300mmウエハ対応の洗浄装置で量産開始
シェア10%前後の企業が群雄割拠する洗浄装置市場に、東京エレクトロンが新規参入
1990年代初頭の半導体洗浄装置市場は、大日本スクリーン(シェア22%)を筆頭に、カイジョー(11%)、スガイ(12%)、三協エンジニアリング(11%)、島田理化工業(10%)といった中堅企業がシェア10%前後で群雄割拠する市場であった。各社は懇意の半導体メーカーに装置を納入するという商慣習のもとで共存していたが、ウエハの大口径化に伴い開発費が高騰し、中堅企業にとっては投資負担が重くなりつつあった。
1993年には半導体製造装置大手の東京エレクトロンが洗浄装置市場に参入し、シェアを急速に拡大した。東京エレクトロンのシェアは1991年の0%から1993年に3%、1996年には16%に達した。大手装置メーカーの参入は市場の競争構造を根本から変え、中堅企業の淘汰が進行する局面に入った。洗浄装置市場の規模は1987年の100億円から1996年の838億円へと急拡大していたが、その成長の果実を取れる企業は絞り込まれつつあった。
大日本スクリーンにとって、洗浄装置は祖業の製版機器に代わる収益の柱として位置づけられていた。FY1994には電子工業向け機器の売上が印刷関連機器を上回り、業態転換の転換点を迎えていた。ここで洗浄装置のシェアを維持・拡大できなければ、企業としての成長基盤を失うリスクがあった。
石田明社長が300mmウエハ対応を不可避と判断し、不況期に巨額投資を断行
石田明社長(創業家出身、在任1989〜2005年)は、半導体メーカーがウエハサイズを200mmから300mm(12インチ)へ大型化することを不可避と判断した。1995年に石田社長は「ウエハーサイズを現在の8インチから12インチへ大型化するビジョンを持っている。12インチは2000年ごろには生産開始となる情勢だが、97〜98年には製造装置の供給を開始しなければこの分野で業界をリードできない」(証券アナリストジャーナル 33(7))と述べ、業界に先駆けた対応を宣言した。
大日本スクリーンは1997年にバッチ式洗浄装置「FC-3000」を発表し、300mmウエハ対応機種を市場に投入した。同時にFY1997には設備投資額184億円(連結)を計上して滋賀県に多賀事業所を新設し、300mm対応の量産体制を構築した。資金調達にあたっては転換社債を相次いで発行し、FY1996に150億円、FY1997に1.8億スイスフランを調達した。
しかし1998年にシリコンサイクルが不況期に入り、大日本スクリーンはFY1998に営業赤字131億円、最終赤字245億円を計上した。石田社長は「売上の見通しが大変厳しい中、300ミリウエハーをはじめとする次世代半導体への対応など、将来の核となる技術に対する研究開発投資や、先端技術に対応した増産体制のための費用負担は避け難い」として不況期にも投資を継続する方針を示した。
300mm対応の量産工場を新設できたのは大日本スクリーンのみ、競合の脱落でシェアを確立
300mmウエハ対応の洗浄装置を量産するための新工場を建設できたのは、洗浄装置メーカーの中で大日本スクリーンのみであった。中堅企業は開発費の高騰と設備投資の負担に耐えきれず、300mm対応への移行に追随できなかった。ウエハの大口径化という技術転換が、事実上の参入障壁として機能し、群雄割拠の市場構造から寡占構造への転換を促した。
2001年3月に大日本スクリーンは彦根事業所にFab.FC-1(現S-1)を新設し、300mm対応洗浄装置の本格量産を開始した。2006年にはFab.FC-2(現S-2)を増設し、半導体メーカーの投資拡大に対応した。2000年代を通じて大日本スクリーンは洗浄装置におけるシェアを着実に拡大し、2022年時点ではバッチ式洗浄装置で世界シェア48%(1位)、枚葉式洗浄装置で世界シェア33%(1位)を確保するに至った。
不況期の巨額投資は短期的にはFY1998の赤字転落と希望退職142名の募集という痛みを伴ったが、300mmウエハ時代の到来とともに投資は回収された。石田社長が「業界をリードできない」と危機感を持って先行投資に踏み切った判断は、結果的に洗浄装置市場の競争構造を大日本スクリーンに有利な形で確定させた。