の導入を進め、単月ベースでは早期に黒字を確保した。西口泰夫社長は今期1,000万台・1,300億円、京セラ本体を含めて1,500万台以上を見込むとそろばんをはじいている。買収時のKWCは約4,000人の従業員と税引前損失約45億円を抱えており、2001年には2,000人まで削った。
- 含意
- KWCは設立以来一度も通期黒字にならず、2005年9月中間期までに6期連続の赤字を計上した。世界シェアは2005年7〜9月期で1.0%の12位にとどまり、ノキアやモトローラとは生産台数が二桁違う。京セラは2005年5月に生産をEMS大手フレクトロニクスへ全面委託し、開発・設計・販売へ特化させた。
アメーバ経営は規模の劣位を埋められたか
この判断が突き当たったのは、採算管理では埋まらない規模の差であった。アメーバ経営は各アメーバに時間当たりの採算を負わせて既存事業の無駄を絞る手法であり、KWCでも単月黒字までは短期間で届いている。しかし携帯端末は台数が価格交渉力を決める市場で、億単位で作る上位メーカーに対して材料の購買力から劣後した。細かく採算を見る力と、規模で価格を決める力は別物である。
Yutaka Sugiura, 2026年8月
「赤字は罪悪」から外れた事業を抱え続けた理由
京セラは6期にわたって赤字の端末事業を抱え続けた。携帯端末は第二電電の設立以来、稲盛氏の思い入れが強い事業であり、赤字は罪悪とするアメーバ経営の原則からはすでに外れていた。加えて、従業員の物心両面の幸福を追求するという経営理念のもとで人員削減は基本的に認められず、一つの事業をたたむと、その人員の受け皿を別に用意しなければならない。撤退を選びにくくしていたのは採算の計算ではなく、創業者が置いた理念の側であった。
Yutaka Sugiura, 2026年8月
背景
端末を供給できないまま行き詰まった通信機器
京セラの通信機器事業は、1990年代半ばまで第二電電グループとともに伸びた。稲盛和夫氏は第二電電の設立当時から自動車電話が携帯電話になると見ており[1]、集積回路の集積度が幾何級数的に上がることを知っていた[2]ためであった。ところが2000年前後には、端末を供給していないNTTドコモの大攻勢に加えてPHSが苦戦し、衛星携帯電話イリジウムも行き詰まって、打開策が求められていた[3]。
利益を生まない端末部門を手放したい売り手
売り手のクアルコムはCDMA方式の携帯電話を開発したメーカーで、自社はCDMAの技術開発やライセンス供与を収入源と位置づけていた[4]。京セラが承継した端末製造部門はおよそ1,000億円程度の売り上げがありながら、利益はほとんど上げていなかった[5]とみられる。京セラは第二電電傘下のDDIセルラー・グループへCDMA方式の携帯電話を供給しており、クアルコムとは近い関係にあった[6]。
決断
部品メーカーが完成品の世界市場へ出る
2000年2月、京セラは米クアルコムの携帯電話端末事業を承継[7]し、キョウセラ・ワイヤレス・コーポレーションを設けた[8]。稲盛氏が第二電電を設立して以来育ててきた携帯端末事業を、一気にグローバル化する狙い[9]があった。同年4月には破綻した三田工業を全額減資のうえ京セラミタとして完全子会社化[10]しており、部品と完成品の二本立てで規模を追う構えが同時に固まっている。西口泰夫社長は1999年6月の就任時に2002年3月期の連結売上高1兆円を公約[11]したが、2001年3月期の予想が1兆2,000億円となり、目標は1年前倒し[12]で達成される見通しとなった。
アメーバ経営を移植して採算を立て直す
京セラはKWCへ余剰人員の削減とアメーバ経営の導入をただちに進め、単月ベースでは早期に黒字を確保[13]した。西口社長は今期1,000万台・1,300億円、京セラ本体を含めれば1,500万台以上を見込む[14]とそろばんをはじき、通期でも税引前利益率5%、早い時期での15%達成にも自信[15]を見せている。買収時のKWCは約4,000人の従業員と税引前損失約45億円を抱えており、2001年には2,000人まで削った[16]。既存市場の採算を細かく改善する手法を、そのまま海外の完成品事業へ当てる算段であった。
結果
一度も通期黒字にならなかった6期
KWCは設立以来、黒字になったことがなかった[17]。2005年9月中間期までに6期連続の赤字となり、同中間期だけで85億円の赤字を出している。うち30億円強はリストラ費用[18]であった。世界シェアは2005年7〜9月期で1.0%の12位[19]にとどまり、ノキア、モトローラ、サムスンといった上位メーカーが億単位の生産台数を持つのに対して、KWCの生産台数は3年前とほぼ同じ[20]であった。京セラは2005年5月、生産をシンガポールに本拠を置くEMS大手フレクトロニクスへ全面委託し、KWCを開発・設計・販売に特化[21]させている。
- 週刊東洋経済 2000年8月5日号「京セラ ケータイ・情報機器で加速 京都初1兆円企業の誕生」
- 週刊東洋経済 2001年9月15日号「電子部品1万人リストラでわかった優等生・京セラの“底力”」
- 週刊東洋経済 2006年1月21日号「京セラ 米国携帯電話から撤退も「超優良企業」の黄昏」
- 証券アナリストジャーナル 1995年11月号「京セラの海外展開と通信事業戦略」(稲盛和夫・第10回日本証券アナリスト大会記念講演)
- 京セラ 有価証券報告書 第71期(2025年3月期)【沿革】