1991年〜 NTTからの分社と全国網の先行構築が生んだ携帯電話市場の独走
- 1991年 日本電信電話の出資により設立
- 1991年 各地域移動通信企画8社を設立
- 1992年 エヌ・ティ・ティ移動通信網に商号変更
- 1992年 日本電信電話から移動通信事業を営業譲受
- 1993年 地域企画会社8社が各地域移動通信網に商号変更
- 1994年 端末の売り切り制を導入
- 1997年 首都圏の新規契約シェアが89%に到達
移動通信事業の営業譲受による実質開業と全国網の先行構築
1991年8月、日本電信電話の出資により、エヌ・ティ・ティ・移動通信企画が東京で設立された[1]。1985年に民営化された日本電信電話[2]から移動通信事業を切り離す受け皿として、公正競争の促進を目的とした政府措置[3]を受けて用意された会社である。同年11月には北海道・東北・東海・北陸・関西・中国・四国・九州の各地域移動通信企画8社を設立し[4]、全国を地域会社で分担する体制を同時に組んだ。1992年4月にエヌ・ティ・ティ移動通信網へ商号を変更し[5]、同年7月に日本電信電話から携帯・自動車電話、無線呼出、船舶電話、航空機公衆電話の各事業を営業譲受して開業した[6]。分社の直後から携帯電話の需要が爆発的に拡大し、その恩恵を最も受けたのがドコモだった[7]。
- NTTドコモ 有価証券報告書 第29期(2020年3月期)【沿革】
- [1]1991年8月 日本電信電話の出資によりエヌ・ティ・ティ・移動通信企画設立
- [4]1991年11月 各地域移動通信企画8社(北海道、東北、東海、北陸、関西、中国、四国、九州)設立
- [5]1992年4月 エヌ・ティ・ティ移動通信網へ商号変更
- [6]1992年7月 日本電信電話より移動通信事業(携帯・自動車電話、無線呼出、船舶電話、航空機公衆電話)の営業譲受
- 週刊東洋経済 2020年10月10日号「ニュース最前線 01 NTTが4兆でドコモ吸収 携帯料金値下げへの布石」
- [2]日本電信電話の民営化 1985年
- [3]公正競争の促進を目的とした政府措置による1992年のNTTからの分離
- 週刊東洋経済 1997年9月27日号「企業「圧勝」ドコモ NTTをも脅かす今世紀最後の“大物”上場が近づいた」
- [7]1992年のNTTからの分離以降 携帯電話ブームで最も恩恵を受けた事業者がドコモ
1993年4月に地域企画会社8社が各地域移動通信網へ商号を変更し[8]、同年7月には各地域の携帯・自動車電話と無線呼出の事業を8社へ営業譲渡した[9]。同年10月にはエヌ・ティ・ティ中央移動通信との合併と、地域ドコモ8社による各地域移動通信の吸収[10]を同時に済ませ、全国を9社で覆う分担が整った。1994年の端末売り切り制の導入と相次ぐ料金値下げを境に、携帯電話の加入者は毎年1,000万人という速度で増えた[11]。大星公二社長は勝因を三つに整理し、北海道から九州までの全国ネットワーク構築、端末の小型軽量化を支えた開発力[12]、利益が出れば料金値下げで還元する方針を挙げた。赤字の時期にも研究開発費を削らず、先行して料金を下げて需要を喚起した点は、後任の立川敬二社長も先代の功績として認めている[13]。
- NTTドコモ 有価証券報告書 第29期(2020年3月期)【沿革】
- [8]1993年4月 地域企画会社8社が各地域移動通信網へ商号変更
- [9]1993年7月 各地域の移動通信事業(携帯・自動車電話、無線呼出)を8社へ営業譲渡
- [10]1993年10月 エヌ・ティ・ティ中央移動通信と合併、地域ドコモ8社が各地域移動通信を吸収合併
- 週刊東洋経済 1999年8月7日号「[特集]通信活性化の条件 ドコモをNTTから分離せよ! 通信産業活性化の新条件」
- [11]1994年の端末売り切り制導入と相次ぐ料金値下げ以降 携帯電話加入者が毎年1,000万人の速度で増加
- 週刊東洋経済 1997年9月27日号「企業「圧勝」ドコモ NTTをも脅かす今世紀最後の“大物”上場が近づいた」
- [12]大星公二社長が挙げた勝因 全国ネットワーク構築・端末の開発力・料金値下げによる還元
