碧南の決断は、新しい発電技術の導入というより、一度放棄した石炭という燃料を電源構成へ戻す決断であったと思われる。1970年代半ばに最後の石炭火力を石油へ切り替えた会社が、わずか10年ほどで海外炭の大容量火力を計画したのは、2度の石油危機で燃料を一つに依存する危うさを知ったからだろう。ガス火力として準備していた地点をそのまま石炭へ振り向けた転換は、LNGの拡大と並行して、燃料の分散をもう一段進める意図の表れと読める。
もっとも、石炭を戻す判断が形になるころには、評価の物差しが変わり始めていた。着工した1988年6月にトロント会議が二酸化炭素の排出削減を採択し、石炭火力は燃料の安定性とは別の尺度で問われるようになった。碧南に次ぐ石炭火力の候補とした清水地点では、1991年時点で景観を案じる声や反対運動が続いており、燃料の分散という合理性だけでは立地が進まない時代に入っていたのだろう。