日本テレビホールディングス の歴史

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創業 1952年
創業者 正力松太郎
創業地 東京都千代田区二番町
創業
1951年10月にテレビ放送の免許を申請し、1952年7月、日本で第1号の免許を得た。同年10月28日、読売新聞社主の正力松太郎氏を中心に、東京都千代田区二番町で日本テレビ放送網株式会社が設立されている。1953年8月28日、日本初の民間テレビ局として放送を開始した。受像機は当時の給与水準では高価で、家庭の受信機の数を広告料の根拠にする限り収入は立たなかった。そこで繁華街へ大型受像機を据え、相撲・レスリング・拳闘の中継に群衆を集めて、街頭に並ぶ人数のほうを広告料の根拠にしている。開局から7か月目に償却前の黒字を計上した一方、正力氏が構想した1社で全国を覆うマイクロ波網は1954年12月に国から却下された。
決断
取引のある相手が続けられなくなるたび、資本ごと引き受けてきた。2011年7月に地上波アナログ放送を終えて設備投資の山を越え、2012年10月に認定放送持株会社へ移行している。地上基幹放送局の免許を事業会社へ承継させ、BS日本とシーエス日本を株式交換で傘下に収めている。以後の取得はすべてこの体制の下で行われた。2014年2月、日本市場からの出口を探していた米Hulu LLCから日本事業を承継し、会員と技術ごと引き取って定額配信へ参入する。同じ2014年12月にはティップネス、2022年3月にはムラヤマを取得し、2023年10月には後継者問題を抱えていたスタジオジブリの株式を追加取得した。自ら立ち上げるより手放される側を引き受けたことが、放送の外へ番組を出す経路をこの会社へ集めた。
現況
放送の外へ広げた不動産とウェルネスは、合わせても利益の6%に満たない。2026年3月期の売上高4,844億円のうち、コンテンツ・メディア事業が4,526億円と93%を占め、ウェルネス事業272億円、不動産関連事業45億円が続く。セグメント利益は671億円・7,200万円の損失・41億円で、放送外の2事業は合計40億円にとどまる。一方コンテンツ・メディア事業の利益は2024年3月期の385億円から2年で74%増え、全社の営業利益693億円・純利益567億円はいずれも3期連続で増えた。2023年に議決権42.3%を取得して子会社にしたアニメも、2014年に取得した配信も、この事業の内側にある。放送外の多角化ではなく、同じ事業へ買い足したコンテンツのほうが利益を伸ばした。
競合
差がついたのは放送の外ではなく、番組を誰が作るかだった。2012年3月期に視聴率の3冠王を8年ぶりに取り戻したとき、日本テレビの自社制作比率は約89%に達し、2013年12月からは9か月続けて月間の3冠を得ている。同じ在京5局のうち、TBSホールディングスは赤坂の再開発で賃料を、フジ・メディア・ホールディングスはサンケイビルの子会社化で都市開発と観光を、それぞれ放送外の収益源に育てた。日本テレビは放送外を利益の6%未満にとどめたまま、配信とアニメ制作という番組の側へ資本を向けている。自社で作る番組の比率を上げたことが、放送の外に資産を積まなくても利益を伸ばせる構造を残した。
日本テレビホールディングス:長期業績の推移(売上高・利益率)売上高(億円純利益率(%)
2002年3月期2026年3月期

創業ストーリー 日本初の民間テレビ局として開局し、街頭テレビで大衆をつかむ (1952年〜)

免許第一号を得て開局した放送会社

1951年10月、日本テレビ放送網はテレビ放送の免許を電波監理委員会へ申請した[1]。読売新聞社主の正力松太郎氏[2]が発起人の中心となり、テレビ放送事業の開始に備えて米国から専門家を招いた準備がこれに先立つ。1952年7月、日本で第一号となるテレビ放送免許が下り[3]、同年10月15日の創立総会を経て10月28日に会社が設立された[4]。本社は東京都千代田区二番町、設立時の資本金は2億5000万円[5]であった。正力松太郎氏が社長に就いている。

