1951年〜 ラジオ東京の設立からテレビ参入、東京放送への改称と東証上場まで
- 1951年関東地区で最初の民間放送局として、東京都千代田区霞が関に資本金1億5千万円で株式会社ラジオ東京を設立した。
- 1951年千代田区有楽町でラジオ本放送を開始。呼出符号JOKR、周波数1130キロヘルツ、出力50キロワット。
- 1955年東京都港区赤坂でテレビ本放送を開始。呼出符号JOKR-TV、チャンネル6、映像出力10キロワット。
- 1960年テレビのカラー本放送を開始。
- 1960年商号を株式会社東京放送に、略称をKRTからTBSへ変更した。
- 1960年テレビ送信所を赤坂から東京タワーに移転し、映像出力を50キロワットへ増力した。
- 1960年東京証券取引所に株式を上場した。
TBSホールディングスの業績推移:単体
出所:有価証券報告書等
民間ラジオ第一波として発足した株式会社ラジオ東京
1951年5月、関東地区で最初の民間放送局として、東京都千代田区霞が関に資本金1億5千万円で株式会社ラジオ東京が設立された。同年12月、千代田区有楽町でラジオ本放送を開始する。呼出符号JOKR、周波数1130キロヘルツ、出力50キロワットの陣容だった。戦後の放送は日本放送協会の独占が続いていたが、1950年の電波三法で民間放送に道が開かれ、その第一波として全国各地で商業ラジオ局が相次いで発足する。ラジオ東京はその関東の担い手だった。開局時の略称はKRTである。 [1][2]
- 有価証券報告書
- [1]1951年5月に関東地区で最初の民間放送局として東京都千代田区霞が関に資本金1億5千万円で株式会社ラジオ東京を設立した
- [2]1951年12月に千代田区有楽町でラジオ本放送を開始し、呼出符号JOKR、周波数1130キロヘルツ、出力50キロワットだった
ラジオ東京は、免許を争った複数の陣営が大同団結して生まれた会社だった。1950年に東京地区で20数社が放送局の免許を申請するなか、最有力のラジオ日本(毎日)、朝日放送(朝日)、東京放送(電通)、読売放送(読売)の4社が合同することになり、その合流の受け皿として設立された。初代社長には元王子製紙社長の足立正氏が就いている。番組を運ぶ電波と、広告を集める営業網が最初から結びつく構図は民放草創期の共通の型で、特異だったのは、この関東の一局がやがて全国ネットワークの中核局へと育ったことにある。発足時の懸念に反し、商業放送は第一年目から相当の利益をあげ、1955年3月の聴取率調査では日本放送協会を初めて上回った。 [3][4][5]
- 会社銀行八十年史(1955年)
- [3]1950年に東京地区で放送局免許を申請していたラジオ日本(毎日)・朝日放送(朝日)・東京放送(電通)・読売放送(読売)の4社が合同してラジオ東京が設立された
- [4]ラジオ東京の初代社長には元王子製紙社長の足立正氏が就任した
- [5]ラジオ東京は第一年目から相当の利益をあげ、1955年3月の聴取率調査でNHKを初めて凌駕した
- 有価証券報告書
- [1]1951年5月に関東地区で最初の民間放送局として東京都千代田区霞が関に資本金1億5千万円で株式会社ラジオ東京を設立した
- [2]1951年12月に千代田区有楽町でラジオ本放送を開始し、呼出符号JOKR、周波数1130キロヘルツ、出力50キロワットだった
- 会社銀行八十年史(1955年)
- [3]1950年に東京地区で放送局免許を申請していたラジオ日本(毎日)・朝日放送(朝日)・東京放送(電通)・読売放送(読売)の4社が合同してラジオ東京が設立された
- [4]ラジオ東京の初代社長には元王子製紙社長の足立正氏が就任した
- [5]ラジオ東京は第一年目から相当の利益をあげ、1955年3月の聴取率調査でNHKを初めて凌駕した
テレビ本放送への参入と、東京放送・TBSへの改称
1955年4月、ラジオ東京は東京都港区赤坂でテレビ本放送を開始した。呼出符号JOKR-TV、チャンネル6、映像出力10キロワットである。ラジオに続くテレビ参入によって、同社は音声と映像の二つの放送免許を持つ兼営局となった。1960年1月にはテレビ送信所を赤坂から東京タワーへ移し、映像出力を50キロワットへ増力する。同年9月にカラー本放送を始め、10月に東京証券取引所へ株式を上場した。11月、商号を株式会社東京放送へ改め、略称をKRTからTBSへ変更している。 [6][7]
- 有価証券報告書
- [6]1955年4月に東京都港区赤坂でテレビ本放送を開始し、呼出符号JOKR-TV、チャンネル6、映像出力10キロワットだった
- [7]1960年9月にカラー本放送を開始し、10月に東京証券取引所へ株式を上場、11月に商号を東京放送へ改めTBSの略称へ変更した
設立からわずか9年で、ラジオ単営の新会社は、テレビ・カラー放送・上場を備えた放送事業者に姿を変えた。赤坂に構えた本拠は以後60年以上動かず、テレビ・ラジオを軸に据えた事業の形もこの時期に定まる。ラジオ東京から東京放送への改称は、単なる看板の掛け替えではない。ラジオの局名を外して放送一般を名のることで、テレビを主力に据える意思を社名に刻んだ。TBSという略称は、この東京放送(Tokyo Broadcasting System)の頭文字にあたる。 [8]
- 有価証券報告書
- [8]1961年10月に赤坂のテレビスタジオ隣に本社社屋が完成し、ラジオスタジオおよび本社機構を移転した
- 有価証券報告書
- [6]1955年4月に東京都港区赤坂でテレビ本放送を開始し、呼出符号JOKR-TV、チャンネル6、映像出力10キロワットだった
- [7]1960年9月にカラー本放送を開始し、10月に東京証券取引所へ株式を上場、11月に商号を東京放送へ改めTBSの略称へ変更した
- [8]1961年10月に赤坂のテレビスタジオ隣に本社社屋が完成し、ラジオスタジオおよび本社機構を移転した