中部電力浜岡原子力発電所1・2号機の運転終了と廃炉、隣接地への6号機新設方針
- 概要
- 2008年12月22日、中部電力は浜岡原子力発電所のリプレース計画を決定し、営業運転開始から30年を超えた1号機・2号機の運転を2009年1月30日に終えて廃炉とする方針を公表した。あわせて隣接地に6号機を新設する構想を示した、三田敏雄社長のもとでの設備更新の判断である。
- 背景
- 浜岡は東海地震の想定震源域に立地し、耐震強化の要請が重かった。出力の小さい初期の2基を耐震補強して残すか、廃止して大型の新型機に置き換えるかが、費用対効果の観点から2000年代を通じて問われていた。
- 内容
- 1976年運転開始の1号機と1978年運転開始の2号機を2009年1月に運転終了し、2040年代前半まで約30年をかけて4段階で解体する廃止措置に入った。同時に、隣接地への6号機新設をリプレースとして計画した。
- 含意
- 2011年の福島第一原発事故後に浜岡は全基停止となり、6号機新設は2016年に長期経営指針から外れた。廃炉だけが進み、2025年に2号機で商業炉として国内初の原子炉解体に着手した。
筆者の見解
設備更新という計算が、時代に追い越されるとき
この判断を"安全のための廃炉"とだけ読むと、芯を外す。決定は福島事故より前の2008年で、中心にあったのは安全そのものより費用対効果の計算であった。営業運転から30年を超えた出力の小さい2基を、東海地震向けの耐震補強を重ねて延命させるより、廃止して大型の新型機に置き換えるほうが得策とみた設備更新の選択である。想定震源域の直上という立地が、その計算の重みを他社より大きくしていた点に、この判断の特徴がうかがえる。
もっとも、リプレースという枠組みは、もう一方の柱である6号機新設を失って完結しなかった。福島事故で浜岡は全基停止となり、6号機は2016年に長期経営指針から外れた。設備更新のはずが、結果として原発を2基減らしただけの廃炉に変わり、その廃炉も2040年代前半まで約30年を要する事業になった。老朽機の整理という前向きな計算が、外部環境の激変によって輪郭を書き換えられた——中部電力の原子力をめぐる歩みは、一つの経営計算が時代に追い越される例として読むことができる。
Yutaka Sugiura, 2026年7月
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