1988年12月の開業に間に合わせるという条件のもとでは、選べる無線方式は実質的に一つであった。基地局と端末が現に動き、供給者も価格も確かめられる方式は、NTTのものしかない。出資者のトヨタ自動車には、ディーラーでNTTの自動車電話を売った経験もある。参入時点の材料に照らせば、実績を採った判断に無理は無い。狂いはその先にあった。規格の所有者が、同時に最大の競争相手でもある。この一点から、ムーバに1年5カ月遅れた"ミニモJ"のような後追いが繰り返された。
三つの方式を抱えた結果を、1988年の選択だけに帰すのは無理がある。二つ目は日米電気通信交渉の決着が持ち込んだ。三つ目はツーカーセルラー東京と東京デジタルホンの参入が前倒しさせた。いずれも会社の外側で決まっている。自動車・電力・道路の資本が持ち寄った出資構成では、外圧を退けて一方式に絞り直す力も働きにくかったであろう。方式を一つに保った第二電電系8社は、1994年度に1910億円の売上高と380億円の経常利益を見込んだ。同じ年度、加入者が最も伸びた日本移動通信は38億3300万円の中間期経常損失を計上した。規格を持たない会社が規格を借りるとき、借り賃は金額だけでは済まない。商品を出す時期の遅れとしても支払われた。