四国電力四電情報ネットワークサービス(現・STNet)の設立による情報通信事業への参入

電気を売る会社が通信を売れるか——分離した情報システム部門を、四国電力はどこまで事業として育てたか

時期 1984年7月
意思決定者(推定) 四国電力 取締役会
論点 非電気事業の育成
概要
1984年7月、四国電力は情報システム部門を分離独立させ、資本金5千万円・本店高松市の四電情報ネットワークサービスを設立した。同社は1989年6月に第一種電気通信事業の許可を取得し、7月に四国情報通信ネットワーク(略称STNet)へ商号を変更、10月に専用サービスとデータ通信サービスの提供を始めた。
背景
伊方1・2号機の稼働で電気事業の収益が安定していた一方、電気通信改革3法が1984年12月に成立し、1985年4月の日本電信電話公社の民営化とともに通信市場が競争へ開かれた。第一種電気通信事業は許可制で参入できるようになった。
内容
まず情報システム部門を子会社として切り出し、自由化の制度が整った1989年に第一種電気通信事業者として通信サービスへ踏み込んだ。1996年には個人向けインターネット、2002年には四国電力による完全子会社化とSTNetへの商号変更を経て、地域の通信基盤を担う会社へ移った。
含意
情報通信事業の連結セグメント利益は2026年3月期に113億円となり、送配電事業の85億円を上回った。売上高では発電・販売事業の1割に満たないものの、電気事業に次ぐ収益源として中期経営計画2030でもコア事業に据えられている。
筆者の見解

制度が開くまで待つ、という時間の使い方

この判断で目を引くのは、参入の速さではなく間の取り方である。1984年に分離した時点の新会社は通信事業者ではなく、グループの情報処理を担う会社にすぎなかった。第一種電気通信事業の許可を取るのはその5年後で、制度が整い、社内に回線を売る体制ができるのを待ってから踏み込んでいる。器を先に作り、事業の中身を後から入れるという順序が、電気事業の外で稼ぐ足場を静かに用意したとみることができる。

もう一つ、この事業が持ちこたえた理由として、四国という区域の外に出なかった点も見逃せない。全国の長距離網で競った新規参入者の多くが再編に巻き込まれたのに対し、STNetは電力の供給区域と重なる範囲で法人回線・インターネット・ケーブルテレビを束ね、地域の通信基盤という位置を占め続けた。電力自由化で本体の顧客が新電力へ流れた2010年代以降も、この事業の利益は伸び続けている。地域独占を失った会社が、別の形で地域に根を張り直した例として読めるところがある。

Yutaka Sugiura, 2026年7月

背景

原子力2基で収益が安定した1980年代前半

1977年9月に伊方発電所1号機、1982年に2号機が運転を始め、四国電力は原子力を電源構成の中核に据える時代に入っていた。燃料費の低い原子力でベースロードを担い、火力でピークを調整する構成が固まり、1985年3月期の単体売上高は4,275億円、経常利益459億円、当期純利益192億円となった。石油危機で減益に沈んだ1974年3月期から10年余りで、収益は安定した水準に落ち着いていた[1][2]

もっとも、電気事業は四国4県という区域に閉じており、需要の伸びは人口と域内経済の規模に縛られる。設立以来の四国電力は、需要予測に応じて発電所を建てることを毎年度の事業計画として積み上げてきたが、電源の量を追う経営がいつまでも成長を生むわけではなかった。1951年12月の四国計器工業、1961年12月の四国企業、1970年6月の四電エンジニアリングと、本体を支える子会社を早くから設けてきた同社にとって、次に問われたのは電力の周辺で自ら稼ぐ事業を持てるかどうかであった[3][4]

通信市場が競争へ開かれた1985年改革

同じ時期、通信の側で制度が動いた。日本電信電話株式会社法・電気通信事業法・関係法律の整備法からなる電気通信改革3法が1984年12月に成立し、1985年4月に日本電信電話公社が民営化された。事業法は電気通信事業を回線設備を持つ第一種と持たない第二種に分け、第一種については許可制で参入を認めた。100年近く公社が独占してきた市場に、異業種を母体とする事業者が入れるようになった[5]

