日本テレビホールディングス

の歴史

創業

1952年

創業者

正力松太郎

創業地

東京都千代田区二番町

直近売上高(2025/3)

4,619億円

長期業績と転換点(1959/3〜2025/3)
売上高(億円純利益率(%)
Q なぜ日本テレビは1953年の開局時に、街頭テレビで視聴者を集めたのか
A テレビ受像機がなお高価で家庭への普及に時間を要したため、広告価値を家庭の受信機数で測る当時の常識では、営業開始早々に広告収入を立てるのは難しかった。そこで創業者の正力松太郎氏は繁華街に大型受像機を据え、相撲やレスリングの中継で群衆を集め、家庭普及を待たずに視聴者数をつくった。数年は赤字が常識とされた放送事業で、開局から7か月目に償却前の黒字を計上している
Q なぜ日本テレビは2012年に認定放送持株会社へ移行したのか
A 放送免許を持つ会社本体のままでは、放送以外の事業を対等に並べて育てにくい。認定放送持株会社制度を使えば、地上基幹放送局の免許を事業会社へ承継させ、持株会社が放送・衛星・事業各社を資本で束ねられる。2012年10月、日本テレビ放送網は日本テレビホールディングスへ商号を変え、免許を分割準備会社へ承継し、株式交換でBS日本とCS日本を傘下に収めた。テレビ広告が構造的に縮小するなか、放送の外へ事業を広げる体制を整えた決断である。
Q なぜ日本テレビは2023年にスタジオジブリを子会社化したのか
A テレビ広告のタイムとスポットが構造的に縮小し、放送収入だけでは成長を描けないため、日本テレビホールディングスはコンテンツIP・ライフ・不動産の3事業へ収益源を広げた。世界で通用するアニメIPを取り込む一手として、2023年10月にスタジオジブリの株式を追加取得し連結子会社とした。企業価値を370億円程度と算定し、外部専門家の評価と長期の信頼関係をもとに金額を決めている。2014年のHulu日本事業取得と並ぶコンテンツ強化の延長にある。

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1952年〜 日本初の民間テレビ局として開局し、街頭テレビで大衆をつかむ

  1. 1952年我が国第1号のテレビ放送免許を獲得
  2. 1952年創立総会(10月15日)を経て日本テレビ放送網を設立(10月28日)
  3. 1953年地上波アナログ放送を開始(開局記念日8月28日、呼出符号JOAX-TV、チャンネル4)
  4. 1959年東京証券取引所に上場

日本テレビホールディングスの業績推移:単体

売上高(億円)

出所:有価証券報告書等

免許第一号を得て開局した放送会社

1951年10月、日本テレビ放送網はテレビ放送の免許を電波監理委員会へ申請した。読売新聞社主の正力松太郎氏が発起人の中心となり、テレビ放送事業の開始に備えて米国から専門家を招いた準備がこれに先立つ。1952年7月、日本で第一号となるテレビ放送免許が下り、同年10月15日の創立総会を経て10月28日に会社が設立された。本社は東京都千代田区二番町、設立時の資本金は2億5000万円であった。正力松太郎氏が社長に就いている。 [1][2][3][4][5]

  • 有価証券報告書
    • [1]1951年10月にテレビ放送免許を電波監理委員会へ申請した
    • [3]1952年7月に日本第一号のテレビ放送免許を獲得した
    • [4]1952年10月15日の創立総会を経て10月28日に日本テレビ放送網を設立した
  • 会社銀行八十年史(1955)
    • [2]読売新聞社主の正力松太郎が発起人の中心となり社長に就任した
    • [5]本社は東京都千代田区二番町、設立時資本金は2億5000万円であった

1953年8月28日、地上波アナログ放送を開始した。呼出符号はJOAX-TV、チャンネルは4である。テレビ放送の経営は開始後数年は赤字になるというのが当時の業界の常識であり、受像機がなお高価で家庭への普及に時間を要したため、営業開始早々に広告収入をあげることは難しいと見られていた。免許事業として電波法・放送法のもとで営まれる準独占の性格を持ちつつ、収益をどう立ち上げるかが最初の課題であった。 [6][7]

