1963年11月、日商(現・日商岩井)の社員だった久保徳雄氏は同社を辞め、東京放送から500万円の出資を受けて[1]、東京都港区に東京エレクトロン研究所を設立[2]した。久保氏は後年、理想の会社をつくりたいという夢を抱いて[3]商社から独立したと述べ、総合商社のなかで上から信頼してもらえず、やる気が出なかった経験がその下敷きにあったと明かしている。社名に『研究所』と付けたのは、ただの商社ではなく製造に近寄った形の技術サービス[4]が必要になると考えたからである。当初の業務はVTRやカーラジオの輸出と電子機器関係の輸入[5]で、社員は数名にすぎなかった。翌1964年5月、日商で半導体製造装置の輸入販売を担当していた小高敏夫氏が合流した[6]。小高氏は、その仕事が総合商社の体質に合わないビジネスだと痛感[7]し、新しい会社で自分の考える理想的なやり方を試すつもりでいた。
小高氏は入社の1週間後に渡米し、1964年5月末にサームコ社の拡散炉[8]の輸入販売を始めた。創立1年目の同社は東京放送本館内に10坪ほどの事務所[9]を借りるにすぎなかったが、同年10月[10]、総合商社との競り合いに勝って[11]フェアチャイルド社の総代理店となった。ICテスターの第1号機は代金4000万円を東京放送の債務保証[12]による銀行借入で支払い、日本電気に納入した。1963年から1964年にかけての日本では、ICの実用化について否定的な見方[13]が圧倒的に多かった。小高氏は日本電気・日立製作所・東芝・富士通を回ってICの将来性を説き、各社の開発責任者に同行して[14]フェアチャイルド社のIC工場を案内した。1974年9月の社報で小高氏は、大型テスターを日本で約180台納入[15]し、日本市場のシェアは1位だと報告した。
1971年8月のニクソン・ショックに続く変動相場制[16]への移行で、同社は利益が半減した。1973年の石油ショックが重なり、1974年9月期は売上の6割を占めた輸出部門が約3億円の赤字[17]を出した。小高氏は同年12月の社報で、経常利益が前期の3億3000万円から2億円へ減り[18]、その原因が輸出部門の赤字にあると社内へ報告した。利益では輸入部門が約5億円を稼いでいた[19]。小高氏は、カーステレオでは松下通信工業が生産を本格化させる[20]など大手が相次いで参入し、技術と商品の差はほとんどなく中小企業では太刀打ちできなかったとふり返った。輸出商品はすべて欧米企業のブランドで売るOEM[21]で、最終消費者の動向がつかめず、米国から突然注文が打ち切られると在庫の山ができた。完全撤退に最も強く反対した常務1人が辞任し、ほかに2人も独立などの別の理由[22]で去った後、1974年11月に久保徳雄社長・小高専務の体制が発足[23]した。
1974年12月の社報で[24]、小高氏は不採算部門の思い切った縮小と廃止を打ち出し、扱う商品を選ぶ7つの条件[25]を並べた。市場がこれから伸びること、競争相手が少なく大メーカーの主力製品でないこと[26]、他社が容易に参入できないこと、販売先が一流会社で代金回収の心配がないこと、扱うのに多額の資金が要らないこと、在庫している間に値崩れしないこと[27]、付加価値と利益率が高いこと。カーラジオ・カーステレオ・電卓の輸出は、この7条件から明らかに外れていた[28]。撤退は段階的に進み、電卓の輸出販売を1976年9月に[29]、カーステレオとトランシーバーの輸出販売を1978年9月に打ち切った。輸出高は1977年9月期の90億円から翌期は28億円[30]に減り、1979年9月期にゼロとなった。久保徳雄社長は、これらの市場が急拡大するなかで大きな販売網と資金がなければ競争に勝てない[31]と知って撤退したと語った。
1979年9月期の取扱製品は輸入品が約75%を占め[32]、子会社テルメックのプローバーと、サームコ社との合弁テル・サームコの拡散炉が全体の20%強[33]を占めた。テル・サームコを1968年に横浜へ設立[34]して以来、拡散炉は国産。売上高の25%を関連会社が自社生産した製品[35]が占め、輸入したシステムについても顧客の要望に応じた手直しやソフトウェアの開発という、製造メーカーの領域の仕事を担った[36]。これらの製品はアフターサービスに高度な技術力を要して能力開発への投資も大きく、経常利益率は商社型よりメーカー型に近くなる[37]と久保徳雄社長は説明した。1978年10月に社名を東京エレクトロン株式会社へ改め[38]、1980年6月に東京証券取引所市場第二部へ上場[39]した。1980年度の半導体製造機器の国内市場約1000億円のうち同社は約25%[40]を占めて首位に立ち、拡散炉・高圧酸化炉・減圧CVD炉の3品目は国内シェアがそれぞれ70%[41]に達した。
1983年に熊本へ初の自社工場[42]を建て、1984年2月にIC製造装置メーカーのテルメックを吸収合併し[43]、同年3月に東証第一部へ指定替え[44]となった。小高敏夫社長は一部昇格と同時に業種区分を商社から電機へ変えるよう求めた[45]が、認められなかった。1985年9月期に1501億円[46]まで伸びた売上高は、半導体不況で翌1986年9月期に843億円へ落ち[47]、営業利益は創業以来初の赤字[48]となった。1986年10月に吉田稔社長が辞任[49]し、2年前に会長へ退いていた小高氏が社長に復帰した。解任動議が出されたという証言[50]も流れた。内製化はその後も続き、1988年2月にテル・サームコの全株式を取得[51]し、1993年4月には東京エレクトロン相模と東京エレクトロン東北を合併[52]した。
