1991年8月14日、日本電信電話の出資によってエヌ・ティ・ティ・移動通信企画が設立された。公正競争の促進を目的とした政府の措置に沿った分社であり、事業そのものは親会社が既に営んでいたものである。同年11月には北海道から九州までの八地域に移動通信企画を置き、1992年4月にエヌ・ティ・ティ移動通信網へ商号を改め、同年7月に日本電信電話から携帯・自動車電話、無線呼出、船舶電話、航空機公衆電話の営業を譲り受けて開業した。譲り受けたのは営業権だけではない。事業は親会社が積み上げてきた契約と設備の上に立っており、創業の元手にあたるものを、この会社は市場からではなく政策から受け取ったことになる。
全国を九つの会社に割る体制は、開業の翌年に整えられた。1993年4月に地域企画会社8社が各地域移動通信網へ商号を変え、同年7月にそれぞれの地域における携帯・自動車電話と無線呼出の営業を譲り受けている。同年10月にはエヌ・ティ・ティ中央移動通信を吸収合併し、あわせて地域の8社も各地域の移動通信会社と合併した。1998年に上場した時点でも、営業は全国九つのグループ会社が分担する形で続いていた。分けた理由は需要の違いではなく、地域ごとに事業者を置くという通信行政の枠組みにあった。網は全国で一つでありながら、それを運営する法人は九つに割れていた。
競争は分離の直後に始まった。携帯電話のシェアは、1993年度末の62%から2、3年のうちに48%まで14ポイント下がっている。同じ市場には日本移動通信とセルラー系各社が入り、契約の奪い合いが起きていた。シェアが急落したとき、会社が選んだのは値引きではなく設備だった。『シェア回復につながる投資ではなく、ネットワークを充実させる設備投資を着々と続けたのが幸いしました』。回線が切れにくくなって通話品質が高まった結果シェアは戻り、1998年末には5割を超えている。値引きの効き目ではなく、かけたいときにつながるかという通信の基本で優位を取り直したことになる。
端末を貸す商売から売る商売へ移ったのは1994年4月である。会社は同月、携帯・自動車電話の「端末お買上げ制度」を導入している。移動電話の自由化にあわせて新規加入料は4万5,000円前後から1万円程度へ下げられ、月額基本料も引き下げられた。アナログ方式では、この会社の基本料が月額1万6,000円から9,500円になり、日本移動通信とセルラー系各社は8,500円とした。入口の負担を薄くしたことで、事業者各社の1994年度の新規加入見込みは合計80万から90万台に達し、前年度予想の35万台の2倍を超えた。
売り切り制は、通信料とは別の売上を会社に与えた。1998年3月期の単体の営業収益1兆2,759億円のうち、電気通信事業が1兆176億円で79.8%、携帯電話機器やポケットベル機器の販売などの附帯事業が2,583億円で20.2%を占めている。電話サービスだけを取り出すと8,783億円で、全体の68.9%にあたる。端末は販売代理店を通じて売られ、会社は代理店へ手数料を支払っており、その一要素が端末販売奨励金だった。のちに会社自身が、奨励金による安価な端末の販売は成長期の契約者拡大に適した仕組みだったと書いている。売上の5分の1が端末から立つ構造は、契約を取るための費用をそのまま売上の形で抱える構造でもあった。
契約は積み上がるものであり、積み上がった分だけ基本料と通話料が毎月立つ。携帯電話の加入者数は1995年度に1,000万を超え、その後も年に1,000万ずつ増えていった。1998年度末に累計4,000万を超えることは、1999年初めの時点で確実視されていた。連結の営業収益は1996年3月期の1兆2,371億円から1997年3月期に1兆9,628億円、1998年3月期に2兆6,261億円へ伸び、経常利益は766億円から3,116億円になった。1999年3月期は営業収益3兆60億円、経常利益2,820億円が利益計画に置かれていた。1998年3月末の携帯・自動車電話の契約者数はグループ全体で2,000万を超え、この時点で世界最大の移動通信会社グループとなっていた。
1998年10月22日、東京証券取引所市場第一部に上場した。公募・売出価格は1株390万円、上場時の発行済株式総数は1,915,200株だった。ただし支配の所在は動いていない。上場直前の同年8月17日時点で日本電信電話が1,503,720株、発行済株式総数の94.68%を保有しており、1999年7月に親会社が純粋持株会社体制へ移ったあとも出資比率は67%だった。市場に出た株式は少なく、2001年時点の流動性は4%以下とみられていた。資金は市場から取り、決定権は親会社に残す。上場はこの会社にとって資金調達の手段であって、独立の手続きではなかった。