  • 有価証券報告書
    • [6]1953年8月28日に地上波アナログ放送を開始した(呼出符号JOAX-TV、チャンネル4)
  • 証券アナリストジャーナル(1969・保田宗一講演)
    • [7]テレビは免許事業であり電波法・放送法のもとで準独占の性格を持つ
  • 有価証券報告書
    • [1]1951年10月にテレビ放送免許を電波監理委員会へ申請した
    • [3]1952年7月に日本第一号のテレビ放送免許を獲得した
    • [4]1952年10月15日の創立総会を経て10月28日に日本テレビ放送網を設立した
    • [6]1953年8月28日に地上波アナログ放送を開始した(呼出符号JOAX-TV、チャンネル4)
  • 会社銀行八十年史(1955)
    • [2]読売新聞社主の正力松太郎が発起人の中心となり社長に就任した
    • [5]本社は東京都千代田区二番町、設立時資本金は2億5000万円であった
  • 証券アナリストジャーナル(1969・保田宗一講演)
    • [7]テレビは免許事業であり電波法・放送法のもとで準独占の性格を持つ

街頭テレビが生んだ広告収入と早期黒字化

受像機の家庭普及を待たずに視聴者を集めるため、日本テレビ放送網は放送開始と同時に東京都内や近県都市の繁華な場所へ大型受像機を設置した。街頭に置かれた受像機は相撲・レスリング・拳闘といった番組で群衆を呼び、一台の前に数百から数千の人が集まった。飲食店や喫茶店でもテレビを備える店が続き、街頭テレビとあわせた視聴者は百万人を超えたとされる。1955年6月時点の受像機台数は全国で約11万台、うち正式登録は6万7000台ほどにとどまり、家庭への普及はなお途上にあった。広告価値は家庭の受信機の数で測るのが常識だったが、街頭受像機はその常識の外側で視聴者をつくり、広告収入を押し上げた。 [8][9][10]

  • 会社銀行八十年史(1955)
    • [8]放送開始と同時に繁華街へ大型受像機(街頭テレビ)を設置し相撲・レスリング・拳闘で群衆を集めた
    • [9]街頭テレビとあわせた視聴者は百万人以上に及んだ
    • [10]1955年6月時点の受像機台数は全国で約11万台、うち正式登録は約6万7000台であった

テレビ放送は数年赤字が常識とされたなかで、日本テレビ放送網は放送開始から7か月目に、償却前とはいえ黒字を出した。番組企画のほか、街頭受像機という自社の工夫が早期の収益化を支えたとされる。設立時に2億5000万円だった資本金は、1953年4月に建設資金と一部運転資金へ充てるため5億円へ、1955年4月にはさらに7億5000万円へ増えた。同年11月、正力松太郎氏の入閣にともない清水与七郎氏が後任の社長となり、1959年9月には東京証券取引所に上場している。放送収入を軸とする経営の型が、開局から数年でひとまず固まった。 [11][12][13][14]

  • 会社銀行八十年史(1955)
    • [11]放送開始から7か月目に償却前で黒字を計上した
    • [12]資本金は設立時2億5000万円から1953年4月に5億円、1955年4月に7億5000万円へ増資した
    • [13]1955年11月に正力松太郎の入閣にともない清水与七郎が後任社長となった
  • 有価証券報告書
    • [14]1959年9月に東京証券取引所へ上場した
  • 会社銀行八十年史(1955)
    • [8]放送開始と同時に繁華街へ大型受像機(街頭テレビ)を設置し相撲・レスリング・拳闘で群衆を集めた
    • [9]街頭テレビとあわせた視聴者は百万人以上に及んだ
    • [10]1955年6月時点の受像機台数は全国で約11万台、うち正式登録は約6万7000台であった
    • [11]放送開始から7か月目に償却前で黒字を計上した
    • [12]資本金は設立時2億5000万円から1953年4月に5億円、1955年4月に7億5000万円へ増資した
    • [13]1955年11月に正力松太郎の入閣にともない清水与七郎が後任社長となった
  • 有価証券報告書
    • [14]1959年9月に東京証券取引所へ上場した

