日本マイクロニクス の歴史

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創業 1970年
創業者 長谷川義榮
創業地 東京都目黒区
創業
1970年11月、長谷川義榮氏が東京都目黒区上目黒にトーワ電気株式会社を設立した。設立の目的はシンクロスコープ、ファクシミリ、産業半導体、真空試験装置の保守で、いずれも他社が作った機器であり、自社製品の設計と製造は事業に含まれていない。1971年7月に本社を武蔵野市へ移し、同じ月に半導体を対象とした計測技術と微細加工技術の研究開発に着手する。1973年11月には半導体検査装置と精密測定機器を自社で開発して販売を始め、1975年4月に商号を株式会社日本マイクロニクスへ変更した。1976年3月にプローブカードを、翌1977年8月にマニュアルプローバの1号機を完成させ、1981年5月には青森県平賀町へ平賀工場を新設している。
決断
測る装置ではなく、装置と半導体が触れる一点を事業にした。長谷川義榮社長は1997年の講演で、半導体を量産するのは大手電機メーカー、テスターを作るのは測定機メーカーであり、日本マイクロニクスはそのどちらにも入らず、接触技術で微細な加工の状態に触れて電気信号をテスターへ正しく伝える部分を担うと説明している。1985年12月には日本初の液晶基板専用の検査装置を完成させて2つ目の事業とし、2005年1月には世界初の8インチウェーハ一括測定プローブカードを製品化した。2013年に発表した新型二次電池バテナイスは技術的な課題が見つかって量産に達せず、2021年1月に新事業研究開発本部を解体して機能を2つの事業部へ配し、研究開発費の約8割をプローブカードへ投じている。
現況
売上の半分を、韓国の1社が出している。2024年12月期はSamsung Electronics向けが276億円で売上の49.7%を占め、Micron Memory Taiwanの88億円が16.0%で続いた。2025年12月期の連結売上高702億円のうちプローブカード事業が685億円とセグメント利益208億円を出し、TE事業は16億円の売上で8億円の損失を出している。地域別では韓国373億円・台湾216億円に対し日本は51億円で、海外が92%を占める。生成AIのHBM需要を受け、2024年11月に中期経営計画FV26の目標を売上高800億円・営業利益200億円へ引き上げた。2013年に自らリスク項目として書き加えた特定顧客への集中は、10年余りで売上の半分に達した。
競合
技術を供与した相手が、そのまま価格の競争相手になった。韓国のDEMCO PROBEとは1986年5月から、台湾のMJC PROBEとは1996年12月からプローブカード製造の技術供与契約が続く。日本マイクロニクスは有価証券報告書に、世界に100社内外の競合があり、人件費の比較的安い韓国・台湾のメーカーとの受注競争は価格面で厳しいと記した。2015年3月には液晶基板検査装置の技術も台湾企業へ移管している。一方で大手半導体メーカーの内製は、自社だけへの供給では設備が重荷になり技術でも遅れるため、成功した例がない。AI・HBM向けの試験需要へ生産能力を先行して投じたアドバンテストと同じHBM需要のなかで、内製が成り立たず後発も安い領域にとどまったことが、韓国と台湾の量産工場へ直接納める位置を残した。
長期業績の推移 1997〜2025年
日本マイクロニクス:長期業績の推移(売上高・利益率)売上高(億円純利益率(%)
2001年9月期2025年12月期

創業ストーリー トーワ電気の保守業から日本マイクロニクスのプローブカードへ (1970年〜)

創業ストーリー(1)

トーワ電気の設立と1971年の武蔵野市への移転

日本マイクロニクスは1970年11月、東京都目黒区上目黒五丁目27番16号にトーワ電気株式会社として設立された[1]。トーワ電気はシンクロスコープ、ファクシミリ、産業半導体、真空試験装置のメンテナンスを設立の目的に掲げた[2]。4つの対象はいずれも他社が作った機器であり、トーワ電気は自社製品の設計と製造を設立時の事業に含めていない[3]。創業者の長谷川義榮氏は1939年5月3日生まれで、設立と同時に代表取締役社長へ就いた[4]。長谷川社長は2007年4月に代表取締役会長へ移るまで、36年5か月にわたって社長を務めた[5]

  • 日本マイクロニクス 有価証券報告書【沿革】
    • [1]1970年11月、東京都目黒区上目黒五丁目27番16号にトーワ電気株式会社を設立した
    • [2]設立の目的はシンクロスコープ、ファクシミリ、産業半導体、真空試験装置のメンテナンスであった
    • [3]沿革に記された設立目的は4種の機器のメンテナンスのみで、自社製品の開発・販売の記載は1973年11月が最初である
  • 日本マイクロニクス 有価証券報告書 第39期(2009年9月期)【役員の状況】
    • [4]長谷川義榮は1939年5月3日生まれで、1970年11月にトーワ電気株式会社(現 株式会社日本マイクロニクス)を設立し代表取締役社長に就任した
    • [5]長谷川義榮の社長在任は1970年11月から2007年4月までで、2007年4月に代表取締役会長となった