1999年2月に始まった「iモード」は、回線を貸す商売の上に、何を載せるかを自社で決める層を重ねたものだった。前提にあったのは1997年3月に始めたパケット通信で、送った情報量に応じて課金する仕組みがあって初めて、つなぎっぱなしで使う料金が成り立つ。海外ではパケット通信網が整備されておらず、情報量に応じた安価な料金で使えるというiモードの魅力を生かせなかった。サービスは1年余りで600万人近くを集めた。会社にとってiモードは次世代サービスの前段にあたり、音声以外のやり取りが支持を得ることの確認でもあった。上に載せる層の強さは、その下にある自社の網の作りに縛られていた。
設備の元手は二方向から来ていた。会社は2001年2月、1兆円規模の公募増資を行った。株価が1年前の半値に落ちていたこともあり、なぜこの時期なのかと疑う投資家もいた。もっとも、事業のもう一つの元手である周波数は市場調達に頼っておらず、欧米の携帯電話会社が落札におよそ1兆円を投じたのに対し、この会社は国内で事実上無償の割り当てを受けていた。2001年5月に試験サービスとして始まった第3世代の「FOMA」は、10月に本格サービスへ移った。需要が育たないうちに設備投資を先行させれば過剰設備を招くという見方も出るなか、立川社長は1番手にこだわり抜く姿勢を示した。
自社の網の上へサービスを載せる設計は、他社の網の上へは移せなかった。2000年11月、会社は米AT&Tワイヤレスへ株式の16%、約1兆792億円を出資すると発表している。経営権に及ばない持分にとどめたのは、出資額を抑えたうえで役員を送り込み、第3世代の方式とiモードを採らせれば足りるという読みによる。読みは外れた。2002年3月期、営業収益は5兆1,715億円、経常利益は8,533億円に達しながら、当期純利益は8億6,200万円にとどまっている。米国会計基準では出資先の減損6,246億円を計上した。本業の利益がほぼ丸ごと海外の持分に吸われた期だった。
損失の処理には3年を要した。2003年3月期にも3,196億円の減損を計上し、同期の売上高は4兆8,091億円、当期純利益は2,125億円だった。2004年10月、シンギュラーによるAT&Tワイヤレスの買収にあわせて保有株式を約64億9,500万米ドルで売却し、海外の持分は整理へ向かう。2004年3月期の当期純利益は6,500億円、2005年3月期は営業収益4兆8,446億円に対し営業利益7,842億円、当期純利益7,476億円まで戻った。数字の上では回復したが、この3年で確かめられたのは、他社の網の上に自社の仕組みを載せる権利は、15%や16%の持分では買えないということだった。
海外で損を出している間に、国内では契約の純増数で首位を明け渡していた。2003年10月からの8か月、純増数はKDDIのauに及ばず、第3世代向けの定額制データ通信でも先を越されている。2004年6月、社長に就いた中村維夫氏は、技術偏重と海外投資による多額の損失を過去の失政として認めたうえで、顧客第一を最初の方針に掲げた。就任会見で中村氏が述べたのは、携帯電話の普及期には事業者の主導で業績を拡大できたが、もはやその時代ではないという認識だった。会社の側が何を出すかを決められる局面が、この時期に終わっていた。
国内の契約数は2007年12月に1億に達し、市場は成熟期へ入った。会社はこの局面を、携帯電話を使っていない潜在契約者を新規獲得の推進力にはできず、競合他社の契約者を取るほかない段階と捉えている。最大の市場シェアを持つ事業者にとって、他社から取る競争は取られる競争でもある。そのため会社は既存契約者の維持を重視する方針へ移った。2007年8月と9月には、2年間の継続利用を条件に月額基本使用料を半額とする割引を導入し、2009年3月時点でこれらへの契約率は6割を超えている。契約が積み上がるほど収益が積み上がる構造は変わらないが、積み上げる方法は、新しい客を増やすことから、いま抱えている客を逃がさないことへ置き換わった。