  • 有価証券報告書
    • [1]1951年10月にテレビ放送免許を電波監理委員会へ申請した
    • [3]1952年7月に日本第一号のテレビ放送免許を獲得した
    • [4]1952年10月15日の創立総会を経て10月28日に日本テレビ放送網を設立した
  • 会社銀行八十年史(1955)
    • [2]読売新聞社主の正力松太郎が発起人の中心となり社長に就任した
    • [5]本社は東京都千代田区二番町、設立時資本金は2億5000万円であった

1953年8月28日、地上波アナログ放送を開始した。呼出符号はJOAX-TV、チャンネルは4である[6]。テレビ放送の経営は開始後数年は赤字になるというのが当時の業界の常識であり、受像機がなお高価で家庭への普及に時間を要したため、営業開始早々に広告収入をあげることは難しいと見られていた。免許事業として電波法・放送法のもとで営まれる準独占の性格を持ちつつ[7]、収益をどう立ち上げるかが最初の課題であった。

  • 有価証券報告書
    • [6]1953年8月28日に地上波アナログ放送を開始した(呼出符号JOAX-TV、チャンネル4)
  • 証券アナリストジャーナル(1969・保田宗一講演)
    • [7]テレビは免許事業であり電波法・放送法のもとで準独占の性格を持つ
  • 有価証券報告書
    • [1]1951年10月にテレビ放送免許を電波監理委員会へ申請した
    • [3]1952年7月に日本第一号のテレビ放送免許を獲得した
    • [4]1952年10月15日の創立総会を経て10月28日に日本テレビ放送網を設立した
    • [6]1953年8月28日に地上波アナログ放送を開始した(呼出符号JOAX-TV、チャンネル4)
  • 会社銀行八十年史(1955)
    • [2]読売新聞社主の正力松太郎が発起人の中心となり社長に就任した
    • [5]本社は東京都千代田区二番町、設立時資本金は2億5000万円であった
  • 証券アナリストジャーナル(1969・保田宗一講演)
    • [7]テレビは免許事業であり電波法・放送法のもとで準独占の性格を持つ

街頭テレビが生んだ広告収入と早期黒字化

受像機の家庭普及を待たずに視聴者を集めるため、日本テレビ放送網は放送開始と同時に東京都内や近県都市の繁華な場所へ大型受像機を設置した。街頭に置かれた受像機は相撲・レスリング・拳闘といった番組で群衆を呼び[8]、一台の前に数百から数千の人が集まった。飲食店や喫茶店でもテレビを備える店が続き、街頭テレビとあわせた視聴者は100万人を超えた[9]とされる。1955年6月時点の受像機台数は全国で約11万台、うち正式登録は6万7000台[10]ほどにとどまり、家庭への普及はなお途上にあった。広告価値は家庭の受信機の数で測るのが常識だったが、街頭受像機はその常識の外側で視聴者をつくり、広告収入を押し上げた。

  • 会社銀行八十年史(1955)
    • [8]放送開始と同時に繁華街へ大型受像機(街頭テレビ)を設置し相撲・レスリング・拳闘で群衆を集めた
    • [9]街頭テレビとあわせた視聴者は100万人以上に及んだ
    • [10]1955年6月時点の受像機台数は全国で約11万台、うち正式登録は約6万7000台であった

テレビ放送は数年赤字が常識とされたなかで、日本テレビ放送網は放送開始から7か月目に、償却前とはいえ黒字を出した[11]。番組企画のほか、街頭受像機という自社の工夫が早期の収益化を支えたとされる。設立時に2億5000万円だった資本金は、1953年4月に建設資金と一部運転資金へ充てるため5億円へ、1955年4月にはさらに7億5000万円[12]へ増えた。同年11月、正力松太郎氏の入閣にともない清水与七郎氏が後任の社長となり[13]、1959年9月には東京証券取引所に上場している[14]。放送収入を軸とする経営の型が、開局から数年でひとまず固まった。

