九州電力の決断社史:経営の意思決定を振り返る

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決断

石油から降りる判断を、どの電力会社よりも早く下した。1973年の第一次石油危機で発電量の4割近くを占める石油の燃料費が急騰すると、1975年10月に原子力を軸にLNG・地熱・揚水を並べる電源多角化へ切り替えた。玄海1号機の運転開始を先頭に玄海・川内で1997年までに計6基を並べ、原子力比率を1980年度の数%から1990年度の33%へ引き上げている。しかし2011年の全原発停止で燃料費が膨らみ2期続けて巨額赤字となり、2013年4月に家庭向け料金の値上げと川内1・2号機の再稼働申請に踏み切った。川内1号機は2015年8月に新規制基準のもとで国内初の再稼働となり、2018年には玄海3・4号機も続いた。運転40年に近づいた玄海1・2号機は安全投資が残る運転期間に見合わないと判断して廃炉を決め、原子力を6基から4基へ絞った。

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