日本マイクロニクスは1970年11月、東京都目黒区上目黒五丁目27番16号にトーワ電気株式会社として設立された[1]。トーワ電気はシンクロスコープ、ファクシミリ、産業半導体、真空試験装置のメンテナンスを設立の目的に掲げた[2]。4つの対象はいずれも他社が作った機器であり、トーワ電気は自社製品の設計と製造を設立時の事業に含めていない[3]。創業者の長谷川義榮氏は1939年5月3日生まれで、設立と同時に代表取締役社長へ就いた[4]。長谷川社長は2007年4月に代表取締役会長へ移るまで、36年5か月にわたって社長を務めた[5]。
設立から8か月後の1971年7月、トーワ電気は本社を東京都目黒区から東京都武蔵野市へ移した[6]。移転と同じ月に、半導体を対象とした計測技術および微細加工技術の研究開発に取りかかった[7]。1973年11月には半導体検査装置および精密測定機器を開発し、販売を始めた[8]。設立から3年1か月で、同社は他社が作った機器を保守する立場から、自社で設計した機器を売る立場へ移った[9]。日本マイクロニクスは後年、1970年に電子測定技術を活かした電子機器の保守事業から始まり、1973年から半導体関連の検査・測定機器の開発・製造・販売を行ってきたと要約した[10]。
長谷川義榮社長は1997年4月22日の講演で、日本マイクロニクスの仕事はエレクトロニクスの状態を測定する会社の手伝いだと説明した[11]。半導体を量産するのは大手電機メーカーであり、それが正しく作動しているかどうかを測定するテスターは測定機メーカー各社が作る[12]。日本マイクロニクスはそのどちらにも入らず、接触技術によって半導体の微細な加工の状態に触れ、電気信号を取り出してテスターへ正しく伝える部分を担った[13]。半導体メーカーからの高度な技術開発の要請に応えるため、同社は微小電流の計測技術と高精度の加工技術の研究開発を進めた[14]。
1975年4月、トーワ電気株式会社は商号を株式会社日本マイクロニクスへ変更した[15]。長谷川社長は1997年4月22日の講演で、社名のマイクロニクスは10のマイナス6乗という非常に小さなマイクロエレクトロニクスをもじった造語だと述べた[16]。同じ講演で長谷川社長は、日本マイクロニクスが使う単位としてナノ、ピコの下のフェムトを挙げ、フェムトアンペアのピックアップに世界で初めて成功したと説明した[17]。フェムトは10のマイナス15乗を指し、フェムトアンペアは1,000兆分の1アンペアにあたる[18]。社名に採った10のマイナス6乗より9桁小さい電流が、同社の測定の対象である。
1976年3月、日本マイクロニクスはプローブカードを開発した[19]。長谷川義榮社長は1997年4月22日の講演で、プローブは接触して電気を探る針を指すと述べた[20]。翌1977年8月には、マニュアルプローバの1号機を完成させた[21]。プローバは、プローブボードを取り付けた装置を指す[22]。針を持つ器具と、それを取り付ける装置の両方を、同社は1年5か月のうちに揃えた[23]。同社の製品の役割は、接触技術によって半導体の非常に微細な加工の状態に触れ、電気信号を取り出して、その状態を正しくテスターへ伝えることにある[24]。
1981年5月、日本マイクロニクスは青森県南津軽郡平賀町に平賀工場を新設した[25]。平賀町は現在の青森県平川市にあたり、設立から10年6か月を経て、同社は東京都武蔵野市の本社から離れた場所に工場を構えた[26]。1983年1月には、マニュアルプローバのモデル705が日経産業新聞に重要特許抄録として取り上げられた[27]。取り上げられたモデル705は、1977年8月に1号機を完成させたマニュアルプローバの型式にあたる[28]。1970年11月の設立から1983年1月までに、同社は他社製機器の保守の受託から、プローブカードとマニュアルプローバの製造へ事業を入れ替えた[29]。
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|---|---|---|---|---|
| 1970〜1984年トーワ電気の保守業から日本マイクロニクスのプローブカードへ | 長谷川義榮 | 半導体・真空試験装置の保守を目的として東京都目黒区にトーワ電気を設立 | ★★ | |
| 長谷川義榮 | 本社を東京都武蔵野市に移転し計測技術と微細加工技術の研究開発に着手 | ★★ | ||
| 長谷川義榮 | 半導体検査装置と精密測定機器の開発・販売を開始 | ★★★ | ||
| 長谷川義榮 | 商号を日本マイクロニクスに変更 | ★★ | ||
| 長谷川義榮 | プローブカードを開発 | ★★★ | ||
| 長谷川義榮 | マニュアルプローバ1号機が完成 | ★★ | ||
| 長谷川義榮 | 青森県南津軽郡平賀町に平賀工場を新設 | ★ | ||
| 1985〜2004年液晶基板検査装置1号機と40%を握ったプローブボード | 長谷川義榮 | 青森県南津軽郡平賀町に新平賀工場を新設 | ★ | |
| 長谷川義榮 | 大分県大分市に大分工場を新設 | ★ | ||
| 長谷川義榮 | 液晶ディスプレイ検査装置1号機が完成 | ★★★ | ||
| 長谷川義榮 | 熊本県熊本市に熊本工場を新設 | ★ | ||
| 長谷川義榮 | 東京都三鷹市に研究開発センターを開設 | ★ | ||
| 長谷川義榮 | パッケージプローブの開発に着手 | ★★ | ||
| 長谷川義榮 | 日本証券業協会に株式を店頭登録 | ★ | ||
| 長谷川義榮 | 米国にサンノゼ支店を開設 | ★ | ||
| 長谷川義榮 | 青森県南津軽郡平賀町に青森松崎工場を増設 | ★ | ||
| 長谷川義榮 | 中国に旺傑芯微電子(上海)有限公司を設立 | ★ | ||
| 長谷川義榮 | 店頭登録を取消しジャスダック証券取引所に株式を上場 | ★ | ||
| 2005〜2015年世界初の一括測定プローブカードと、量産に届かなかったバテナイス | 長谷川義榮 | 世界初の8インチウェーハ一括測定プローブカードを製品化 | ★★★ | |
| 長谷川義榮 | 半導体BISTテスタを製品化 | ★★ | ||
| 長谷川正義 | 韓国にMEK Co.,Ltd.を設立 | ★ | ||
| 長谷川正義 | 東京証券取引所JASDAQ(スタンダード)に上場 | ★ | ||
| 長谷川正義 | 東京証券取引所市場第一部に上場 | ★ | ||
| 2016〜2025年液晶検査の縮小と、HBM向けプローブカードによる売上702億円 | 長谷川正義 | 決算期を9月30日から12月31日に変更 | ★★ | |
| 長谷川正義 | 東京証券取引所の市場区分見直しによりプライム市場に移行 | ★ | ||
| 長谷川正義 | 青森工場に新棟を増築 | ★ |
免責事項およびポリシー
事実根拠:出所(日本マイクロニクス)