1960年〜 テレビ広告の成長を追い風に、系列と多角化の布石を打つ

  1. 1960年カラーテレビの本放送を開始
  2. 1969年日本テレビ音楽㈱(現・連結子会社)を設立
  3. 1972年㈱日本テレビサービス(現・連結子会社)を設立
  4. 1980年㈱クリーンアップ(現・㈱日テレリアルエステート、連結子会社)を設立
  5. 1981年㈱バップ(現・連結子会社)を設立
  6. 1986年NTV International Corporation(現・連結子会社)を設立
  7. 2007年番組制作系の子会社を会社分割及び株式交換により機能別に5社(日テレ・グループ・ホールディングス、日テレ・テクニカル・リソーシズ、日テレ アックスオン、日テレイベンツ、日本テレビアート)へ再編

日本テレビホールディングスの業績推移:単体

売上高(億円)純利益率(%)

出所:有価証券報告書等

カラー放送と、伸び続けたテレビ広告費

1957年、日本テレビ放送網は他社に先がけて野球放送のカラー化に取り組み、1960年9月にカラーテレビの本放送を始めた。放送機器はエレクトロニクス技術の最先端を用いるため技術的な陳腐化が早く、カラーカメラやカラー中継車の購入には多額の投資を要した。高度成長期には総広告費に占めるテレビ広告費の割合が上昇を続け、テレビ広告費は1963年の899億円から1968年の1745億円へと伸びた。放送各社は増収を重ね、日本テレビ放送網も1969年に11年ぶりの増資でカラー放送設備の増強に充てている。 [15][16][17][18]

  • 証券アナリストジャーナル(1969・保田宗一講演)
    • [15]1957年に他社に先がけ野球放送のカラー化を行った
    • [17]テレビ広告費は1963年899億円から1968年1745億円へ伸びた
    • [18]1969年に11年ぶりの増資を決めカラー放送設備の増強に充てた
  • 有価証券報告書
    • [16]1960年9月にカラーテレビの本放送を開始した

テレビ企業は新聞社との結びつきを強めていった。日本テレビ放送網は読売新聞の資本を背景に成長し、報道の同時性・即時性という媒体の強みを生かして広告媒体としての地位を築いた。1960年代には四つの大新聞と四つのテレビ局を対応させる系列構想が語られ、日本におけるテレビ企業は新聞社を離れては考えられない存在になっていった。放送は電波法・放送法のもとで免許を受けた準独占の事業であり、限られた競争の枠のなかで各局が視聴率と番組編成を競う構図が続いた。読売新聞という母体は、番組の調達力と全国系列の骨格を日本テレビにもたらした。 [19][20]

  • 証券アナリストジャーナル(1969・保田宗一講演)
    • [19]テレビ企業と新聞社が接近し、日本テレビは読売新聞資本を背景に成長した
    • [20]1960年代に四大新聞と四テレビ局を対応させる系列構想が語られた
  • 証券アナリストジャーナル(1969・保田宗一講演)
    • [15]1957年に他社に先がけ野球放送のカラー化を行った
    • [17]テレビ広告費は1963年899億円から1968年1745億円へ伸びた
    • [18]1969年に11年ぶりの増資を決めカラー放送設備の増強に充てた
    • [19]テレビ企業と新聞社が接近し、日本テレビは読売新聞資本を背景に成長した
    • [20]1960年代に四大新聞と四テレビ局を対応させる系列構想が語られた
  • 有価証券報告書
    • [16]1960年9月にカラーテレビの本放送を開始した

送信塔と本社の刷新、デジタル放送への移行

1968年、日本テレビ放送網は新宿副都心に高さ550メートルの「正力タワー」を計画し、全局の送信アンテナを載せる送信塔の統合を構想した。これにNHKが600メートルの塔で対抗し、二重投資との批判も出たすえ、いずれのタワーも建たなかった。送信所は1970年11月に東京タワーへ移り、のちの2013年5月には東京スカイツリーへ移された。2003年4月には汐留に新本社ビル「日本テレビタワー」が竣工し、同年8月、本社を麹町の東京都千代田区二番町から東京都港区東新橋へ移した。開局期の紀尾井町から麹町、そして汐留へと、放送の拠点は都心を移りながら大型化した。 [21][22][23][24]