設立から8か月後の1971年7月、トーワ電気は本社を東京都目黒区から東京都武蔵野市へ移した[6]。移転と同じ月に、半導体を対象とした計測技術および微細加工技術の研究開発に取りかかった[7]。1973年11月には半導体検査装置および精密測定機器を開発し、販売を始めた[8]。設立から3年1か月で、同社は他社が作った機器を保守する立場から、自社で設計した機器を売る立場へ移った[9]。日本マイクロニクスは後年、1970年に電子測定技術を活かした電子機器の保守事業から始まり、1973年から半導体関連の検査・測定機器の開発・製造・販売を行ってきたと要約した[10]

  • 日本マイクロニクス 有価証券報告書【沿革】
    • [6]1971年7月、東京都武蔵野市に本社を移転した
    • [7]1971年7月、半導体を対象とした計測技術及び微細加工技術の研究開発を開始した
    • [8]1973年11月、半導体検査装置及び精密測定機器を開発し、販売を開始した
    • [9]1970年11月の設立目的はメンテナンスであり、1973年11月に半導体検査装置及び精密測定機器の開発・販売を開始した(設立から3年1か月)
  • 日本マイクロニクス 有価証券報告書 第46期(2016年9月期)【対処すべき課題】
    • [10]昭和45年に電子測定技術を活かした電子機器の保守事業からスタートし、昭和48年から半導体関連の検査・測定機器の開発・製造・販売を行ってきた
  • 日本マイクロニクス 有価証券報告書【沿革】
    • [1]1970年11月、東京都目黒区上目黒五丁目27番16号にトーワ電気株式会社を設立した
    • [2]設立の目的はシンクロスコープ、ファクシミリ、産業半導体、真空試験装置のメンテナンスであった
    • [3]沿革に記された設立目的は4種の機器のメンテナンスのみで、自社製品の開発・販売の記載は1973年11月が最初である
    • [6]1971年7月、東京都武蔵野市に本社を移転した
    • [7]1971年7月、半導体を対象とした計測技術及び微細加工技術の研究開発を開始した
    • [8]1973年11月、半導体検査装置及び精密測定機器を開発し、販売を開始した
    • [9]1970年11月の設立目的はメンテナンスであり、1973年11月に半導体検査装置及び精密測定機器の開発・販売を開始した(設立から3年1か月)
  • 日本マイクロニクス 有価証券報告書 第39期(2009年9月期)【役員の状況】
    • [4]長谷川義榮は1939年5月3日生まれで、1970年11月にトーワ電気株式会社(現 株式会社日本マイクロニクス)を設立し代表取締役社長に就任した
    • [5]長谷川義榮の社長在任は1970年11月から2007年4月までで、2007年4月に代表取締役会長となった
  • 日本マイクロニクス 有価証券報告書 第46期(2016年9月期)【対処すべき課題】
    • [10]昭和45年に電子測定技術を活かした電子機器の保守事業からスタートし、昭和48年から半導体関連の検査・測定機器の開発・製造・販売を行ってきた
創業ストーリー(2)

株式会社日本マイクロニクスへの改称と社名の由来

長谷川義榮社長は1997年4月22日の講演で、日本マイクロニクスの仕事はエレクトロニクスの状態を測定する会社の手伝いだと説明した[11]。半導体を量産するのは大手電機メーカーであり、それが正しく作動しているかどうかを測定するテスターは測定機メーカー各社が作る[12]。日本マイクロニクスはそのどちらにも入らず、接触技術によって半導体の微細な加工の状態に触れ、電気信号を取り出してテスターへ正しく伝える部分を担った[13]。半導体メーカーからの高度な技術開発の要請に応えるため、同社は微小電流の計測技術と高精度の加工技術の研究開発を進めた[14]

  • 証券アナリストジャーナル 1997年5月号(長谷川義栄・寄稿)
    • [11]長谷川義栄は1997年4月22日の講演で、同社の仕事はエレクトロニクスの状態を測定する会社の手伝いをしていると述べた
    • [12]半導体は大手電機メーカーが量産し、それが正しく作動しているかどうかを測定する機器(テスター)は測定機メーカー各社が作っている
    • [13]同社の製品の役割は、接触技術により半導体の非常に微細な加工の状態にコンタクトして電気信号をとり出し、その電気の状態を正しくテスターに伝えることにある
    • [14]半導体メーカーからの高度な技術開発の要請に応えるため、微小電流の計測技術と高精度の加工技術の研究開発に取り組んできた

