2000年10月1日、第二電電(DDI)を存続会社としてKDDと日本移動通信(IDO)が合併し、KDDIが発足した[1]。1985年の通信自由化で生まれた新電電各社は、1999年2月にNTTドコモがiモードを投入したころには規模と投資余力の差で引き離されており、非NTT陣営の再編がここで決着した。長距離電話のDDI、国際通信のKDD、関東甲信と東海の携帯電話のIDOという事業も出自も異なる3社が合流し、単純合算で連結売上高2兆630億円、従業員9700人とNTTに次ぐ国内2[2]位の通信会社となった。移動体通信のブランドは、同年7月にIDOとDDI系セルラーが統一した『au』を引き継ぎ、若年層の獲得を事業の中心に置いた。
発足時の役員は非常勤5人を含めて53人にのぼった。日本テレコムの30人、NTTドコモの28人と比べて多く、常勤48人の内訳は旧DDI25人、旧KDD14人、旧IDO9人で、執行部門はDDI出身者が長なら副にKDD出身者を置く配置となった。[3]合併合意の際に『たすきがけ人事はしない』[引用元]と決めていた取り決めは守られていない。有利子負債は2兆円あり、営業初日の2000年10月2日の株価は3万5000円安[4]と年初来最安値まで下げた。会長に就いた牛尾治朗氏は取締役会議長の立場から『違う者同士を無理に1つにまとめるより、お互いの長所を生かすことが、この会社には得策』[引用元](日経ビジネス 2000/10/23)と述べ、DDIの効率経営、トヨタ自動車の国際展開力、KDD[5]の技術力を組み合わせる方針を掲げた。統合を急がない構えは、寄合いをそのまま抱えて走る構えでもあった。
会社の形は発足から1年かけて整えられた。2001年3月、セルラー電話会社7社を統合した株式会社エーユー[6]を株式交換で完全子会社とし、地域ごとに分かれていた携帯電話の運営を1社にまとめる。翌4月には商号を株式会社ディーディーアイからKDDI株式会社へ改め、本店を東京都新宿区へ移した[7]。一方で東名阪を営業区域とするツーカー3社の扱いは決まらず、移動体を担当する小野寺正副社長は『次世代サービスまでのつなぎ役として活用したい』[引用元](日経ビジネス 2000/10/23)と説明するにとどまる。そのツーカーの設備投資は2000年度だけで1000億円[8]を超えており、auとの二重のブランドを抱えたまま次の投資期を迎えた。
経営体制も1年で組み替えられた。2001年6月、KDDIは執行役員制を導入して50人を超えていた役員を12〜15人に絞り、社長の上に5人いた取締役も3[9]人へ減らす。社長は69歳の奥山雄材氏から53歳の小野寺正副社長へ交代し、稲盛和夫氏と豊田章一郎氏は取締役名誉会長から最高顧問[10]に退いた。合併契約で副社長として処遇すると決まっていた元郵政事務次官の五十嵐三津雄氏が副社長に就いている。京セラにとって小野寺正社長の昇格はDDI主導の運営を示す人事となり、トヨタ自動車は有利子負債2兆円の会社に社長[11]を出す負担を避けた。旧DDI系のPDCと旧IDO系のCDMAという二つの規格が併存する問題は、この体制のもとで2002年3月の一本化へ持ち越された。
合併直後のKDDIが直面した最大の経営課題は、DDI系のPDC方式とIDO系のCDMA[12]方式という二つの通信規格が併存する非効率だった。2002年3月、KDDIはCDMA方式への一本化を決め、既存のPDC設備を順次除却[13]して新規の設備投資をCDMAへ集中させる選択に踏み切った。規格の統一は保守コストの削減と投資効率の向上をもたらし、合併企業が抱えがちな規格併存の採算上の負担を短期間で軽減する経営上の転換点となった。インフラ投資の原資確保のため本社ビルの証券化など財務面の工夫も並行させ、設備除却に伴う特別損失の計上を資本政策で支えて経営の連続性を保つ手立てを講じた判断でもあり、合併直後の経営余力を守る設計でもあった。
CDMAへの一本化は国内市場での高速データ通信とマルチメディアサービスの展開余地を広げ、後年のauブランドが携帯電話市場で差別化を図るための技術基盤となった。ドコモのiモードが切り開いた携帯電話インターネットの領域で、KDDIはCDMA2000 1xという第三世代規格を早期に導入して差別化の突破口を探り、通信速度と音声品質の両面で顧客価値を訴求する方向を示した。[14]PDC設備の除却は特別損失の計上を伴ったが、規格を統一することで保守と設備投資の重複を解消した。合併から生じうる負のシナジーを能動的に潰す経営判断は、合併三年目のKDDIにとって重要な構造転換となった。
2002年12月、KDDIは携帯電話向け音楽配信サービス[15]『着うた』を市場に投入した。3Gインフラの整備でデータ通信速度が向上したことを受けて、従来の簡易な着信メロディとは異なり原曲の一部を端末上でそのまま着信音として再生する新しい音楽体験の提案だった。レコード会社6社と権利処理の枠組みを共同で設計し、KDDIは通信料収入を安定的に得る黒子の立場に徹しつつ、コンテンツホルダーが舞台で活躍できる仕組みを組み上げた。サービス開始後、着うたは累計700万ダウンロードに到達するヒット商品となり[16]、『音楽が聴けるau』というブランドイメージが若年層を中心に浸透した。