  • 証券アナリストジャーナル(1969・保田宗一講演)
    • [21]1968年に高さ550メートルの正力タワーを新宿副都心に計画したが実現しなかった
    • [22]正力タワー計画にNHKが600メートルの塔で対抗し二重投資との批判が出た
  • 有価証券報告書
    • [23]1970年11月に送信所を東京タワーへ、2013年5月に東京スカイツリーへ移した
    • [24]2003年4月に新本社ビル「日本テレビタワー」が竣工し8月に汐留へ本社移転した

放送の技術基盤はアナログからデジタルへ移った。2003年12月に地上波デジタル放送を始め、2006年4月にはワンセグ放送サービスを、2008年4月には携帯端末向けのワンセグ独立放送を開始した。2011年7月に地上波アナログ放送を終え、全国での完全移行は2012年3月に完了した。衛星でも2019年9月にビーエス日本が4K放送を始めるなど、放送規格の刷新を重ねている。デジタル化はチャンネルの多重化と携帯端末向け配信を可能にし、放送の届け方を広げた。 [25][26][27]

  • 有価証券報告書
    • [25]2003年12月に地上波デジタル放送を開始し2008年4月にワンセグ独立放送を始めた
    • [26]2011年7月に地上波アナログ放送を終了し2012年3月に全国完全移行した
    • [27]2019年9月にビーエス日本が4K放送を開始した
  • 証券アナリストジャーナル(1969・保田宗一講演)
    • [21]1968年に高さ550メートルの正力タワーを新宿副都心に計画したが実現しなかった
    • [22]正力タワー計画にNHKが600メートルの塔で対抗し二重投資との批判が出た
  • 有価証券報告書
    • [23]1970年11月に送信所を東京タワーへ、2013年5月に東京スカイツリーへ移した
    • [24]2003年4月に新本社ビル「日本テレビタワー」が竣工し8月に汐留へ本社移転した
    • [25]2003年12月に地上波デジタル放送を開始し2008年4月にワンセグ独立放送を始めた
    • [26]2011年7月に地上波アナログ放送を終了し2012年3月に全国完全移行した
    • [27]2019年9月にビーエス日本が4K放送を開始した

子会社群による多角化と番組制作の機能別再編

放送の周辺で日本テレビ放送網は事業子会社を積み重ねた。1969年に日本テレビ音楽、1981年に映像ソフトのバップ、不動産では1980年に設立した会社がのちの日テレリアルエステートとなった。ニュースでは1987年にケーブルテレビ局へ日本テレビケーブルニュースの配信を始め、1998年にNNN24の本放送を開始した。衛星放送では1998年にビーエス日本、2001年にシーエス日本を設立し、BS・CSのデジタル放送へ広げた。放送収入に依存する収益構造の外側へ、事業の裾野を伸ばす布石であった。 [28][29]

  • 有価証券報告書
    • [28]1969年に日本テレビ音楽、1981年にバップを設立した
    • [29]1998年にビーエス日本、2001年にシーエス日本を設立しBS・CS放送へ広げた

2007年4月、番組制作系の子会社を会社分割と株式交換により機能別の5社へ再編した。日テレ・グループ・ホールディングス、日テレ・テクニカル・リソーシズ、日テレ アックスオン、日テレイベンツ、日本テレビアートに分け、制作・技術・イベントといった機能ごとに束ねている。この再編は、放送本体と制作機能を切り分けてグループを組み替える下地となった。その後も2018年7月に営放プロデュースからの新設分割で日テレITプロデュースを設け、2022年4月にはIT系子会社の再編で日テレWandsへ商号を変えるなど、機能別の組み替えを重ねた。 [30][31][32]

