四国電力 の歴史

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創業 1951年
母体 電気事業再編成令により発足
創業地 香川県高松市
創業
1951年5月1日、電気事業再編成令により日本発送電と四国配電が分割再編され、資本金4億円・本社香川県高松市で四国電力が発足した。初代社長には日本発送電出身の宮川竹馬氏が就任し、1954年5月に東京証券取引所へ上場している。愛媛・香川・徳島・高知の4県を1社で担う一般電気事業者となったが、供給区域の需要は9電力で最も小さく、一県だけでは発電所建設の負担を賄えないという事情が4県一括の区割りを決めた。発足時の電源は水力が中心で、渇水期の供給不安が経営課題として常時のしかかった。最初の重油火力である阿南発電所1号機が動くのは1963年7月、坂出発電所1号機はさらに8年後である。
決断
供給区域の小ささを、電気の外と四国の外へ出ることで補ってきた。1969年、過疎と財政難に悩む伊方町の町長・地主・漁業関係者が誘致を陳情し、四国電力は佐田岬半島の先端を建設地と定めた。1977年9月に1号機、1994年12月に3号機まで運転を始め、総出力202.2万kWの3基体制で原子力比率を約40%へ引き上げた。同じ時期の1984年7月には情報システム部門を分離し、四電情報ネットワークサービスを設立した。1989年に第一種電気通信事業者となったSTNetは、四国の電力契約者を顧客基盤に法人向け通信とデータセンターを運営している。2016年に伊方1号機、2018年に2号機を廃炉として3基体制が89万kWの1基へ縮んだとき、先に育てておいた電気以外の事業が収益の欠けを埋めた。
現況
収益の伸びしろは、供給区域の内側にはもう残っていない。2026年3月期の連結売上高は7,619億円、営業利益678億円、純利益508億円である。発電・販売事業が売上5,847億円と全体の8割弱を占めるものの、セグメント利益は349億円で利益率6.0%にとどまる。これに対しSTNetの情報通信事業は売上404億円・利益113億円で利益率27.9%、送配電事業は売上776億円・利益85億円である。2008年7月にカタールのラスラファンC発電・造水事業へ5%出資して海外の発電事業へ参入したのち、オマーンから台湾まで案件を広げ、2025年3月時点の持分容量は火力約131.6万kW・再エネ約43.1万kWに達した。区域の内側で量を増やせないことが、伊方3基体制の総出力に迫る設備を四国の外へ積み上げさせた。
競合
電力大手で最も小さい供給区域を持つことが、自由化では劣位に働いた。2016年4月の全面自由化で四国電力は域内販売電力量の約1割を新電力へ移し、原子力の停止と燃料高が重なって3期連続の赤字に陥ったのち、2022年3月期から再び2期の赤字を計上した。2023年6月には規制料金を平均28.74%引き上げている。同じ時期に関西電力は7基を戻して過去最高益を更新し、中部電力は火力を合弁へ移して発電の外側へ回った。四国電力はどちらの規模も持たず、規模で追う道が閉じたことが、伊方3号機1基と情報通信・海外という2つの事業へ収益源を限定させた。
四国電力:長期業績の推移(売上高・利益率)売上高(億円純利益率(%)
2006年3月期2026年3月期

設立ストーリー 9電力体制で四国を担い火力で量を伸ばした25年 (1951年〜)

GHQ政令で発足した9電力体制で四国を担う設立期

1951年5月1日、電気事業再編成令により[1]、戦時統合で発足していた日本発送電と四国配電が分割再編され、四国電力は資本金4億円・本社香川県高松市で設立された。[2]初代社長には日本発送電出身の宮川竹馬氏[3]が就任した。再編成令は松永安左エ門氏が議長を務めた電気事業再編成審議会の答申を起点とし、[4]国会で法案が成立しなかった事情からポツダム政令という強い権限で全国を9つの民間電力会社に分けた。四国電力は四国4県を独占的に担う一般電気事業者として発足し、業務範囲は発電・送電・配電・小売を一体で行う垂直統合型の体制となった。設立から3年後の1954年5月には東京証券取引所へ株式を上場し[5]、資本市場からの調達ルートを得た。

  • 四国電力 公式沿革
    • [1]1951年5月1日 電気事業再編成令により四国配電・日本発送電から設備の出資譲渡を受けて四国電力を設立
    • [2]設立時資本金4億円・本社香川県高松市
    • [5]1954年5月 東京証券取引所へ株式上場
    • [3]初代社長は日本発送電出身の宮川竹馬
    • [4]電気事業再編成審議会の議長は松永安左エ門

