TBSホールディングス の歴史

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創業 1951年
母体 4社合同(初代社長 足立正)
創業地 東京都千代田区霞が関
創業
1951年5月、関東地区で最初の民間放送局として、東京都千代田区霞が関に資本金1億5千万円で株式会社ラジオ東京が設立された。東京地区の免許を申請した20数社のうち、毎日・朝日・電通・読売の4陣営が共同で出資した会社で、初代社長には元王子製紙社長の足立正氏が就任している。同年12月にラジオ本放送、1955年4月には港区赤坂でテレビ本放送を開始し、1960年10月に東京証券取引所へ上場、11月に商号を東京放送、略称をKRTからTBSへ改めた。ラジオの局名を外したのは、テレビを主力に据える意思の表明だった。
決断
放送免許という参入障壁の内側で、赤坂の土地と保有株を収益源に育ててきた設計に一貫性がある。2005年に始まった楽天との攻防では、業務提携を拒みながら放送法の制度で支配権を守り抜いた。その渦中の2008年2月には複合施設『赤坂サカス』を開設し、本社周辺の自社用地を賃料と集客の出る街区へ組み替えた。守り抜いた支配権と組み替えた地面を元手に、2018年には配信のParaviを立ち上げ、2023年には学習塾のやる気スイッチグループを子会社化する。番組を作って売る一本の商売から、賃料と授業料まで抱える会社へ広げてきた。
現況
売上の4%しかない不動産・その他が、営業利益の3割を生む非対称な収益構造である。2026年3月期の売上高4,248億円はメディア・コンテンツ3,122億円・ライフスタイル957億円・不動産・その他169億円、営業利益247億円の内訳は146億円・29億円・73億円。歪みの正体は、本社周辺の自社用地を賃料の出る街区へ組み替えてきたことにある。純利益522億円が経常利益374億円を上回るのも、政策保有株の売却益を含む特別利益489億円による。もう一方の収益源であるライフスタイル事業は前期から減益で、放送の外で厚い利益を生むのは赤坂の土地だけである。
競合
在京の民放5局は同じ免許制度の内側に並び、差がつくのは放送の外である。視聴率でTBSは日本テレビやフジテレビジョンを下回り、番組をめぐる不祥事も重なったが、2024年度は全日帯で調査開始以来はじめて2位に入った。支配権を制度で守る形は各局に共通で、ライブドアにニッポン放送株を買われたフジ・メディア・ホールディングスは2008年に認定放送持株会社へ移行している。配信ではHuluの日本事業を引き取った日本テレビが先行し、TBSは自前のParaviをU-NEXTへ預けた。テレビ朝日ホールディングスを含む5社の横並びのなかで、TBSは番組で2位まで戻す一方、配信では他社の基盤に乗る側へ回っている。
TBSホールディングス:長期業績の推移(売上高・利益率)売上高(億円純利益率(%)
2002年3月期2026年3月期

設立ストーリー ラジオ東京の設立からテレビ参入、東京放送への改称と東証上場まで (1951年〜)

民間ラジオ第一波として発足した株式会社ラジオ東京

1951年5月、関東地区で最初の民間放送局として、東京都千代田区霞が関に資本金1億5千万円で株式会社ラジオ東京が設立された[1]。同年12月、千代田区有楽町でラジオ本放送を開始する。呼出符号JOKR、周波数1130キロヘルツ、出力50キロワット[2]の陣容だった。戦後の放送は日本放送協会の独占が続いていたが、1950年の電波三法で民間放送に道が開かれ、その第一波として全国各地で商業ラジオ局が相次いで発足する。ラジオ東京はその関東の担い手だった。開局時の略称はKRTである。

  • 有価証券報告書
    • [1]1951年5月に関東地区で最初の民間放送局として東京都千代田区霞が関に資本金1億5千万円で株式会社ラジオ東京を設立した
    • [2]1951年12月に千代田区有楽町でラジオ本放送を開始し、呼出符号JOKR、周波数1130キロヘルツ、出力50キロワットだった

ラジオ東京は、免許を争った複数の陣営が大同団結して生まれた会社だった。1950年に東京地区で20数社が放送局の免許を申請するなか、最有力のラジオ日本(毎日)、朝日放送(朝日)、東京放送(電通)、読売放送(読売)の4社が合同することになり[3]、その合流の受け皿として設立された。初代社長には元王子製紙社長の足立正氏[4]が就いている。番組を運ぶ電波と、広告を集める営業網が最初から結びつく構図は民放草創期の共通の型で、特異だったのは、この関東の一局がやがて全国ネットワークの中核局へと育ったことにある。発足時の懸念に反し、商業放送は第一年目から相当の利益をあげ、1955年3月の聴取率調査では日本放送協会を初めて上回った[5]

  • 会社銀行八十年史(1955年)
    • [3]1950年に東京地区で放送局免許を申請していたラジオ日本(毎日)・朝日放送(朝日)・東京放送(電通)・読売放送(読売)の4社が合同してラジオ東京が設立された
    • [4]ラジオ東京の初代社長には元王子製紙社長の足立正氏が就任した
    • [5]ラジオ東京は第一年目から相当の利益をあげ、1955年3月の聴取率調査でNHKを初めて凌駕した
  • 有価証券報告書
    • [1]1951年5月に関東地区で最初の民間放送局として東京都千代田区霞が関に資本金1億5千万円で株式会社ラジオ東京を設立した
    • [2]1951年12月に千代田区有楽町でラジオ本放送を開始し、呼出符号JOKR、周波数1130キロヘルツ、出力50キロワットだった
  • 会社銀行八十年史(1955年)
    • [3]1950年に東京地区で放送局免許を申請していたラジオ日本(毎日)・朝日放送(朝日)・東京放送(電通)・読売放送(読売)の4社が合同してラジオ東京が設立された
    • [4]ラジオ東京の初代社長には元王子製紙社長の足立正氏が就任した
    • [5]ラジオ東京は第一年目から相当の利益をあげ、1955年3月の聴取率調査でNHKを初めて凌駕した