  • 有価証券報告書
    • [30]2007年4月に番組制作系子会社を機能別5社へ再編した
    • [31]再編後の5社は日テレ・グループ・ホールディングス、日テレ・テクニカル・リソーシズ、日テレ アックスオン、日テレイベンツ、日本テレビアートである
    • [32]2018年7月に日テレITプロデュースを新設分割で設け、2022年4月に日テレWandsへ商号変更した
  • 有価証券報告書
    • [28]1969年に日本テレビ音楽、1981年にバップを設立した
    • [29]1998年にビーエス日本、2001年にシーエス日本を設立しBS・CS放送へ広げた
    • [30]2007年4月に番組制作系子会社を機能別5社へ再編した
    • [31]再編後の5社は日テレ・グループ・ホールディングス、日テレ・テクニカル・リソーシズ、日テレ アックスオン、日テレイベンツ、日本テレビアートである
    • [32]2018年7月に日テレITプロデュースを新設分割で設け、2022年4月に日テレWandsへ商号変更した

2012年〜 認定放送持株会社へ移行し、コンテンツ・ライフ・不動産へ広げる

  1. 2012年認定放送持株会社体制へ移行し、日本テレビ放送網㈱は「日本テレビホールディングス株式会社」へ、日本テレビ分割準備㈱は「日本テレビ放送網株式会社」へ商号変更(地上基幹放送局の免許を承継)
  2. 2012年日本テレビ分割準備㈱(現・日本テレビ放送網㈱、連結子会社)を設立
  3. 2014年HJホールディングス(現・HJホールディングス㈱、連結子会社)の持分を取得
  4. 2014年㈱タツノコプロ(現・連結子会社)の株式を取得
  5. 2014年㈱ティップネス(現・連結子会社)の株式を取得
  6. 2017年㈱ACM(現・連結子会社)の株式を追加取得
  7. 2023年㈱スタジオジブリ(現・連結子会社)の株式を追加取得

日本テレビホールディングスの業績推移:単体

売上高(億円)純利益率(%)

出所:有価証券報告書等

認定放送持株会社への移行と広告収入の構造縮小

2012年4月に設立した日本テレビ分割準備株式会社へ地上基幹放送局の免許を承継させ、同年10月、認定放送持株会社体制へ移行した。従来の日本テレビ放送網株式会社は「日本テレビホールディングス株式会社」へ商号を変え、免許を受け継いだ分割準備会社が「日本テレビ放送網株式会社」となった。あわせて株式交換により㈱BS日本と㈱シーエス日本を傘下へ収め、地上波・衛星の放送会社と事業会社を持株会社の下に並べた。持株会社が放送とグループ各社を束ねる形になり、放送以外の事業を並べて育てる体制が整った。 [33][34][35]

  • 有価証券報告書
    • [33]2012年10月に認定放送持株会社体制へ移行し日本テレビホールディングスへ商号変更した
    • [34]分割準備会社が地上基幹放送局の免許を承継し日本テレビ放送網株式会社となった
    • [35]株式交換により㈱BS日本と㈱シーエス日本を傘下に収めた

持株会社化の前後で、放送収入を支えるテレビ広告は構造的な縮小に直面した。番組枠を売るタイム広告と随時のスポット広告はともに市況と視聴率低下の影響を受け、2023年度の決算説明会でも経営陣はテレビ広告ビジネスの構造的な問題を認めている。連結売上高は2002年3月期の3586億円から、リーマン・ショック後の2009年3月期には3245億円へ落ち、その後は放送以外の収益を積み増して2025年3月期に4619億円まで戻した。 [36]

  • 日本テレビHD 2023年度2Q決算説明会質疑応答(2023-11-09)
    • [36]2023年度決算説明会でテレビ広告ビジネスの構造的な問題を経営陣が認めた
  • 有価証券報告書
    • [33]2012年10月に認定放送持株会社体制へ移行し日本テレビホールディングスへ商号変更した
    • [34]分割準備会社が地上基幹放送局の免許を承継し日本テレビ放送網株式会社となった
    • [35]株式交換により㈱BS日本と㈱シーエス日本を傘下に収めた
  • 日本テレビHD 2023年度2Q決算説明会質疑応答(2023-11-09)
    • [36]2023年度決算説明会でテレビ広告ビジネスの構造的な問題を経営陣が認めた

