稲盛和夫
京セラ・元社長
社長就任までの出自
出自
1932年1月30日、鹿児島県で印刷業を営む家の次男に生まれた。1955年に鹿児島大学工学部を出て京都の碍子メーカー松風工業へ入り、専攻の有機化学とは畑違いのセラミック開発にあたった。1958年に上司と対立して仲間とともに退社し、翌1959年、技術と人柄に惚れ込んだ京都の実業家らの出資300万円と、1,000万円の個人保証を得て京都セラミックを設立する。社長には出資者が就任し、稲盛氏は取締役技術部長として出発した。
社長に選ばれた経緯
抜擢
1964年に専務となり、1966年5月に34歳で社長へ就任した。前任の青山政次氏は、松風工業から稲盛氏とともに出た創業メンバーで、のちに監査役へ退いた。就任前年度の1966年3月期は単体売上高2億9,800万円・当期純利益1,900万円の小さな会社だった。前年の1965年には3度目の渡米で米テキサス・インスツルメンツの受注を取り、NASAの宇宙計画で使うセラミック部品の競争で最優秀の評価を得ていた。受注を自ら取ってきた技術部長を、そのまま経営へ据えた交代だった。
在任中の主な施策
施策
就任後は米国市場の開拓を進め、1969年7月に販売会社Kyocera International, Inc.を設け、1971年10月に大阪証券取引所市場第二部へ上場した。1982年10月にはサイバネット工業ほか3社を吸収合併して商号を京セラへ改め、1983年にはヤシカを合併した。1984年6月には本業と無縁の通信へ参入し、第二電電の設立に出資した。単体売上高は就任前年度の2億9,800万円から、退任年度の1986年3月期に2,466億円へ伸びている。
京都セラミックとして設立在任の評価
評価
執筆予定
経歴 1966〜1966年
在任中の業績
就任前(FY65)3億円
退任時-
変化-
就任前-
退任時-
変化-
参考文献 3件
- 日経ビジネス 1984年3月19日号「シリーズ創業経営者 稲盛和夫・京セラ社長 奇跡を生んだ“心の錬金術師”」(日経マグロウヒル社)
- 日経ビジネス 1975年12月8日号「未来進行形経営 しろうとこそ技術開発の担い手 稲盛和夫氏(京都セラミツク社長)が語る成長の秘密」(日経マグロウヒル社)
- 日経ビジネス 1973年7月9日号「稲盛和夫・京都セラミック社長 技術開発 ご用聞きに不可能はない」(日経マグロウヒル社)