1868年に石田才次郎は京都で銅版印刷を手掛ける石田旭山印刷所を個人創業し、明治維新直後の活字・印刷需要に応える小さな工房として事業を始めた。工房は印刷技術の改良を重ね、1918年3月には独自の石田式フィルムを開発して国内外の印刷業界に供給した。[1]2代目の石田敬三は1920年代に写真印刷が普及する将来像を見据えた。従来の銅版彫刻を前提とした事業モデルに将来性を見いだせないという危機感を抱き、写真印刷に不可欠なガラススクリーンの国産化に挑戦する方針を固めた。当時のガラススクリーンは全量を海外からの輸入に頼り、その面に求められるエッチングの精密さは当時の国内技術の水準を上回るもので、敬三が1926年に独力で製法研究へ着手してから試行錯誤が長期にわたって続いた。[2]敬三の判断が、後年の半導体装置参入へ至る精密加工技術の出発点となる。
8年に及ぶ研究の末、1934年に『写真製版用網目スクリーンの蝕刻法』[引用元]を独自に開発して同蝕刻法の特許を取得し[3]、商工省から工業研究奨励金7000円を得て技術の将来性について公的な評価を受けた。1937年5月には工業化のため大日本スクリーン製造所を創設したが[4]、量産工程の確立は難航し、参入決定から約20年の歳月を要した。1943年10月には前記製造所を資本金13万円の株式会社へ改組して軍需向けのガラススクリーン供給に着手し[5]、法人としての事業基盤を整えた。この精密エッチング技術が、戦後の写真製版機器からシャドーマスク、半導体製造装置へ連続的に展開する技術系譜の出発点であり、150年を超える企業史を一本の軸でつなぐ技術的継承の原点となった。精密な図版を化学的に刻む基礎技術を自前で持ったことが、以後の産業変化の波に耐える体質を生んだ。
戦後、大日本スクリーン製造所は写真製版機器の製造を主力として事業を再開し、日本経済の高度成長と印刷産業の近代化のなかで業容を広げた。1953年に堀川工場を新設して生産体制を整備し[6]、京都に本社を構える体制を整えた。1962年に大阪証券取引所第2部に株式を上場[7]して市場からの資金調達手段を獲得した。1963年にソニーと共同でカラーテレビ向けシャドーマスクの開発に着手し、写真製版で培ってきたエッチング技術の応用先として家電向け精密部品の領域を開拓した。写真製版で培った技術の転用可能性を事業として実証した最初の成功事例となり、経営上の重要なきっかけとなった。
シャドーマスクはカラーテレビのブラウン管に不可欠な精密部品で、ソニーのカラーテレビ販売の拡大とともに大日本スクリーンの業容も並行して広がった。1980年にシグマグラフ2000を開発するなど、印刷画像処理の分野でも高い技術力を示した。銅版印刷から写真製版、カラーテレビ部品へ広がった事業の拡散は、表面的な多角化ではなく精密エッチングという一本の技術軸で貫かれた連続的な進化で、後年の半導体装置参入もこの技術系譜の延長にある。祖業の印刷技術を棄てずに新しい市場へ展開する姿勢が、同社の長寿の一因となった。
1975年に大日本スクリーンはウエハー腐食機(ウェット式エッチング装置)を独自開発して半導体業界向けの事業を開始し[8]、印刷機器メーカーから半導体製造装置メーカーへの業態転換を始めた。製版機器で蓄積した『位置決め・塗布・表面処理』という三つの基本技術は、そのまま半導体製造装置に転用できる汎用性を備え、参入障壁は同業の総合電機メーカーと比べて相対的に低かった。1977年にEMW-322/411を製品化して洗浄装置の商業的な第一歩を固め、1978年にスピンコータやスピンデベロッパを相次いで投入した。製品展開で、半導体メーカーの製造ラインへの供給実績を短期間で積み上げた。
FY1978を境に設備投資額はFY1977の12億円からFY1980の51億円へ4倍以上に拡大し、半導体製造装置事業への経営資源の重点配分が数字で示された。売上高はFY1972の105億円からFY1983の670億円へ6倍以上に伸び、1994年に電子工業向け機器の売上が印刷関連機器を上回った。祖業である印刷から半導体装置へ主力事業が入れ替わる業態転換の節目である。製版機器で稼いだ利益を半導体装置の研究開発へ再投資する自己資金型の業態転換は、外部資本に依存しない事業構造の入れ替えとして業界の注目を集めた。並行して参入した総合電機系の半導体装置部門が採算に苦しむなかで、祖業の利益で研究開発を回せた同社の独自性が結果として競争力を生んだ。
1990年代初頭の洗浄装置市場で大日本スクリーンはシェア約22%の首位に立っていたが、中堅企業が群雄割拠する競争構造が長く続いた。1993年に東京エレクトロンが新規参入してシェアを広げるなかで、石田明社長は次世代規格である300mmウエハへの対応が業界の競争構造を決定づける経営テーマだと判断した。1997年にバッチ式洗浄装置『FC-3000』を発表し、翌1998年に設備投資額184億円を計上して多賀事業所を新設する[9]という、先行者の地位を賭けた184億円投資に踏み切った。シリコンサイクル不況期の到来が現実味を帯びる時期の重たい判断で、社内外から不安視する声も相次いだ。石田社長はこのタイミングで規格転換に踏み込まなければ業界をリードできないという危機感で判断を貫いた。