コンテンツIP・ライフ・不動産への広がり

放送外収入の柱として、日本テレビホールディングスは動画配信とコンテンツIPへ資源を振り向けた。2014年4月にHJホールディングスの持分を取得して動画配信Huluの日本事業を傘下に収め、のちに見逃し配信のTVerも収益機会に組み込んだ。アニメIPでは2014年1月にタツノコプロ、2023年10月にスタジオジブリの株式を追加取得して連結子会社とした。ジブリの取得では企業価値を370億円程度と算定し、外部専門家の評価と長期の信頼関係をもとに金額を決めたと説明している。 [37][38][39]

  • 有価証券報告書
    • [37]2014年4月にHJホールディングスの持分を取得しHuluの日本事業を傘下に収めた
    • [38]2014年1月にタツノコプロ、2023年10月にスタジオジブリを連結子会社化した
  • 日本テレビHD 2023年度2Q決算説明会質疑応答(2023-11-09)
    • [39]スタジオジブリの取得で企業価値を370億円程度と算定した

コンテンツと並び、ライフ事業と不動産事業を三つ目までの柱に据えた。2014年12月にフィットネスのティップネスを取得してライフ事業へ踏み込み、2022年3月には展示・イベント制作のムラヤマホールディングスを完全子会社とした。不動産では放送文化発祥の地とされる番町の再開発を進め、80メートル級の建物を地元と調整しながら計画している。放送収入の縮小を、コンテンツ・ライフ・不動産の3事業ポートフォリオで補う構図へ移した。 [40][41][42]

  • 有価証券報告書
    • [40]2014年12月にティップネスを取得しライフ事業へ踏み込んだ
    • [41]2022年3月にムラヤマホールディングスを完全子会社化した
  • 日本テレビHD 2023年度2Q決算説明会質疑応答(2023-11-09)
    • [42]番町再開発で80メートル級の建物を地元と調整しながら計画している

放送を核としながら事業の裾野を広げた結果、2025年3月期の連結売上高は4619億円、経常利益は657億円、親会社株主に帰属する当期純利益は460億円となった。開局70年にあたる2023年度には記念配当を実施し、総還元性向30%を目標に株主還元を強めている。日本初の民間テレビ局として街頭で大衆をつかんだ会社は、テレビ広告の構造的な縮小を前に、コンテンツと不動産を含む複数の収益源へ体を移しつつある。 [43]

  • 日本テレビHD 2023年度2Q決算説明会質疑応答(2023-11-09)
    • [43]開局70年の2023年度に記念配当を実施し総還元性向30%を目標とした
  • 有価証券報告書
    • [37]2014年4月にHJホールディングスの持分を取得しHuluの日本事業を傘下に収めた
    • [38]2014年1月にタツノコプロ、2023年10月にスタジオジブリを連結子会社化した
    • [40]2014年12月にティップネスを取得しライフ事業へ踏み込んだ
    • [41]2022年3月にムラヤマホールディングスを完全子会社化した
  • 日本テレビHD 2023年度2Q決算説明会質疑応答(2023-11-09)
    • [39]スタジオジブリの取得で企業価値を370億円程度と算定した
    • [42]番町再開発で80メートル級の建物を地元と調整しながら計画している
    • [43]開局70年の2023年度に記念配当を実施し総還元性向30%を目標とした

