日本移動通信の歴史

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沿革

1987年に日本高速通信から分離した移動体部門が起源。

1999年にcdmaOneへ全面転換し、2000年にDDIセルラーグループと携帯電話のブランドを「au」に統一した。首都圏と中部圏を地盤とした携帯電話会社で、2000年の三社合併でKDDIへ統合された。

1987年1988年1997年1998年1999年2000年日本移動通信1987年移動体部門を分離日本高速通信1987年合流携帯電話サービス1988年NTT方式で開始決断DDIセルラーと提携1997年次世代携帯で提携決断トヨタの子会社に1998年増資で子会社化トヨタ自動車1998年増資を引受cdmaOne1999年サービス開始決断日本移動通信2000年吸収合併で解散第二電電(現KDDI)2000年IDOを吸収合併
  1. 日本移動通信を設立[1]
  2. トヨタ自動車から塚田健雄氏が専務に就任[2]
  3. NTT大容量方式の採用[3]プラットフォーム・標準化
第1章日本高速通信からの分離と1988年12月のNTT方式での開業
売上高
  • 売上高
日本移動通信売上高—
成長期

1989年〜モトローラ方式「トーキョーフォン」の開始と400億円の追加投資

  1. 日米電気通信交渉を受けてモトローラ方式の首都圏導入を引き受ける[4]
  2. 塚田健雄氏が社長に就任[5]社長交代
  3. モトローラ方式(TACS)による「トーキョーフォン」を開始[4]
  4. モトローラ方式に3年間で400億円超の追加投資を決め、累損一掃を1996年へ先送り[4]
  5. NTT方式の小型端末「ミニモJ」を実用化[4]
売上高
  • 売上高
日本移動通信売上高—
成長期

1994年〜端末売り切り制による加入急増と38億円の経常損失

  1. デジタル方式の携帯電話サービスを開始[4]
  2. 携帯電話端末の売り切り制が始まり加入が急増[6]
  3. 1994年度中間期に経常損失38億3300万円を計上し赤字へ転落[5]赤字転落
  4. 月間販売数量で初めてNTTドコモを上回る[5]
  5. 資本金を114億円から229億円へ倍額増資[5]
  6. モトローラとの再交渉を受けて無線基地局159局を増設[5]
売上高
  • 売上高
日本移動通信売上高—
転換期

1997年〜cdmaOneの導入と第二電電への吸収合併

  1. DDIセルラーグループとの提携[1]技術・R&D起点の攻勢
  2. トヨタ自動車が増資を引き受けて子会社化[7]買収
  3. cdmaOneへの転換[8]技術・R&D起点の攻勢
  4. 携帯電話の純増シェアが3月の1.8%から7.0%へ上昇[9]
  5. 塚田健雄社長が6月末で退任[8]
  6. DDIセルラーグループと携帯電話ブランドを「au」に統一[8]
  7. DDI・KDD・IDOの合併[8]合併・経営統合
売上高
  • 売上高
日本移動通信売上高—
出典・参考9件
出典・参考
  • [1]日経ビジネス「セルラー,IDO 提携に至った2つの理由」(1997年3月31日)
  • [2]日経ビジネス「誤算の研究 日本移動通信 三重投資で収益悪化 NTT方式採用が足かせ」(日経BP)(1995年1月30日)
  • [3]日経ビジネス「競争激化の時期に外圧から二重投資 日米通信摩擦に揺れるIDOの経営」(日経BP)(1992年6月22日)
  • [4]日経ビジネス「競争激化の時期に外圧から二重投資 日米通信摩擦に揺れるIDOの経営」(1992年6月22日)
  • [5]日経ビジネス 1995年1月30日号「誤算の研究 日本移動通信」
  • [6]日本産業史 第4巻 情報・通信・サービス(日本経済新聞社、1994年)「通信-情報通信産業の誕生」
  • [7]日経ビジネス 1998年3月2日号「トヨタ自動車の通信事業 矢継ぎ早の系列テコ入れ“敗戦”の教訓生かせるか」
  • [8]日経ビジネス「異変発生!横綱ドコモのシェアが急減 IDO、セルラー共同の新サービスcdmaOne大ヒットで猛追」(1999年6月28日)
  • [9]日経ビジネス 1999年6月28日号「IDO、セルラー共同の新サービスcdmaOne大ヒットで猛追」

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