  • 会社銀行八十年史(1955)
    • [11]放送開始から7か月目に償却前で黒字を計上した
    • [12]資本金は設立時2億5000万円から1953年4月に5億円、1955年4月に7億5000万円へ増資した
    • [13]1955年11月に正力松太郎の入閣にともない清水与七郎が後任社長となった
  • 有価証券報告書
    • [14]1959年9月に東京証券取引所へ上場した
  • 会社銀行八十年史(1955)
    • [8]放送開始と同時に繁華街へ大型受像機(街頭テレビ)を設置し相撲・レスリング・拳闘で群衆を集めた
    • [9]街頭テレビとあわせた視聴者は100万人以上に及んだ
    • [10]1955年6月時点の受像機台数は全国で約11万台、うち正式登録は約6万7000台であった
    • [11]放送開始から7か月目に償却前で黒字を計上した
    • [12]資本金は設立時2億5000万円から1953年4月に5億円、1955年4月に7億5000万円へ増資した
    • [13]1955年11月に正力松太郎の入閣にともない清水与七郎が後任社長となった
  • 有価証券報告書
    • [14]1959年9月に東京証券取引所へ上場した

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日本テレビホールディングスの沿革1951〜2023年における主な出来事を抜粋

時代年月社長・CEO出来事重要度
テレビ放送免許を申請
1952〜1959年日本初の民間テレビ局として開局し、街頭テレビで大衆をつかむ我が国第1号のテレビ放送免許を獲得★★
創立総会(10月15日)を経て日本テレビ放送網を設立(10月28日)
日本初の民間テレビ局としての開局と、街頭受像機による視聴者の創出

1953年8月28日、日本テレビ放送網が日本初の民間テレビ局として放送を開始した経営判断。受像機が家庭にほとんど無い段階で開局に踏み切り、放送開始と同時に東京都内や近県都市の繁華な場所へ大型受像機を据えて視聴者を集めた。読売新聞社主の正力松太郎氏が発起人の中心となり、社長として主導した。

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★★★
東京証券取引所に上場
1960〜2011年テレビ広告の成長を追い風に、系列と多角化の布石を打つカラーテレビの本放送を開始
日本テレビ音楽を設立
送信所を東京タワーへ移行
日本テレビサービスを設立
クリーンアップを設立
バップを設立
NTV International Corporationを設立
CATV局への日本テレビケーブルニュースの配信を開始
ライツ・インを設立
NNN24の本放送を開始
ビーエス日本を設立
ビーエス日本がBSデジタル放送を開始
シーエス日本が東経110度CSデジタル放送を開始
新本社ビル「日本テレビタワー」が竣工
地上波デジタル放送を開始(呼出符号JOAX-DTV)
久保伸太郎番組制作系子会社を会社分割・株式交換により機能別5社に再編
大久保好男地上波アナログ放送を終了しデジタル放送へ完全移行(全国での完全移行は2012年3月)
2012〜2025年認定放送持株会社へ移行し、コンテンツ・ライフ・不動産へ広げる大久保好男認定放送持株会社への移行と、地上波事業会社の分割設立

2012年10月1日、日本テレビ放送網が認定放送持株会社体制へ移行した経営判断。会社分割で新設した日本テレビ分割準備株式会社へ地上基幹放送局の免許を承継させ、既存の会社を日本テレビホールディングス株式会社へ商号変更した。簡易株式交換でBS日本とシーエス日本を完全子会社に収め、コンテンツ制作・流通機能を持つ6社も持株会社の直属とした。

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★★★
大久保好男日本テレビ放送網を日本テレビHDに商号変更★★
大久保好男Hulu日本事業の承継と、定額動画配信への参入

2014年2月28日、日本テレビ放送網が米Hulu LLCから定額動画配信サービス『Hulu』の日本市場向け事業を承継すると発表した経営判断。同年4月にHJホールディングスの持分を取得して子会社に収め、日本の放送局として定額制の動画配信に参入した。取得価額は公表されていない。

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★★★
大久保好男Huluの日本事業を承継★★
杉山美邦ムラヤマHDの株式を取得
石澤顕la belle vieの株式を取得
石澤顕スタジオジブリの子会社化と、議決権42.3%の取得

2023年9月21日、日本テレビホールディングスが、傘下の日本テレビ放送網によるスタジオジブリの子会社化を発表した経営判断。議決権ベースで42.3%の株式を10月6日付で取得した。日本テレビ放送網はもともと約15%を保有しており、子会社化にかかった費用は100億円であった。

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★★★
石澤顕議決権ベース42.3%を保有し子会社化★★
出典・参考
  • 有価証券報告書
  • 会社銀行八十年史(1955)
  • 証券アナリストジャーナル(1969・保田宗一講演)

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