1998年にシリコンサイクルが不況期に入り、FY1998には営業赤字131億円、最終赤字245億円の損失を計上した。石田社長はそれでも不況期の投資継続という方針を堅持し、2001年3月に彦根事業所にFab.FC-1を新設して300mm対応洗浄装置の本格量産を開始する決断を貫いた。[10]300mm対応の専用量産工場を建設できたのは洗浄装置メーカーのなかで大日本スクリーンだけで、体力の乏しい中堅企業が次々と脱落する過程で寡占構造が確定した。不況期の184億円投資という賭けが、業界の競争構造を自社に有利な形に塗り替えた。石田体制が下した規格転換への先行投資の決断が、次の20年の寡占を生んだ。赤字期にも規格転換への設備投資を止めなかったことが、結果として洗浄装置市場の寡占を生む分水嶺となった。
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|---|---|---|---|---|
| 1868〜1974年印刷技術から精密加工への技術系譜の転換 | 石田旭山印刷所を個人創業 | ★ | ||
| 大日本スクリーン製造所を設立 | ★ | |||
| 堀川工場を新設 | ★ | |||
| 大阪証券取引所第2部に株式上場 | ★ | |||
| カラーテレビ向けシャドーマスクの開発 | ★★ | |||
| 1975〜2000年半導体製造装置への参入と業態転換の達成 | 写真製版技術の転用による半導体製造装置への参入 1975年、写真製版用スクリーンと製版機で国内最大手だった大日本スクリーン製造が、石油危機で本業が赤字に沈むなか、ウエハー腐食機(ウェット式エッチング装置)を自社開発して半導体製造装置事業に加わった判断。写真製版で培った位置決め・塗布・表面処理の技術を半導体の製造工程へ転用し、数年で塗布・現像・洗浄の装置群をそろえた。 詳細を読む | ★★★ | ||
| シグマグラフ2000を開発(印刷画像処理システム) | ★ | |||
| 洛西工場を新設(ウエハ洗浄装置) | ★ | |||
| 洗浄装置の海外販売を強化 | ★ | |||
| 大日本スクリーン製造のウエハ洗浄装置への集中と半導体装置への転換 1975年に半導体装置へ参入した大日本スクリーン製造が、石田明社長のもとで半導体前工程の数ある工程のうちウエハ洗浄を主戦場に定め、200ミリウエハ用のバッチ式ウェットステーションWS-820Lなどを投入して洗浄装置に資源を集めた事業選択。1994〜95年に半導体装置で世界トップ10入りし、電子工業向け機器が祖業の印刷関連機器を売上で上回った。 詳細を読む | ★★★ | |||
| 売上高で電子工業向け機器が、印刷関連機器を上回る | ★ | |||
| 多賀事業所を開設(ウエハ洗浄装置) | ★ | |||
| 最終赤字転落 | ★ | |||
| 2001〜2023年洗浄装置の世界首位と持株会社化による体制の再編 | 枚葉式ウエハ洗浄への転換と300mm対応装置の先行量産 2000年、大日本スクリーン製造(現SCREENホールディングス)が、複数のウエハを薬液槽でまとめて洗う『バッチ式』に対し、300ミリの大口径ウエハと回路の微細化を見据えて、ウエハを1枚ずつ洗う『枚葉式』に賭けた技術選択。300ミリ対応の枚葉式洗浄装置を業界に先んじて投入し、量産化を進めた。石田明社長のもと、半導体市況の落ち込みのなかでも開発と量産を続けた。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 希望退職者を募集 | ★★ | |||
| 印刷関連機器の事業分割 | ★ | |||
| 橋本正博 | 彦根事業所にCS-1を新設・FPD製造装置の量産開始 | ★ | ||
| 橋本正博 | 最終赤字転落(リーマンショック) | ★ | ||
| 垣内永次 | 商号をSCREENHDに変更 | ★ | ||
| 垣内永次 | 彦根事業所で半導体洗浄装置の増産 | ★ | ||
| 廣江敏朗 | 半導体洗浄装置で世界シェア1位 | ★ | ||
| 廣江敏朗 | 洗浄装置の世界首位を土台にした彦根への集中投資と売上1兆円構想 2023年9月、SCREENホールディングスは2033年3月期に連結売上高を当時の約2倍の1兆円以上へ、売上高営業利益率を20%以上へ引き上げる10年計画を掲げた。半導体洗浄装置で世界シェア約4割・首位に立つ強みを土台に、廣江敏朗社長のもとでマザー工場・彦根事業所の生産能力を増強し、生成AI向けに膨らむ需要へ設備で先回りする集中投資に踏み込んだ。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 廣江敏朗 | 過去最高益達成 | ★ |
免責事項およびポリシー
事実根拠:出所(SCREEN HD)