石田敬三が銅版彫刻の将来を悲観してガラスエッチングに転じた技術転換は、20年の研究期間を要したが、戦後の写真製版機器、シャドーマスク、半導体製造装置という3つの事業領域への展開を可能にした。「精密な画像を化学的に加工する」という基盤技術が一貫して応用され続けた点で、祖業の危機感か…
大日本スクリーンが半導体製造装置に参入できた背景には、製版機器で蓄積した「位置決め・塗布・表面処理」の基本技術が半導体製造工程と本質的に共通していたという技術的連続性がある。参入障壁が相対的に低かったため、1975年のウエハ腐食機を皮切りに3年間で塗布・現像・洗浄の装置群を投入で…
1990年代の洗浄装置市場はシェア10%前後の中堅企業が群雄割拠していたが、300mmウエハへの移行に伴う開発費と設備投資の高騰が参入障壁として機能し、量産工場を新設できたのは大日本スクリーンのみであった。石田明社長が不況期にも投資を継続した判断は、短期的には赤字転落を招いたが、…