- 週刊東洋経済 2001年4月28日号「INTERVIEW NTTドコモ社長 立川敬二 第3世代、国際戦略、分割。ドコモの本音を話そう」
- [13]立川敬二社長「先代(大星公二会長)が苦しいときも研究開発を一生懸命やった」「赤字なのに先行して料金を下げて需要を喚起した」
- NTTドコモ 有価証券報告書 第29期(2020年3月期)【沿革】
- [1]1991年8月 日本電信電話の出資によりエヌ・ティ・ティ・移動通信企画設立
- [4]1991年11月 各地域移動通信企画8社(北海道、東北、東海、北陸、関西、中国、四国、九州)設立
- [5]1992年4月 エヌ・ティ・ティ移動通信網へ商号変更
- [6]1992年7月 日本電信電話より移動通信事業(携帯・自動車電話、無線呼出、船舶電話、航空機公衆電話)の営業譲受
- [8]1993年4月 地域企画会社8社が各地域移動通信網へ商号変更
- [9]1993年7月 各地域の移動通信事業(携帯・自動車電話、無線呼出)を8社へ営業譲渡
- [10]1993年10月 エヌ・ティ・ティ中央移動通信と合併、地域ドコモ8社が各地域移動通信を吸収合併
- 週刊東洋経済 2020年10月10日号「ニュース最前線 01 NTTが4兆でドコモ吸収 携帯料金値下げへの布石」
- [2]日本電信電話の民営化 1985年
- [3]公正競争の促進を目的とした政府措置による1992年のNTTからの分離
- 週刊東洋経済 1997年9月27日号「企業「圧勝」ドコモ NTTをも脅かす今世紀最後の“大物”上場が近づいた」
- [7]1992年のNTTからの分離以降 携帯電話ブームで最も恩恵を受けた事業者がドコモ
- [12]大星公二社長が挙げた勝因 全国ネットワーク構築・端末の開発力・料金値下げによる還元
- 週刊東洋経済 1999年8月7日号「[特集]通信活性化の条件 ドコモをNTTから分離せよ! 通信産業活性化の新条件」
- [11]1994年の端末売り切り制導入と相次ぐ料金値下げ以降 携帯電話加入者が毎年1,000万人の速度で増加
- 週刊東洋経済 2001年4月28日号「INTERVIEW NTTドコモ社長 立川敬二 第3世代、国際戦略、分割。ドコモの本音を話そう」
- [13]立川敬二社長「先代(大星公二会長)が苦しいときも研究開発を一生懸命やった」「赤字なのに先行して料金を下げて需要を喚起した」
首都圏シェア89%の独走と1998年10月の株式上場
分離から5年で市場での位置は決着し、1997年1月の首都圏における新規契約のシェアは89%に達した[14]。累計シェアでも過半を押さえ[15]、1998年3月期は連結売上高2兆4,120億円・純利益600億円[16]が見込まれていた。1996年11月に公正取引委員会が携帯電話各社へ立入検査に入り[17]、販売店への価格拘束の疑いが指摘された結果、従来は高めだったドコモ端末の価格が下がり、他社との格差が縮まった[18]。販売店からは「同じ値段なら『ドコモ』ブランドを買う客のほうが多い」[19]という声が挙がっている。競合するIDOの塚田健雄社長は「ドコモは公社時代の人、カネ、技術という国家資産を受け継いだ[20]。同じ土俵には立てない」と批判したが、大星社長は公社時代の技術はほとんど無いと反論した[21]。安売りを放置すればシェアがかえって増えるため、独占禁止法を意識せざるをえないジレンマ[22]を抱えていた。
- 週刊東洋経済 1997年9月27日号「企業「圧勝」ドコモ NTTをも脅かす今世紀最後の“大物”上場が近づいた」
- [14]1997年1月の首都圏における新規契約シェア 89%
- [15]累計シェアでもドコモが過半を保持
- [16]1998年3月期見込み 連結売上高2兆4,120億円(23%増)・純利益600億円(倍増)
- [17]1996年11月 公正取引委員会が携帯電話各社へ立入検査(販売店への価格拘束の疑い)
- [18]公取委の立入検査後 従来高めだったドコモ端末の価格が下落し他社との格差が縮小
- [19]販売店の声「同じ値段なら『ドコモ』ブランドを買う客のほうが多い」
- [20]IDOの塚田健雄社長「ドコモは公社時代の人、カネ、技術という国家資産を受け継いだ。同じ土俵には立てない」