https://the-shashi.com/api/companies.json https://the-shashi.com/api/8035/manifest.json https://the-shashi.com/api/8035/history.json https://the-shashi.com/api/8035/timeline.json https://the-shashi.com/api/8035/executives.json https://the-shashi.com/api/8035/shareholders.json https://the-shashi.com/api/8035/financials.json https://the-shashi.com/api/8035/financials-longterm.json https://the-shashi.com/api/8035/segments.json https://the-shashi.com/api/8035/regions.json https://the-shashi.com/api/8035/workforce.json | 時代 | 年月 | 社長・CEO | 出来事 | 重要度 |
|---|---|---|---|---|
| 1963〜1993年IC産業の仕掛人として商社からメーカーへの転換期 | 東京放送の出資を得た創業 1963年11月、日商(現・双日)を辞めた久保徳雄氏が、盟友の小高敏夫氏とともに東京エレクトロン研究所を設立した経営判断。まとまった資金を持たない久保氏は、東京放送(TBS)から資本金500万円の出資を引き出し、当時まだ実用化に懐疑的だったIC(集積回路)の製造装置という最先端領域を事業ドメインに選んだ。 詳細を読む | ★★★ | ||
| サームコ社と代理店契約を締結し拡散炉の輸入販売を開始 | ★★ | |||
| フェアチャイルド社と代理店契約を締結しICテスターの輸入販売を開始 | ★ | |||
| 大阪支社を開設 | ★ | |||
| Tokyo Electron America, Inc. を設立 | ★ | |||
| 久保徳雄 | 消費財輸出からの全面撤退 1974年、石油ショック下で社長に就いた久保徳雄氏と専務の小高敏夫氏が、売上の約6割を稼いでいた電卓・カーステレオなど消費財の輸出事業からの全面撤退を決め、半導体製造装置の輸入・国産化に経営資源を集中させた経営判断。撤退は電卓(1976年9月)、カーステレオ・トランシーバー(1978年9月)と段階的に完了した。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 久保徳雄 | 消費財輸出事業から全面撤退 | ★★ | ||
| 久保徳雄 | 桜洋行に合併 | ★ | ||
| 久保徳雄 | 東京証券取引所市場第二部に上場 | ★ | ||
| 小高敏夫 | 山梨事業所を開設 | ★ | ||
| 小高敏夫 | テルメックを合併 | ★ | ||
| 小高敏夫 | テル・ラムの全株式を取得しテル山梨に | ★ | ||
| 小高敏夫 | テル・サームコの全株式を取得しテル相模に | ★ | ||
| 小高敏夫 | 東京エレクトロンデバイスが電子部品販売を開始 | ★ | ||
| 井上皓 | 東京エレクトロンデバイスの全株式を取得 | ★ | ||
| 1994〜2015年グローバル化の光と影、AMAT統合構想までの拡大期 | 井上皓 | Tokyo Electron Europe Ltd. を設立 | ★ | |
| 井上皓 | 海外販売の直販体制への全面転換 1994年10月、東京エレクトロンが欧米向け半導体製造装置の販売を代理店経由から直販へ全面転換した経営判断。米テキサス州オースティンに戦略拠点を構え、海外法人のトップにはすべて現地の人間を据えて日本人はサポート役に回るという戦略を採り、6年間で国内依存の収益構造をグローバル型へ組み替えた。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 東哲郎 | Tokyo Electron Arizona, LLC を設立 | ★ | ||
| 東哲郎 | Supercritical Systems, Inc.の全株式を取得 | ★ | ||
| 東哲郎 | Timbre Technologies, Inc.の全株式を取得 | ★ | ||
| 東哲郎 | 東京エレクトロンデバイスを東京証券取引所市場第二部に上場 | ★ | ||
| 東哲郎 | Tokyo Electron (Shanghai) Ltd. を設立 | ★ | ||
| 佐藤潔 | TEL Technology Center, America, LLCを設立 | ★ | ||
| 竹中博司 | 営業赤字・純損失を計上 | ★★ | ||
| 竹中博司 | 太陽光パネル製造装置事業に参入 | ★★ | ||
| 東哲郎 | 東京エレクトロンとアプライドマテリアルズの経営統合(2013年合意・2015年破談) 2013年9月、半導体製造装置で世界首位級の米アプライドマテリアルズと、同分野上位の東京エレクトロンがオランダ登記の持株会社による対等統合に合意。だが各国の独占禁止法審査が難航し、2015年4月に解消された案件。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 東哲郎 | 太陽光パネル製造装置(PVE)事業からの撤退を決定 | ★★ | ||
| 東哲郎 | Applied Materials, Inc.との経営統合契約を解約 | ★★ | ||
| 2016〜2025年独自路線の躍進と生成AI時代の収益拡大期 | 河合利樹 | 東京エレクトロン九州 合志事業所に新開発棟の建設を決定 | ★ | |
| 河合利樹 | 新中期経営計画を発表(FY2027目標) | ★ | ||
| 河合利樹 | 東京エレクトロン宮城 生産新棟の建設を発表 | ★ | ||
| 河合利樹 | 東京エレクトロン九州 合志事業所の新開発棟(プロセス開発棟)が竣工 | ★ |
免責事項およびポリシー
事実根拠:出所(東京エレクトロン)