設立直後の四国は水力発電が中心で、戦後復興期の旺盛な電力需要に応えるには発電設備の絶対量が不足していた。鉱工業生産の回復と家庭電化の進展で需要は年々膨らみ、渇水時の供給不安が経営課題として常時のしかかった。9電力体制の各社は、それぞれの供給区域内で自前の発電所を増設して需給を平準化する責務を負い、四国電力は最初の重油火力発電所として1963年7月に阿南発電所(徳島県)1号機を運転開始した。[6]続く1965年11月には西条発電所(愛媛県)1号機が運転に入り、[7]四国の北側と東側に火力の主力拠点を配置する体制を整え始めた。

    • [6]1963年7月 阿南発電所1号機(重油火力・四国電力初の重油火力)運転開始
  • 四国電力 公式沿革
    • [7]1965年11月 西条発電所1号機(火力)運転開始

四国電力の創業期は、戦時統合で生まれた発送配電一貫の事業体を引き継ぎながら、地域独占という制度的枠組みの下で電源開発を急ぐことに尽きた。同社の経営は、国の電源開発政策と歩調を合わせ、需要予測に応じた発電所建設と設備投資を毎年度の事業計画として積み上げる構図に置かれた。1951年の発足から1960年代半ばまでに、四国電力は水力依存から火力主体への電源構成の転換を完了させ、[8]戦後復興期の電力供給を担う四国唯一の電気事業者として、四国経済の基盤を支える位置を固めた。設立から発電所3拠点の整備までの15年間は、9電力体制という制度の下で四国の電力供給を機能させることが最優先の経営課題となった時期だった。

  • 四国電力 公式沿革
    • [8]1951年発足から1960年代半ばまでに火力主体(阿南1963・西条1965)への転換を進めた
  • 四国電力 公式沿革
    • [1]1951年5月1日 電気事業再編成令により四国配電・日本発送電から設備の出資譲渡を受けて四国電力を設立
    • [2]設立時資本金4億円・本社香川県高松市
    • [5]1954年5月 東京証券取引所へ株式上場
    • [7]1965年11月 西条発電所1号機(火力)運転開始
    • [8]1951年発足から1960年代半ばまでに火力主体(阿南1963・西条1965)への転換を進めた
    • [3]初代社長は日本発送電出身の宮川竹馬
    • [4]電気事業再編成審議会の議長は松永安左エ門
    • [6]1963年7月 阿南発電所1号機(重油火力・四国電力初の重油火力)運転開始

阿南・西条・坂出 ── 高度成長期に並行整備した3火力体制

1960年代後半から1970年代前半にかけて、四国経済は石油化学・製紙・造船などの臨海工業地帯の整備が進み、電力需要は年率10%前後で膨張した。[9]四国電力は1971年7月に坂出発電所(香川県)1号機を運転開始し[10]、阿南・西条と合わせて3つの火力拠点で四国全体の需要を支える体制を組んだ。坂出発電所1号機は日本初の複合発電方式(ガスタービンと蒸気[11]タービンの組み合わせ)を採用した出力19.5万kWの設備で、燃料効率と起動の柔軟性に優れた新方式を業界に先駆けて投入した。1965年3月の電力需要35億kWhから1975年3月には約2.5倍まで膨らみ、[12]高度成長期の四国経済を電力面で下支えする実績を残した。

  • 四国電力 公式沿革
    • [9]高度成長期の電力需要は年率約10%で膨張
    • [12]1965/3 電力需要35億kWh→1975/3 約2.5倍
    • [10]1971年7月 坂出発電所1号機 運転開始
    • [11]坂出1号機は日本初の複合発電方式(ガスタービン+蒸気タービン)・出力19.5万kW

3火力体制は単純な拡張ではなく、需要のピーク時に各発電所を組み合わせて運用する設計の前提でもあった。阿南は徳島県東部の電力消費地に近く、西条は瀬戸内工業地域の中央、坂出は瀬戸内海航路の要衝に位置し、4県への送電網と組み合わせた供給最適化が成立した。一方で1951年に四国計器工業(現・四国計測工業)、[13]1961年に四国企業(旧・四電産業)、[14]1970年に四電エンジニアリングと、本体の事業活動を支える子会社群も並行して設立し、[15]計測器・工事・産業サービスの内製化を進めた。電力本体への投資と並行して、グループ内の供給チェーンを自前で組み立てる戦略がこの時期に始まった。