1975年4月、トーワ電気株式会社は商号を株式会社日本マイクロニクスへ変更した[15]。長谷川社長は1997年4月22日の講演で、社名のマイクロニクスは10のマイナス6乗という非常に小さなマイクロエレクトロニクスをもじった造語だと述べた[16]。同じ講演で長谷川社長は、日本マイクロニクスが使う単位としてナノ、ピコの下のフェムトを挙げ、フェムトアンペアのピックアップに世界で初めて成功したと説明した[17]。フェムトは10のマイナス15乗を指し、フェムトアンペアは1,000兆分の1アンペアにあたる[18]。社名に採った10のマイナス6乗より9桁小さい電流が、同社の測定の対象である。

  • 日本マイクロニクス 有価証券報告書【沿革】
    • [15]1975年4月、商号を株式会社日本マイクロニクスに変更した
  • 証券アナリストジャーナル 1997年5月号(長谷川義栄・寄稿)
    • [16]社名のマイクロニクスは、10のマイナス6乗という非常に小さなマイクロエレクトロニクスをもじって作った造語である
    • [17]ナノ、ピコの上のフェムトという数字までをよく使い、世界で初めてフェムトアンペアのピックアップに成功した
    • [18]フェムトは10のマイナス15乗であり、フェムトアンペアは1,000兆分の1アンペアである
  • 証券アナリストジャーナル 1997年5月号(長谷川義栄・寄稿)
    • [11]長谷川義栄は1997年4月22日の講演で、同社の仕事はエレクトロニクスの状態を測定する会社の手伝いをしていると述べた
    • [12]半導体は大手電機メーカーが量産し、それが正しく作動しているかどうかを測定する機器(テスター)は測定機メーカー各社が作っている
    • [13]同社の製品の役割は、接触技術により半導体の非常に微細な加工の状態にコンタクトして電気信号をとり出し、その電気の状態を正しくテスターに伝えることにある
    • [14]半導体メーカーからの高度な技術開発の要請に応えるため、微小電流の計測技術と高精度の加工技術の研究開発に取り組んできた
    • [16]社名のマイクロニクスは、10のマイナス6乗という非常に小さなマイクロエレクトロニクスをもじって作った造語である
    • [17]ナノ、ピコの上のフェムトという数字までをよく使い、世界で初めてフェムトアンペアのピックアップに成功した
    • [18]フェムトは10のマイナス15乗であり、フェムトアンペアは1,000兆分の1アンペアである
  • 日本マイクロニクス 有価証券報告書【沿革】
    • [15]1975年4月、商号を株式会社日本マイクロニクスに変更した
創業ストーリー(3)

プローブカード開発から平賀工場の新設まで

1976年3月、日本マイクロニクスはプローブカードを開発した[19]長谷川義榮社長は1997年4月22日の講演で、プローブは接触して電気を探る針を指すと述べた[20]。翌1977年8月には、マニュアルプローバの1号機を完成させた[21]。プローバは、プローブボードを取り付けた装置を指す[22]。針を持つ器具と、それを取り付ける装置の両方を、同社は1年5か月のうちに揃えた[23]。同社の製品の役割は、接触技術によって半導体の非常に微細な加工の状態に触れ、電気信号を取り出して、その状態を正しくテスターへ伝えることにある[24]

  • 日本マイクロニクス 有価証券報告書【沿革】
    • [19]1976年3月、プローブカードを開発した
    • [21]1977年8月、マニュアルプローバ1号機を完成した
    • [23]1976年3月にプローブカードを開発し、1977年8月にマニュアルプローバ1号機を完成した(1年5か月)
  • 証券アナリストジャーナル 1997年5月号(長谷川義栄・寄稿)
    • [20]プローブとは、接触して電気を探る針のことをいう
    • [22]プローブボードをとりつけた装置をプローバという
    • [24]同社の製品の役割は、接触技術により半導体の非常に微細な加工の状態にコンタクトして電気信号をとり出し、その電気の状態を正しくテスターに伝えることにある

1981年5月、日本マイクロニクスは青森県南津軽郡平賀町に平賀工場を新設した[25]。平賀町は現在の青森県平川市にあたり、設立から10年6か月を経て、同社は東京都武蔵野市の本社から離れた場所に工場を構えた[26]。1983年1月には、マニュアルプローバのモデル705が日経産業新聞に重要特許抄録として取り上げられた[27]。取り上げられたモデル705は、1977年8月に1号機を完成させたマニュアルプローバの型式にあたる[28]。1970年11月の設立から1983年1月までに、同社は他社製機器の保守の受託から、プローブカードとマニュアルプローバの製造へ事業を入れ替えた[29]