2007年11月、会社は代理店へ支払う手数料の一要素だった端末販売奨励金を廃止した。奨励金には、負担の所在が見えにくく、端末を長く使う契約者と短く使う契約者のあいだで負担が不公平になり、販売手数料が事業者の利益を圧迫するという難点があった。代わりに置いたのが、端末代金を契約者が負担する分だけ月額基本使用料を下げる「バリューコース」と料金プラン「バリュープラン」である。端末代金は割賦払いを選べ、会社が代理店へ立て替えたうえで毎月の通信料とあわせて請求する形とした。選択率は9割を超え、バリュープランの契約は2009年3月に2,000万を上回っている。
同じ時期、全国を九つに割ってきた体制も畳んでいる。2008年7月、会社は地域ドコモ8社を吸収合併した。狙いは顧客サービスの充実と強化、グループ経営の効率化、意思決定の速さに置かれた。売り方と料金の組み替えは数字に表れた。2009年3月期の営業収益は割引サービスの普及により前期比2,638億円減の4兆4,480億円となる一方、端末販売数の減少で調達費用が下がり、営業利益は226億円増の8,310億円になっている。携帯電話サービスの解約率は0.50%まで下がった。収入を削って利益を残す形へ、収益の作りそのものが変わった。
高速通信の網は自前で敷き続けた。2010年12月にLTEによる「Xi」を始め、2012年3月には1993年から続いたmovaとパケット通信のDoPaを終えている。一方で端末の品揃えのほうは、自前で揃える方針を解くことになった。2013年9月にiPhoneの販売を始め、同年10月に商号をNTTドコモへ改めた。スマートフォンの販売数は2014年3月期に1,378万台となり、代理店への卸売単価が上がったことで、端末機器販売収入は前期の7,581億円から1,139億円、15.0%増えて8,720億円になった。網の仕様は自社で決め、端末は他社の製品を並べる形へ移ったことになる。
端末が伸びた分だけ、回線の収入は痩せた。2014年3月期の営業収益は前期比89億円減の4兆4,612億円で、このうちモバイル通信サービス収入は2,127億円減の2兆9,558億円となり、営業収益に占める比率は70.9%から66.3%へ下がっている。音声収入は1兆2,746億円から1兆652億円へ2,094億円減り、1契約当たりの月間平均収入でみると音声は1,730円から1,370円になった。代わりに伸びたのは端末と付加サービスである。子会社の売上やdマーケットの関連収入を含むその他の営業収入は5,436億円から6,334億円へ899億円増えた。
端末を安く見せるための負担は、値引きの名を変えて残った。端末代金を毎月の通信料から差し引く「月々サポート」による減収は、2014年3月期に前期より2,536億円増えている。営業利益は連結業績予想の8,400億円に届かず、前期比180億円減の8,192億円となった。設備の負担も軽くはならなかった。同期の設備投資額は7,031億円で、うち55.2%がXiの網に向かい、翌期もLTEへ資源を集中して基地局を4万局増やす計画が置かれた。奨励金を廃して透明にしたはずの値引きは、通信料から引く形で戻り、設備は毎年7,000億円規模で積み増す事業のままだった。
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|---|---|---|---|---|
| 1991〜2001年営業譲受で始まり売り切り制とiモードで契約を積んだ創業期 | 日本電信電話の出資により設立 | ★★ | ||
| 各地域移動通信企画8社を設立 | ★ | |||
| 大星公二 | エヌ・ティ・ティ移動通信網に商号変更 | ★ | ||
| 大星公二 | 日本電信電話から移動通信事業を営業譲受 | ★★ | ||
| 大星公二 | 地域企画会社8社が各地域移動通信網に商号変更 | ★ | ||
| 大星公二 | 地域ドコモ8社に移動通信事業を営業譲渡 | ★ | ||
| 大星公二 | エヌ・ティ・ティ中央移動通信を吸収合併 | ★ | ||
| 大星公二 | 端末の売り切り制を導入 | ★★ | ||
| 大星公二 | 公正取引委員会が携帯電話各社に立入検査 | ★ | ||
| 大星公二 | 首都圏の新規契約シェアが89%に到達 | ★★ | ||
| 立川敬二 | 立川敬二氏が社長に就任 | ★ | ||
| 立川敬二 | 東京証券取引所市場第一部に上場 | ★ | ||