    • [13]四国計器工業(現・四国計測工業)の設立は1951年12月
  • 四国電力 公式沿革
    • [14]四国企業(旧・四電産業)の設立は1961年12月(本文「1961年」と一致)
    • [15]四電エンジニアリングの設立は1970年6月(本文「1970年」と一致)

1973年10月の第一次石油危機は、四国電力の経営前提を揺さぶった。火力発電の燃料は当時ほぼ重油に依存しており、原油価格が1年で約4倍に跳ね上がる事態に直面した四国電力は、燃料費の急増で1974年3月期に減益となった。この経験から、燃料を石油に集中させる電源構成の脆さが経営課題となり、燃料分散と脱石油の方向性が業界全体で議論された。四国電力もこの方向に従い、原子力発電所の建設準備を進め、1969年に伊方町から誘致陳情を受けて以降、用地取得と立地交渉を継続していた。[16]1970年代中盤、火力一辺倒の電源構成から原子力を組み込む体制への移行が、四国電力の次の経営課題に位置づいた。

  • 伊方町公式 伊方発電所建設の経緯
    • [16]1969年に伊方町から誘致陳情を受けた
  • 四国電力 公式沿革
    • [9]高度成長期の電力需要は年率約10%で膨張
    • [12]1965/3 電力需要35億kWh→1975/3 約2.5倍
    • [14]四国企業(旧・四電産業)の設立は1961年12月(本文「1961年」と一致)
    • [15]四電エンジニアリングの設立は1970年6月(本文「1970年」と一致)
    • [10]1971年7月 坂出発電所1号機 運転開始
    • [11]坂出1号機は日本初の複合発電方式(ガスタービン+蒸気タービン)・出力19.5万kW
    • [13]四国計器工業(現・四国計測工業)の設立は1951年12月
  • 伊方町公式 伊方発電所建設の経緯
    • [16]1969年に伊方町から誘致陳情を受けた

1969年伊方誘致陳情から1973年建設開始までの4年

伊方原子力発電所の立地は1969年、愛媛県伊方町の町長・地主・漁業関係者[17]らが四国電力に対して誘致陳情を行ったことから始まった。佐田岬半島の先端に位置する伊方町は過疎が進んでおり、[18]地域振興と固定資産税収入を目的に原発誘致を選択した。四国電力は同年から立地調査を開始し、1972年11月に原子炉設置許可を取得、1973[19]年から建設工事に着手した。誘致陳情から建設開始まで4年という比較的短い期間で進んだ背景には、町主導の誘致と石油危機後の電源分散の必要性という二つの要素が重なっていた。

  • 伊方町公式 伊方発電所建設の経緯
    • [17]1969年 伊方町(町長・地主・漁業関係者ら)から四国電力へ原発誘致陳情
    • [18]伊方町は佐田岬半島の先端に位置
  • 四国電力 公式沿革
    • [19]1972年11月 原子炉設置許可取得、1973年 建設工事着手

1973年8月27日、周辺住民35名[20]は1号炉設置許可処分の取消を求めて松山地方裁判所に提訴し、伊方原発訴訟が始まった。日本における原発設置許可処分の取消を求めた初の行政訴訟で、安全審査の妥当性と司法審査の方法をめぐる長期の法廷闘争となった。1978年4月25日に一審が請求を棄却し、1984年12月14[21]日には高松高等裁判所が控訴を棄却、1992年10月29日に最高裁判所が上告を棄却して判決が確定した。この間、四国電力は1977年9月に伊方発電所1号機(出力56.6万kW)を運転開始させ、1982年9月に2号機、1994年に3号機が運転を開始した。3基体制の総出力は202.2万kWに達し、[22]四国電力の電源構成における原子力比率は1990年代後半に約40%まで上昇した。[23]

    • [20]1973年8月27日 周辺住民35名が1号炉設置許可取消を求め松山地裁に提訴(伊方原発訴訟)
    • [21]1978年4月25日 第一審が請求棄却、1984年12月14日 高松高裁が控訴棄却、1992年10月29日 最高裁が上告棄却で確定
  • 伊方町公式 伊方発電所建設の経緯
    • [22]伊方1号機1977年9月(56.6万kW)・2号機1982年9月・3号機1994年 運転開始、総出力202.2万kW
  • 有価証券報告書
    • [23]原子力比率は1990年代後半に約40%