- [21]大星公二社長「技術独占というが公社時代のものはほとんどない」
- [22]価格拘束を警戒して安売りを放置するとシェアがさらに増えるため 勝ち過ぎゆえに独禁法を意識するジレンマ
1998年10月、東京証券取引所市場第一部へ上場した[23]。公募価格は390万円と決まり、10月22日の初値[24]に市場の関心が集まった。国内外の市場からの調達額は合計2兆1,255億円[25]にのぼり、親会社の日本電信電話にはドコモ株の売却益として約8,500億円[26]が入った。当初の国内主幹事は山一証券の予定だったが、同社の自主廃業を受けて日興証券へ引き継がれ、海外主幹事はゴールドマン・サックス証券[27]が務めている。上場に先立ち、公正取引委員会は日本電信電話に対し95%の持株比率を下げるよう指導した[28]が、同社は5割以下にはしない方針を崩さなかった。1997年にNTTから副社長として送り込まれた立川敬二氏[29]が、1998年に社長へ就任している。
- NTTドコモ 有価証券報告書 第29期(2020年3月期)【沿革】
- [23]1998年10月 東京証券取引所市場第一部に上場
- 週刊東洋経済 1998年10月24日号「[フラッシュ]ドコモ上場で真に笑うのは誰か?」
- [24]公募価格390万円・初値は10月22日
- [25]国内外の調達総額 2兆1,255億円
- [26]NTTに入ったドコモ株売却益 約8,500億円
- [27]国内主幹事は旧山一証券の自主廃業により日興証券へ、海外主幹事はゴールドマン・サックス
- 週刊東洋経済 1997年9月27日号「企業「圧勝」ドコモ NTTをも脅かす今世紀最後の“大物”上場が近づいた」
- [28]公正取引委員会がNTTへ持株比率95%の引き下げを指導、NTTは5割以下にはしない方針
- 週刊東洋経済 2001年4月28日号「INTERVIEW NTTドコモ社長 立川敬二 第3世代、国際戦略、分割。ドコモの本音を話そう」
- [29]立川敬二氏 1997年NTTドコモ副社長・1998年社長就任(1939年生、62年東京大学工学部卒、同年日本電信電話公社入社)
- 週刊東洋経済 1997年9月27日号「企業「圧勝」ドコモ NTTをも脅かす今世紀最後の“大物”上場が近づいた」
- [14]1997年1月の首都圏における新規契約シェア 89%
- [15]累計シェアでもドコモが過半を保持
- [16]1998年3月期見込み 連結売上高2兆4,120億円(23%増)・純利益600億円(倍増)
- [17]1996年11月 公正取引委員会が携帯電話各社へ立入検査(販売店への価格拘束の疑い)
- [18]公取委の立入検査後 従来高めだったドコモ端末の価格が下落し他社との格差が縮小
- [19]販売店の声「同じ値段なら『ドコモ』ブランドを買う客のほうが多い」
- [20]IDOの塚田健雄社長「ドコモは公社時代の人、カネ、技術という国家資産を受け継いだ。同じ土俵には立てない」
- [21]大星公二社長「技術独占というが公社時代のものはほとんどない」
- [22]価格拘束を警戒して安売りを放置するとシェアがさらに増えるため 勝ち過ぎゆえに独禁法を意識するジレンマ
- [28]公正取引委員会がNTTへ持株比率95%の引き下げを指導、NTTは5割以下にはしない方針
- NTTドコモ 有価証券報告書 第29期(2020年3月期)【沿革】
- [23]1998年10月 東京証券取引所市場第一部に上場
- 週刊東洋経済 1998年10月24日号「[フラッシュ]ドコモ上場で真に笑うのは誰か?」
- [24]公募価格390万円・初値は10月22日
- [25]国内外の調達総額 2兆1,255億円
- [26]NTTに入ったドコモ株売却益 約8,500億円
- [27]国内主幹事は旧山一証券の自主廃業により日興証券へ、海外主幹事はゴールドマン・サックス
- 週刊東洋経済 2001年4月28日号「INTERVIEW NTTドコモ社長 立川敬二 第3世代、国際戦略、分割。ドコモの本音を話そう」
- [29]立川敬二氏 1997年NTTドコモ副社長・1998年社長就任(1939年生、62年東京大学工学部卒、同年日本電信電話公社入社)