日本テレビホールディングスの沿革1951〜2023年における主な出来事を抜粋

年月社長・CEO出来事重要度
テレビ放送免許を申請★★
我が国第1号のテレビ放送免許を獲得★★★
創立総会(10月15日)を経て日本テレビ放送網を設立(10月28日)★★★
地上波アナログ放送を開始(開局記念日8月28日、呼出符号JOAX-TV、チャンネル4)★★★
東京証券取引所に上場
カラーテレビの本放送を開始★★
日本テレビ音楽㈱(現・連結子会社)を設立★★
送信所を東京タワーへ移行
㈱日本テレビサービス(現・連結子会社)を設立★★
㈱クリーンアップ(現・㈱日テレリアルエステート、連結子会社)を設立★★
㈱バップ(現・連結子会社)を設立★★
NTV International Corporation(現・連結子会社)を設立★★
CATV局への日本テレビケーブルニュース(現・日テレNEWS24)の配信を開始★★
㈱ライツ・イン(現・連結子会社)を設立★★
NNN24(現・日テレNEWS24)の本放送を開始★★
㈱ビーエス日本(現・㈱BS日本、連結子会社)を設立★★
㈱フォアキャスト・コミュニケーションズを設立★★
㈱ビーエス日本がBSデジタル放送を開始★★
㈱シーエス日本(現・㈱CS日本、連結子会社)を設立★★
㈱シーエス日本が東経110度CSデジタル放送を開始★★
新本社ビル「日本テレビタワー」が竣工★★
本社を麹町(東京都千代田区二番町)から汐留(東京都港区東新橋)へ移転
地上波デジタル放送を開始(呼出符号JOAX-DTV)★★
久保伸太郎「ワンセグ」放送サービスを開始★★
久保伸太郎㈱日テレITプロデュース(㈱営放プロデュースに商号変更)を設立★★
久保伸太郎番組制作系の子会社を会社分割及び株式交換により機能別に5社(日テレ・グループ・ホールディングス、日テレ・テクニカル・リソーシズ、日テレ アックスオン、日テレイベンツ、日本テレビアート)へ再編★★★
久保伸太郎㈱日テレ7を設立(2024年11月解散、2025年3月清算結了)★★
細川知正「ワンセグ」独立放送サービスを開始
大久保好男地上波アナログ放送を終了しデジタル放送へ完全移行(全国での完全移行は2012年3月)★★
大久保好男日本テレビ分割準備㈱(現・日本テレビ放送網㈱、連結子会社)を設立★★
大久保好男認定放送持株会社体制へ移行し、日本テレビ放送網㈱は「日本テレビホールディングス株式会社」へ、日本テレビ分割準備㈱は「日本テレビ放送網株式会社」へ商号変更(地上基幹放送局の免許を承継)★★★
大久保好男送信所を東京スカイツリーへ移行
大久保好男㈱タツノコプロ(現・連結子会社)の株式を取得★★
大久保好男HJホールディングス(現・HJホールディングス㈱、連結子会社)の持分を取得★★★
大久保好男㈱ティップネス(現・連結子会社)の株式を取得★★
大久保好男㈱ACM(現・連結子会社)の株式を追加取得★★
大久保好男㈱営放プロデュースからの新設分割により㈱日テレITプロデュースを設立★★
大久保好男日本テレビ番町スタジオが稼働開始
大久保好男㈱ロジックロジックとスキルアップ・ビデオテクノロジーズ㈱が合併し㈱PLAY(現・連結子会社)へ商号変更★★
大久保好男㈱BS日本が4K放送を開始
杉山美邦㈱ムラヤマホールディングスの株式を取得し、同社及び子会社の㈱ムラヤマ(現・連結子会社)を完全子会社化★★
杉山美邦IT系子会社の再編により㈱日テレITプロデュースが㈱フォアキャスト・コミュニケーションズを吸収合併し㈱日テレWands(現・連結子会社)へ商号変更
杉山美邦東京証券取引所の市場区分見直しにより市場第一部からプライム市場へ移行
杉山美邦㈱ムラヤマが㈱ムラヤマホールディングスを吸収合併
杉山美邦日本テレビ放送網㈱が㈱営放プロデュースを吸収合併
杉山美邦la belle vie㈱(現・連結子会社)の株式を取得★★
杉山美邦㈱スタジオジブリ(現・連結子会社)の株式を追加取得★★★
出典・参考
  • 有価証券報告書
  • 会社銀行八十年史(1955)
  • 証券アナリストジャーナル(1969・保田宗一講演)
  • 日本テレビHD 2023年度2Q決算説明会質疑応答(2023-11-09)

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