伊方原発の立地は、四国電力の電源構成を石油火力中心から原子力を主力電源とする構成へと不可逆に変えた。同時に、原子力という電源を四国に持つこと自体が、佐田岬半島の地理的特性(中央構造線断層帯の近傍に位置するなど)と相まって、長期にわたる地震・火山リスクの議論を経営の前提に組み込ませた。1970年代後半から1990年代までの四国電力の電源開発は、伊方の3基体制を完成させることが中心命題となり、3号機の運転開始までに通算で25年の歳月を要した。[24]地元の誘致から始まった原子力発電所の立地は、後年の経営を規定する最大の決断となった。

  • 四国電力 公式沿革
    • [24]1969年誘致から1994年3号機運転開始まで通算25年
  • 伊方町公式 伊方発電所建設の経緯
    • [17]1969年 伊方町(町長・地主・漁業関係者ら)から四国電力へ原発誘致陳情
    • [18]伊方町は佐田岬半島の先端に位置
    • [22]伊方1号機1977年9月(56.6万kW)・2号機1982年9月・3号機1994年 運転開始、総出力202.2万kW
  • 四国電力 公式沿革
    • [19]1972年11月 原子炉設置許可取得、1973年 建設工事着手
    • [24]1969年誘致から1994年3号機運転開始まで通算25年
    • [20]1973年8月27日 周辺住民35名が1号炉設置許可取消を求め松山地裁に提訴(伊方原発訴訟)
    • [21]1978年4月25日 第一審が請求棄却、1984年12月14日 高松高裁が控訴棄却、1992年10月29日 最高裁が上告棄却で確定
  • 有価証券報告書
    • [23]原子力比率は1990年代後半に約40%

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四国電力の沿革1951〜2023年における主な出来事を抜粋

時代年月社長・CEO出来事重要度
1951〜1976年9電力体制で四国を担い火力で量を伸ばした25年四国電力を設立
四国計器工業を設立
東京証券取引所に株式を上場
四国企業を設立
阿南発電所(火力)を新設し営業運転開始
西条発電所(火力)を新設し営業運転開始
四電エンジニアリングを設立
伊方町からの誘致を受けた伊方原子力発電所の立地決定

1966年に津島町で始めた原子力発電所の計画が地盤の問題で中止となったのち、四国電力は1969年に伊方町から届いた誘致の申し入れを受けて調査に入り、1970年9月に建設地点を伊方町に正式決定した。1972年11月に原子炉設置許可を得て、1977年9月に1号機が営業運転を始めた。

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★★★
坂出発電所(火力)を新設し営業運転開始
坂出発電所3号機(火力)が営業運転開始
1977〜2010年伊方原発3基体制の完成と電力自由化前夜の多角化模索伊方発電所(原子力)を新設し営業運転開始★★
伊方発電所2号機(原子力)が営業運転開始
本川発電所(揚水式水力)1号機が営業運転開始
四電情報ネットワークサービス(現・STNet)の設立による情報通信事業への参入

1984年7月、四国電力は情報システム部門を分離独立させ、資本金5千万円・本店高松市の四電情報ネットワークサービスを設立した。同社は1989年6月に第一種電気通信事業の許可を取得し、7月に四国情報通信ネットワーク(略称STNet)へ商号を変更、10月に専用サービスとデータ通信サービスの提供を始めた。

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★★★
伊方発電所3号機(原子力)が営業運転開始
常盤百樹橘湾発電所(火力)を新設し営業運転開始
常盤百樹坂出LNGを設立
常盤百樹株式取得によりケーブルテレビ徳島を子会社化
常盤百樹株式取得によりケーブルメディア四国を子会社化
千葉昭カタール・ラスラファンC発電造水事業への出資による海外発電事業への進出

四国電力は2003年度から海外での事業活動に着手し、2008年7月、カタールのラスラファンC発電・造水プロジェクトに出資比率5%で参画した。同社にとって海外で初の独立系発電事業(IPP)であり、出力273万kW・造水29万トン/日の設備は2011年4月に全面運転を開始した。

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★★★
千葉昭伊方発電所3号機でプルサーマル発電を開始
千葉昭坂出LNG基地が運転開始★★
千葉昭坂出発電所1号機のLNG化が完了し運転開始
2011〜2026年福島事故・電力自由化・燃料費高騰がもたらした経営激震と再定義佐伯勇人伊方発電所1号機を廃止★★
佐伯勇人四国電力送配電を設立
長井啓介一般送配電事業等を吸収分割により四国電力送配電に承継★★
長井啓介西条発電所1号機のリプレースが完了し運転開始
長井啓介阿南発電所4号機(火力)を廃止
出典・参考

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