| 立川敬二 | エヌ・ティ・ティ中央パーソナル通信網からPHS事業を営業譲受 | ★ | ||
| 立川敬二 | 「iモード」のサービスを開始 | ★★★ | ||
| 立川敬二 | 日本電信電話が純粋持株会社体制に移行 | ★★ | ||
| 立川敬二 | ハチソンテレフォンに資本参加 | ★ | ||
| 立川敬二 | エヌ・ティ・ティ・ドコモに商号変更 | ★ | ||
| 立川敬二 | KPNモバイルに出資 | ★★ | ||
| 立川敬二 | iモード・W-CDMAの世界展開を狙った海外通信事業者への約1.9兆円出資 1999年末から2001年にかけて、NTTドコモがiモードとW-CDMAの世界展開を掲げ、香港ハチソンテレフォン・蘭KPNモバイル・米AT&Tワイヤレス・英ハチソン3G UKなど海外の通信事業者へ累計約1.9兆円を出資した経営判断。立川敬二社長が主導し、出資が集中した2000年に対外的に明確化した。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 立川敬二 | 第3世代サービス「FOMA」を開始 | ★★ | ||
| 2002〜2013年海外出資の減損と国内市場の飽和、地域8社合併とiPhone導入 | 立川敬二 | ロンドン証券取引所・ニューヨーク証券取引所に上場 | ★ | |
| 立川敬二 | 売上高5兆円・営業利益1兆円を突破 | ★★ | ||
| 立川敬二 | 海外出資先の減損6246億円を計上 | ★★ | ||
| 立川敬二 | 海外出資先の減損3196億円を計上 | ★ | ||
| 中村維夫 | 中村維夫氏が社長に就任 | ★ | ||
| 中村維夫 | AT&T Wireless株を売却 | ★★ | ||
| 中村維夫 | PHSの新規受付を終了 | ★ | ||
| 中村維夫 | 番号ポータビリティ制度が開始 | ★ | ||
| 中村維夫 | マルチメディア放送の準備会社を設立 | ★ | ||
| 山田隆持 | 山田隆持氏が社長に就任 | ★ | ||
| 山田隆持 | 地域ドコモ8社を吸収合併 | ★★★ | ||
| 山田隆持 | LTEサービスを開始 | ★★ | ||
| 山田隆持 | スマートフォン向け放送「NOTTV」を開局 | ★ | ||
| 加藤薰 | 加藤薰氏が社長に就任 | ★ | ||
| 加藤薰 | 自前の端末ラインアップで囲い込む方針を解き、AndroidとiOSの二本立てへ転じた 2013年9月、NTTドコモはiPhone 5s及び5cを端末ラインナップに加え、Android端末とiOS端末の双方を取り扱う体制へ転じた。国内メーカーの端末をそろえて自社仕様のサービスで顧客を囲い込むという、iモード以来の端末戦略を改めた判断である。加藤薰社長のもとで、5期続いた契約数シェアの低下と番号持ち運び制度による転出に歯止めをかけにいった。 詳細を読む | |||
| 加藤薰 | 「ツートップ戦略」を開始 | ★ | ||
| 加藤薰 | iPhoneの取り扱いを開始 | ★★★ | ||
| 加藤薰 | NTTドコモに商号変更 | ★ | ||
| 加藤薰 | 1株を100株に分割 | ★ | ||
| 2014〜2020年値下げ圧力とdポイント経済圏への転換、NTTによる完全子会社化 | 加藤薰 | 売上高4兆3834億円・営業利益6439億円に減少 | ★ | |
| 加藤薰 | 「NOTTV」からの撤退を決定 | ★★ | ||
| 吉澤和弘 | 吉澤和弘氏が社長に就任 | ★ | ||
| 吉澤和弘 | 営業利益1兆966億円・純利益7908億円を計上 | ★ | ||
| 吉澤和弘 | ニューヨーク証券取引所の上場を廃止 | ★ | ||
| 吉澤和弘 | 最大4000億円の顧客還元を発表 | ★★★ | ||
| 吉澤和弘 | 売上高4兆6513億円・営業利益8546億円を計上 | ★ | ||
| 吉澤和弘 | 日本電信電話が公開買付けによる完全子会社化を発表 | ★★★ | ||
| 井伊基之 | 井伊基之氏が社長に就任 | ★★ | ||
| 井伊基之 | 東京証券取引所市場第一部の上場を廃止 | ★★ |
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事実根拠:出所(NTTドコモ)