久保徳雄

東京エレクトロン・元取締役社長

Kubo Tokuo(敬称略)

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社長就任 1974年11月
生年月日 —
出自 —
社長就任までの出自
出自

1963年11月に東京エレクトロン研究所を設立した。創立1年目の事務所は東京放送本館内の10坪ほどで、ICテスター第1号機の代金4000万円は東京放送の債務保証による銀行借入で支払った。1963年10月には総合商社との競り合いを制してフェアチャイルド社との総代理店契約が成立し、久保氏がシリコンバレーへ飛んで署名した。

社長に選ばれた経緯
抜擢

1974年9月期は、売上の6割を占めた輸出部門が赤字に転じ、その額は約3億円だった。経常利益は前期の3億3000万円から2億円へ減り、その原因が輸出部門の赤字にあると社報で報告された。利益は輸入部門の約5億円が支えていた。消費財輸出からの完全撤退に最も強く反対した常務1人が辞任し、ほかに2人も独立などの理由で去った。その直後の1974年11月、久保徳雄社長・小高敏夫専務の体制が発足した。

在任中の主な施策
施策

消費財の輸出から段階的に撤退し、電卓の輸出販売を1976年9月、カーステレオとトランシーバーの輸出販売を1978年9月に打ち切った。輸出高は1977年9月期の90億円から1979年9月期にゼロとなった。市場が急拡大するなかで大きな販売網と資金がなければ競争で優位に立てないと見ての撤退だった。1978年10月に社名を東京エレクトロン株式会社へ改め、1980年6月に東京証券取引所市場第二部へ上場した。1980年度の半導体製造機器の国内市場約1000億円のうち約25%を占めて首位に立った。 東京放送の出資で創業

在任の評価
評価

執筆予定

経歴 1956〜1996年
在任中の業績
就任前(FY73)248億円
退任時-
変化-
就任前-
退任時-
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