2004年3月期にはauの純増契約数が年間でドコモを上回[17]り、KDDIは携帯電話の年間契約純増数で首位を獲得した。合併直後の市場シェアで劣後していたauが、規格統一とサービス差別化の二本柱でわずか数年のうちに追撃の流れを作り出した経営史的な転換点だった。当時の社長は小野寺正である。スマートフォン時代が到来してiTunesやSpotifyといった世界的プラットフォームが主導権を握ると、着うたの枠組みは無効化された。ただし通信インフラを土台にコンテンツホルダーと共に舞台を設計する黒子型の事業モデルがKDDIの方法論として定着し、後年のサテライトグロース戦略へつながった。
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| 2000〜2001年三社合併で発足したKDDIと、寄合いの経営体制 | DDI・KDD・IDOの三社合併——長距離・国際・携帯を1社に束ねたKDDIの発足 2000年10月1日、第二電電(DDI)を存続会社としてKDDと日本移動通信(IDO)が合併し、KDDIが発足した。3社の単純合算で連結売上高2兆630億円、従業員9700人となり、NTTに次ぐ国内2位の通信会社が生まれた。長距離電話のDDI、国際通信のKDD、関東・中部の携帯電話のIDOという、事業も出自も異なる3社の統合だった。 詳細を読む | ★★★ | ||
| エーユーを株式交換により完全子会社化 | ★★ | |||
| 商号をKDDIに改める | ★ | |||
| 2002〜2015年CDMA一本化と着うたによるドコモ追撃、au経済圏構想の発芽 | 小野寺正 | CDMA方式にサービスを一本化・PDC設備を除却 | ★★ | |
| 小野寺正 | 音楽ダウンロードサービス「着うた」を開始 | ★★ | ||
| 小野寺正 | auの年間契約純増数で国内1位(シェア+2%) | ★ | ||
| 小野寺正 | ディーディーアイポケットのPHS事業を譲渡 | ★ | ||
| 小野寺正 | ツーカーセルラー3社と合併 | ★ | ||
| 小野寺正 | パワードコムと合併 | ★★ | ||
| 小野寺正 | 東京電力の光ネットワーク・カンパニー事業を承継 | ★ | ||
| 小野寺正 | JCOMへ資本参加 | ★★ | ||
| 田中孝司 | iPhone5の販売取扱を開始 | ★ | ||
| 田中孝司 | 周波数再編・旧800MHz設備の休止 | ★ | ||
| 田中孝司 | ミャンマーにKDDI Summit Global Myanmar Co., Ltd.を設立 | ★ | ||
| 2016〜2023年au経済圏の拡大とローソンTOBによる生活基盤企業への転換 | 田中孝司 | ジュピターショップチャンネルを子会社化 | ★ | |
| 田中孝司 | au経済圏の最大化を戦略目標に設定 | ★ | ||
| 田中孝司 | ビッグローブと英会話イーオンHDを完全子会社化 | ★ | ||
| 髙橋誠 | 金融事業を本格展開 | ★★ | ||
| 髙橋誠 | au損保・ライフネット生命・カブドットコム証券をauフィナンシャルHDに集約 | ★ | ||
| 髙橋誠 | UQコミュニケーションズのUQ mobile事業を承継 | ★ | ||
| 髙橋誠 | 東京証券取引所プライム市場に移行 | ★ | ||
| 髙橋誠 | エネルギー事業をauエネルギーHDに承継 | ★ | ||
| 髙橋誠 | KDDIエボルバとりらいあCを統合しアルティウスリンクを発足 | ★ | ||
| 髙橋誠 | KDDIによるローソンのTOBと三菱商事との共同経営(2024年成立) 2024年2月、KDDIがローソンに1株10,360円・総額約5,000億円のTOBを実施し、親会社の三菱商事が保有する分を除く全株を取得した案件。同年7月にローソンは上場廃止となり、KDDIと三菱商事が議決権を50%ずつ持つ共同経営体制へ移行した。 詳細を読む | |||
| 髙橋誠 | ローソンへのTOBと三菱商事との共同経営——通信×リアル店舗をめぐる非公開化 2024年2月6日、KDDIは三菱商事・ローソンと会見し、ローソン株にTOBを実施して三菱商事とKDDIが議決権を50.00%ずつ持ち合う共同経営へ移行すると発表した。TOB価格は1株1万0360円、投資総額は約4971億円で、KDDIにとって過去最大のM&Aとなった。ローソンは非公開化し、両社の持分法適用会社となる。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 髙橋誠 | ラックを子会社化 | ★ | ||
| 松田浩路 | 子会社ビッグローブの架空循環取引と広告代理事業の廃止 2026年、KDDIの連結子会社ビッグローブと同社子会社ジー・プランの広告代理事業で、社員2名による架空循環取引が判明した事案。同事業の売上の約99.7%が実体のない取引で、連結の売上高は累計2,461億円、営業利益は1,508億円過大に計上され、329億円がグループの外へ流出していた。 詳細を読む | ★★★ |
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事実根拠:出所(KDDI)