テレビ本放送への参入と、東京放送・TBSへの改称

1955年4月、ラジオ東京は東京都港区赤坂でテレビ本放送を開始した。呼出符号JOKR-TV、チャンネル6、映像出力10キロワット[6]である。ラジオに続くテレビ参入によって、同社は音声と映像の二つの放送免許を持つ兼営局となった。1960年1月にはテレビ送信所を赤坂から東京タワーへ移し、映像出力を50キロワットへ増力する。同年9月にカラー本放送を始め、10月に東京証券取引所へ株式を上場した。11月、商号を株式会社東京放送へ改め、略称をKRTからTBSへ変更している[7]

  • 有価証券報告書
    • [6]1955年4月に東京都港区赤坂でテレビ本放送を開始し、呼出符号JOKR-TV、チャンネル6、映像出力10キロワットだった
    • [7]1960年9月にカラー本放送を開始し、10月に東京証券取引所へ株式を上場、11月に商号を東京放送へ改めTBSの略称へ変更した

設立からわずか9年で、ラジオ単営の新会社は、テレビ・カラー放送・上場を備えた放送事業者に姿を変えた。赤坂に構えた本拠は以後60年以上動かず[8]、テレビ・ラジオを軸に据えた事業の形もこの時期に定まる。ラジオ東京から東京放送への改称は、単なる看板の掛け替えではない。ラジオの局名を外して放送一般を名のることで、テレビを主力に据える意思を社名に刻んだ。TBSという略称は、この東京放送(Tokyo Broadcasting System)の頭文字にあたる。

  • 有価証券報告書
    • [8]1961年10月に赤坂のテレビスタジオ隣に本社社屋が完成し、ラジオスタジオおよび本社機構を移転した
  • 有価証券報告書
    • [6]1955年4月に東京都港区赤坂でテレビ本放送を開始し、呼出符号JOKR-TV、チャンネル6、映像出力10キロワットだった
    • [7]1960年9月にカラー本放送を開始し、10月に東京証券取引所へ株式を上場、11月に商号を東京放送へ改めTBSの略称へ変更した
    • [8]1961年10月に赤坂のテレビスタジオ隣に本社社屋が完成し、ラジオスタジオおよび本社機構を移転した

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TBSホールディングスの沿革1951〜2024年における主な出来事を抜粋

時代年月社長・CEO出来事重要度
1951〜1960年ラジオ東京の設立からテレビ参入、東京放送への改称と東証上場までラジオ東京を設立
ラジオ本放送を開始
テレビ本放送を開始★★
テレビ送信所を赤坂から東京タワーに移転
テレビのカラー本放送を開始
東京証券取引所に株式を上場
商号を東京放送に、略称をKRTからTBSへ変更
1961〜2004年民放の一角を占めた放送事業と、番組制作の分社・多角化赤坂に本社社屋が完成
緑山スタジオが完成
テレビの24時間放送を開始
赤坂に放送センター「ビッグハット」が完成
本社機能とスタジオを移転
CS24時間ニュースチャンネル「JNNニュースバード」の放送を開始
横浜ベイスターズを子会社化★★
井上弘地上デジタル放送を開始
井上弘TBSテレビに商号変更
2005〜2011年楽天による経営統合提案と、認定放送持株会社への移行井上弘赤坂サカスの開業と赤坂再開発による不動産事業化

2008年2月、東京放送は本社を構える赤坂の再開発を終えて複合施設『赤坂サカス』を開業し、放送収入に依存しない収益源とすべく不動産事業化を進めた経営判断。井上弘社長のもとで始まった街づくりは、赤坂二・六丁目地区の再開発と赤坂エンタテインメント・シティ計画(2028年竣工予定)へ引き継がれ、本社周辺の自社用地を面的な街区へ組み替えている。

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★★★
財津敬三楽天による経営統合提案の拒否と、認定放送持株会社への移行

業務提携協議を空転させたまま、2008年12月の臨時株主総会で放送法上の認定放送持株会社への移行を可決し、一株主が33%を超えて株式を保有できない制度によって、楽天が支配権を握る道をふさいだ。井上弘社長のもとで進めた支配権防衛であった。

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★★★
石原俊爾地上波テレビがデジタル放送へ完全移行
2012〜2026年配信・不動産・教育への多角化と、ROIC経営による過去最高益石原俊爾テレビ親局送信所を東京タワーから東京スカイツリーへ移転
武田信二動画配信サービス「Paravi」を開始★★
武田信二セブン・アークスグループを子会社化
佐々木卓TBSHDに商号変更
佐々木卓長期ビジョン「TBSグループ VISION2030」を公表
佐々木卓やる気スイッチグループHDを子会社化★★
佐々木卓スタイリングライフ・HDの株式の一部を譲渡
出典・参考
  • 有価証券報告書
  • 会社銀行八十年史(1955年)

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