半導体製造装置の開発(エッチング)
製版機器の基本技術「位置決め・塗布・表面処理」を半導体製造装置に転用
大日本スクリーン製造は1960年代から半導体産業との接点を持ち始めていた。1966年には半導体製造装置用の超精密縮小カメラを開発し、半導体のフォトリソグラフィ工程に必要な露光装置の一端を担った。写真製版機器の製造を通じて蓄積した「位置決め」「塗布」「表面処理」の3つの基本技術は、半導体製造装置が要求する技術要素と本質的に共通しており、大日本スクリーンにとって半導体分野への参入障壁は相対的に低かった。
石田徳次郎社長は「当社の基本技術の応用展開」として半導体製造装置への参入を位置づけ、製版機器で培ったケミカルエッチング技術と精密塗布技術を半導体製造工程に適用する方針を打ち出した。1970年代の日本では半導体産業が急成長期に入りつつあり、製造装置への需要が拡大していた。
ウエハ腐食機を皮切りに、塗布・現像・洗浄の装置群を相次いで開発
1975年に大日本スクリーンはウエハー腐食機(ウェット式エッチング装置)を開発し、半導体業界向け事業を本格的に開始した。1977年にはEMW-322/411を製品化し、続く1978年にはスピンコータ(レジスト塗布機)SCW-421、スピンデベロッパ(レジスト現像機)SCD-421、スピンクラバ(洗浄装置)SCC-421を相次いで投入した。エッチング・塗布・現像・洗浄という半導体製造の前工程を幅広くカバーする装置ラインナップを短期間で構築した形である。
この時期の大日本スクリーンは洗浄装置に特化しておらず、半導体製造に関わる多様な装置を展開する戦略をとっていた。プリント配線板製造装置の共同開発(エルナー社)も含め、半導体関連の広い領域に布石を打つ段階であった。
FY1978から研究開発費と設備投資を大幅に拡大し、半導体装置事業を加速
FY1978を境に大日本スクリーンは半導体製造装置への投資を本格化させた。設備投資額はFY1977の12億円からFY1980の51億円へと4倍以上に増加し、減価償却を上回る積極投資を継続した。研究開発費も売上高の3%台から5%台へと引き上げられ、FY1983には38億円に達した。技術者の大量採用にも着手し、従業員数は1977年の1223名から1983年の1783名へと拡大した。
売上高はFY1972の105億円からFY1983の670億円へと6倍以上に成長し、経常利益も65.6億円を計上した。ただしこの時期の業績拡大には写真製版機器における「スキャナグラフ」のヒットも寄与しており、半導体製造装置単独での業績貢献が本格化するのは1980年代半ば以降と推定される。製版機器で稼いだ利益を半導体装置の研究開発に再投資するという、段階的な業態転換の構造であった。