電力会社にとって、この制度改革は縁遠い話ではなかった。送電線に沿って保安と給電の指令のための自前の通信設備を持ち、社内の情報システムを運用する技術者も抱えている。すでに手元にある設備と人をそのまま外向けの商品に変えられるかどうかが、通信への参入を考えるうえでの入口となった。四国電力の場合、その入口にあたる資源は本体の情報システム部門に集まっていた[6]

決断

1984年7月、情報システム部門の切り出し

1984年7月、四国電力は情報システム部門を分離独立させ、資本金5千万円・本店高松市の四電情報ネットワークサービスを設立した。電気通信改革3法の成立に5か月先立つ時期であり、この時点の新会社は通信事業者ではなく、四国電力グループの情報処理を担う会社であった。本体の一部門として抱えたままでは外部の仕事を受けにくい。まず器を分けておくという判断が、のちの参入の前提を作った[7][8]

分離から実際の通信事業までには5年の間がある。この間に第一種電気通信事業者として名乗りを上げた新規参入者は、長距離通信で第二電電や日本テレコムといった全国規模の事業者が中心であった。四国電力が選んだのは、全国の長距離網で競うのではなく、供給区域と重なる四国という地域の中で法人の通信需要を取りにいく道であった。設備も顧客も、電気事業の区域の内側にある資源を使う設計となった[9]

1989年、第一種電気通信事業者としての参入

1989年6月、四電情報ネットワークサービスは第一種電気通信事業の許可を取得した。翌7月には社名を四国情報通信ネットワーク(略称STNet)へ改め、10月に専用サービスとデータ通信サービスの提供を始めた。情報処理の受託会社が、自前の回線設備で通信を売る事業者へ変わった。設立から5年をかけて、制度と社内の準備が整うのを待ってから踏み込んだ順序となっている[10]

商号の変更は、事業の中身が変わったことを対外的に示すものでもあった。四電という親会社の名を冠した情報処理会社から、四国という地域と情報通信ネットワークを名乗る事業者へ。顧客は四国電力グループの内側から、四国の企業・自治体へ広がっていく。電気事業の収益が安定していたこの時期に、四国電力は電力周辺の領域で自ら稼ぐ会社を一つ手にした[11]

結果

法人回線から個人向けインターネット、そして完全子会社化へ

1996年2月、STNetはネットウェーブ四国を設立して個人向けインターネット接続サービスに入り、同年12月には電力契約者向けの無料インターネットサービス「あかりネット」を始めた。専用線とデータ通信という法人向けの商品から、家庭の回線へ裾野が広がった。電力の契約者名簿という、他の新規参入者が持たない顧客基盤を通信の入口に使う設計であった[12][13]

2002年4月、四国電力は株式交換によりSTNetを完全子会社とし、商号も四国情報通信ネットワークからSTNetへ改めた。2004年10月にはネットウェーブ四国を合併して法人・個人の回線事業を一本化し、2006年9月にケーブルテレビ徳島、2007年12月にケーブルメディア四国を子会社に加えて、光ファイバ網とケーブルテレビを組み合わせた地域の通信基盤を整えた。参入から十数年をかけて、事業の輪郭が地域通信という形に定まった[14][15]

売上1割弱、利益で送配電を上回る事業へ

情報通信事業の規模は、2010年代を通じて伸び続けた。連結セグメントの売上高は2017年3月期の259億円から2026年3月期には404億円となり、セグメント利益は同じ期間に41億円から113億円へ増えている。セグメント資産も720億円まで積み上がり、データセンターや光ファイバ網への設備投資が続いた。電気事業のように料金認可の枠に縛られない分、需要の伸びがそのまま収益に届く事業であった[16]

2026年3月期の連結セグメントを並べると、この事業の位置がはっきりする。売上高では発電・販売事業の5,847億円に対し情報通信事業は404億円で1割に満たないが、セグメント利益では発電・販売の349億円に次ぐ113億円となり、送配電事業の85億円を上回った。2025年9月に発表された「よんでんグループ中期経営計画2030」は、電気事業と情報通信事業をコア事業と定め、2030年度に連結経常利益650億円以上を掲げている。1984年に切り出した一部門は、収益の柱を数えるときに二番目に名の挙がる事業へ育った[17][18]

出典・参考

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