  • 日本マイクロニクス 有価証券報告書【沿革】
    • [25]1981年5月、青森県南津軽郡平賀町に平賀工場を新設した
    • [26]平賀工場の所在地である青森県南津軽郡平賀町は現在の青森県平川市であり、本社は1971年7月から東京都武蔵野市にある
    • [27]1983年1月、マニュアルプローバ(モデル705)が日経産業新聞に重要特許抄録としてとりあげられた
    • [28]1977年8月にマニュアルプローバ1号機を完成し、1983年1月にマニュアルプローバ(モデル705)が重要特許抄録にとりあげられた
    • [29]1970年11月の設立目的はメンテナンスで、1976年3月にプローブカードを開発、1977年8月にマニュアルプローバ1号機を完成した
  • 日本マイクロニクス 有価証券報告書【沿革】
    • [19]1976年3月、プローブカードを開発した
    • [21]1977年8月、マニュアルプローバ1号機を完成した
    • [23]1976年3月にプローブカードを開発し、1977年8月にマニュアルプローバ1号機を完成した(1年5か月)
    • [25]1981年5月、青森県南津軽郡平賀町に平賀工場を新設した
    • [26]平賀工場の所在地である青森県南津軽郡平賀町は現在の青森県平川市であり、本社は1971年7月から東京都武蔵野市にある
    • [27]1983年1月、マニュアルプローバ(モデル705)が日経産業新聞に重要特許抄録としてとりあげられた
    • [28]1977年8月にマニュアルプローバ1号機を完成し、1983年1月にマニュアルプローバ(モデル705)が重要特許抄録にとりあげられた
    • [29]1970年11月の設立目的はメンテナンスで、1976年3月にプローブカードを開発、1977年8月にマニュアルプローバ1号機を完成した
  • 証券アナリストジャーナル 1997年5月号(長谷川義栄・寄稿)
    • [20]プローブとは、接触して電気を探る針のことをいう
    • [22]プローブボードをとりつけた装置をプローバという
    • [24]同社の製品の役割は、接触技術により半導体の非常に微細な加工の状態にコンタクトして電気信号をとり出し、その電気の状態を正しくテスターに伝えることにある

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沿革年表 1970〜2024年

日本マイクロニクスの沿革1970〜2024年における主な出来事を抜粋

時代年月社長・CEO出来事重要度
1970〜1984年トーワ電気の保守業から日本マイクロニクスのプローブカードへ長谷川義榮半導体・真空試験装置の保守を目的として東京都目黒区にトーワ電気を設立★★
長谷川義榮本社を東京都武蔵野市に移転し計測技術と微細加工技術の研究開発に着手★★
長谷川義榮半導体検査装置と精密測定機器の開発・販売を開始★★★
長谷川義榮商号を日本マイクロニクスに変更★★
長谷川義榮プローブカードを開発★★★
長谷川義榮マニュアルプローバ1号機が完成★★
長谷川義榮青森県南津軽郡平賀町に平賀工場を新設
1985〜2004年液晶基板検査装置1号機と40%を握ったプローブボード長谷川義榮青森県南津軽郡平賀町に新平賀工場を新設
長谷川義榮大分県大分市に大分工場を新設
長谷川義榮液晶ディスプレイ検査装置1号機が完成★★★
長谷川義榮熊本県熊本市に熊本工場を新設
長谷川義榮東京都三鷹市に研究開発センターを開設
長谷川義榮パッケージプローブの開発に着手★★
長谷川義榮日本証券業協会に株式を店頭登録
長谷川義榮米国にサンノゼ支店を開設
長谷川義榮青森県南津軽郡平賀町に青森松崎工場を増設
長谷川義榮中国に旺傑芯微電子(上海)有限公司を設立
長谷川義榮店頭登録を取消しジャスダック証券取引所に株式を上場
2005〜2015年世界初の一括測定プローブカードと、量産に届かなかったバテナイス長谷川義榮世界初の8インチウェーハ一括測定プローブカードを製品化★★★
長谷川義榮半導体BISTテスタを製品化★★
長谷川正義韓国にMEK Co.,Ltd.を設立
長谷川正義東京証券取引所JASDAQ(スタンダード)に上場
長谷川正義東京証券取引所市場第一部に上場
2016〜2025年液晶検査の縮小と、HBM向けプローブカードによる売上702億円長谷川正義決算期を9月30日から12月31日に変更★★
長谷川正義東京証券取引所の市場区分見直しによりプライム市場に移行
長谷川正義青森工場に新棟を増築
出典・参考 4件
出典・参考
  • 日本マイクロニクス 有価証券報告書 第39期(2009年9月期)【役員の状況】
  • 日本マイクロニクス 有価証券報告書 第46期(2016年9月期)【対処すべき課題】
  • 日本マイクロニクス 有価証券報告書【沿革】
  • 証券アナリストジャーナル 1997年5月号(長谷川義栄・寄稿)

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