1949年 通信機器メーカー国際電気に育った半導体製造装置の系譜
- 1949年国際電気株式会社を設立
- 1956年単結晶引上装置を受注し半導体製造装置事業に参入
- 1961年東京証券取引所に上場(同年に市場第一部指定)
KOKUSAIエレクトリックの業績推移:単体
出所:有価証券報告書・会社四季報等
二つの系譜を抱えて生まれた国際電気
1949年、電気通信機器および高周波応用機器の製造販売を目的として国際電気株式会社が設立された。無線通信機器を主力とする一方、1956年にはゲルマニウムやシリコンの単結晶引上装置を受注し、半導体製造装置の分野へ早くから参入した。1961年には東京証券取引所へ上場し、同年に市場第一部の指定を受けている。半導体産業が生まれて間もない時期に、材料と製造プロセスを支える装置メーカーとしての足場を得た会社であり、この二つの事業のうち半導体製造装置はやがて世界市場で確かな地歩を占める製品へと育っていく。 [1][2][3]
- [1]1949年に電気通信機器・高周波応用機器の製造販売を目的として国際電気株式会社を設立
- [2]1956年にゲルマニウム・シリコンの単結晶引上装置を受注し半導体製造装置事業に参入
- [3]1961年に東京証券取引所へ上場し同年に市場第一部の指定を受けた
国際電気は無線通信という祖業と、半導体製造装置という新しい事業を並べ持って歩んだ。前者は放送や防災の無線機器へ、後者は半導体メーカーの生産ラインへと、異なる顧客と市場を相手にする事業であった。半導体の量産が本格化するにつれ、製造装置は一台あたりの単価が高く利益率も大きい事業へと育ち、会社のなかで存在感を強めていった。性格の異なる二つの柱を一社で抱える形は、それぞれに適した投資の速度や経営判断を求めるものであり、長い目で見れば、いずれ別々の会社として歩む可能性をはらむ構造でもあった。
- [1]1949年に電気通信機器・高周波応用機器の製造販売を目的として国際電気株式会社を設立
- [2]1956年にゲルマニウム・シリコンの単結晶引上装置を受注し半導体製造装置事業に参入
- [3]1961年に東京証券取引所へ上場し同年に市場第一部の指定を受けた
世界シェアを生むバッチ式成膜装置の技術
国際電気が育てた半導体製造装置の中核が、縦型の炉に数十枚のウェハーをまとめて入れて薄膜をつくるバッチ式の熱処理成膜装置であった。回路の素材となる層をシリコンウェハー上に均一に積む成膜は、半導体づくりに欠かせない工程である。この領域で同社は原子層堆積法と呼ばれる方式の技術を長く磨き、数十枚を一度に扱うバッチ方式で生産効率と膜質を両立させる独自の技を積み上げた。半導体の微細化が進むほど成膜の精度が求められるなかで、この方式は薄膜を一層ずつ精密に重ねられる強みを持っていた。半導体の集積度が上がるほど、この精密さは装置選びで重んじられるようになった。 [4][5]
- 週刊東洋経済 2024年2月10日号(KOKUSAI ELECTRIC 金井史幸社長インタビュー)
- [4]中核製品は縦型炉で数十枚のウェハーをまとめて処理するバッチ式の熱処理成膜装置
- [5]成膜はウェハー上に回路の素材となる層をつくる半導体製造の必須工程で、ALD方式の技術を持つ
バッチ式の原子層堆積法について、金井史幸社長は「ノウハウの塊のような非常に難しい技術」と述べている。装置のなかで原子の層を一枚ずつ積み上げる制御は、わずかな条件の違いで膜の質が変わる繊細なもので、国際電気は半導体メーカーと組みながら長い時間をかけて改良を重ねた。競合の東京エレクトロンとはほとんどの顧客で競合しながらも、バッチ方式の原子層堆積法では先行して技術を磨き、容易には追随されない蓄積を築いた。この地道な積み上げが、のちに世界シェア約7割という高い位置へとつながっていく。 [6][7]
- 週刊東洋経済 2024年2月10日号(KOKUSAI ELECTRIC 金井史幸社長インタビュー)
- [6]金井史幸社長はバッチALDを「ノウハウの塊のような非常に難しい技術」と述べた
- [7]バッチ方式のALDで東京エレクトロンと競合しつつ先行して技術を磨いた
- 週刊東洋経済 2024年2月10日号(KOKUSAI ELECTRIC 金井史幸社長インタビュー)
- [4]中核製品は縦型炉で数十枚のウェハーをまとめて処理するバッチ式の熱処理成膜装置
- [5]成膜はウェハー上に回路の素材となる層をつくる半導体製造の必須工程で、ALD方式の技術を持つ
- [6]金井史幸社長はバッチALDを「ノウハウの塊のような非常に難しい技術」と述べた
- [7]バッチ方式のALDで東京エレクトロンと競合しつつ先行して技術を磨いた