1952年〜 国策会社として東西連系を担った卸電気事業者の半世紀
- 1952年 電源開発促進法に基づき政府出資のとして設立
- 1953年 共益を設立
- 1956年 佐久間発電所(出力35万kW)の運転を開始
- 1960年 開発工事を設立
- 1965年 佐久間周波数変換所の運転を開始
- 1967年 開発電気を設立
- 1972年 新豊根発電所(出力112.5万kW)の運転を開始
9電力では引き受け切れない電源 ── 佐久間ダムから始まった国策会社
1952年9月、電源開発株式会社は「電源開発促進法」に基づく特殊会社として東京で発足した[1]。資本構成は政府が66.69%、9電力会社が残りを出資し[2]、戦後復興期の電力不足を補う国家プロジェクトの実行主体に位置を与えられた。前身の日本発送電が1951年に過度経済力集中排除法で解体[3]され、北海道から九州まで地域別の9電力会社へ分割されたものの、各社の資本力は復興期の電力需要拡大に追い付かず、ダムや火力の新設に踏み込む余力がなかった。この空白を埋めるために創設されたのが電源開発で、地域独占の電力会社では引き受けられない長期・広域型の電源と送電網の建設を、9電力に代わって担う役回りが与えられた。
- 電源開発 有価証券報告書 第N期【沿革】
- [1]1952年9月 電源開発促進法に基づく特殊会社として発足
- J-POWER公式沿革
- [2]設立時の政府出資比率は66.69%
- [3]前身の日本発送電は1951年に過度経済力集中排除法で解体され9電力会社へ分割
設立から4年後の1956年4月、最初の事業として静岡県の佐久間発電所(出力35万kW)が運転を開始した[4]。計画当初は工期10年とされていたものを、米国から導入した機械化施工と工法で約3年で完工した突貫工事で、戦後の建設業界に新しい工法を持ち込む契機にもなった。続いて奥只見、田子倉、御母衣など出力数十万kW級の水力発電所を立て続けに建設し、戦後復興と高度成長期の電力供給を支える役を全国規模で果たした。この時期の電源開発は「9電力で投資判断ができない案件を、政府出資の信用で引き受ける」事業体として運営されており、収益性よりも電力需給逼迫の解消が優先されていた。
- 電源開発 有価証券報告書 第N期【沿革】
- [4]1956年4月 佐久間発電所(出力35万kW)が運転開始
水力中心の電源開発は1960年代には火力にも事業を広げた。1967年に磯子火力(横浜)、1972[5]年には新豊根揚水発電所(112.5万kW)と、出力100[6]万kWを超える電源を相次いで運転開始した。新豊根は同社初の出力100万kW超の揚水発電所で、夜間電力を使って水を汲み上げ昼間のピーク時に放流する仕組みを採用し、9電力の供給計画では実現しにくいピーク対応資産の役を果たした。揚水発電所と大容量送電線の建設、長距離直流送電の整備は、9電力の縦割り供給体制を横断的に補完する性格をもち、電源開発は地域独占体制の隙間を埋める専業者として独自の位置を固めた。
- J-POWER公式沿革
- [5]1967年 磯子火力(横浜)運転開始
- 電源開発 有価証券報告書 第N期【沿革】
- [6]1972年 新豊根揚水発電所(出力112.5万kW・同社初の100万kW超揚水)運転開始
- 電源開発 有価証券報告書 第N期【沿革】
- [1]1952年9月 電源開発促進法に基づく特殊会社として発足
- [4]1956年4月 佐久間発電所(出力35万kW)が運転開始
- [6]1972年 新豊根揚水発電所(出力112.5万kW・同社初の100万kW超揚水)運転開始
- J-POWER公式沿革
- [2]設立時の政府出資比率は66.69%
- [3]前身の日本発送電は1951年に過度経済力集中排除法で解体され9電力会社へ分割
- [5]1967年 磯子火力(横浜)運転開始
周波数50/60Hzを繋いだ世界初の佐久間変換所
1965年10月、電源開発は静岡県の佐久間に世界初[7]の電気事業用周波数変換所(最大容量30万kW)を運転開始[8]した。東日本50Hzと西日本60Hzで分かれていた日本の電力系統を、佐久間に設置した直流変換設備で初めて連系するもので、東西間で電力を融通できる仕組みが日本国内で初めて成立した。地域別の9電力会社が各社の周波数で電源を運営していた時代に、9電力では誰一人として単独で投資する経済合理性をもてなかった東西連系設備を、特殊会社の電源開発が引き受けた格好となった。佐久間周波数変換所はその後、新信濃・東清水の2カ所を加えた3カ所合計150万kWの東西連系容量に発展し[9]、東日本大震災や需給逼迫時の融通能力を支える広域系統の中核を担う立場に育った。
- J-POWER公式沿革
- [7]佐久間FCを「世界初の電気事業用周波数変換所」とするのは公式沿革の自社表現(一次の独立裏付けは資産内になし)
- [9]東西連系容量は佐久間・新信濃・東清水の3カ所合計150万kWに発展
- 電源開発 有価証券報告書 第N期【沿革】
- [8]1965年10月 佐久間に電気事業用周波数変換所(最大容量30万kW)を運転開始
東西連系の役割と並行して、電源開発は石炭火力でも国策的な役を担った。1970年代に二度の石油危機を経て、政府はエネルギー源の脱石油・多様化を急ぐ必要に迫られ、石炭火力の新規開発を電源開発に委ねた。1973年に運転開始した竹原火力(広島)は1号機25万kW[10]で国内炭利用を主軸に据え、続く2号機・3号機で出力を順次拡大した。佐久間FCと並んで、石油代替電源の構築は9電力単独では設備投資判断のリスクが高かった事業領域で、電源開発はこの空白を引き受けた。1980年代まで、9電力の供給計画を補完しつつ広域系統の安定運営を担う卸電気事業者として、電源開発の事業領域は拡張を続けた。
- J-POWER公式沿革
- [10]1973年 竹原火力(広島)1号機(25万kW・国内炭主軸)運転開始
電源開発が国内炭の安定調達を担うため炭鉱補助金事業を運営していた点も、国策会社時代の特徴である。国内炭鉱産業の縮小過程で、政府は電力業界に国内炭の引き取りを義務付け、電源開発が引取機関の役を果たした。1955年〜1990年代まで運営されたこの仕組みは、産炭地振興と電力安定供給を一つの会社で両立させる組み立てだったが、国内炭価格は輸入炭の数倍水準に高止まりし、電源開発のコスト構造に長期間にわたる負担を残した。9電力に代わって不採算事業を引き受ける役回りは、特殊会社という法人形態が前提として組み込まれていた。
- J-POWER公式沿革
- [7]佐久間FCを「世界初の電気事業用周波数変換所」とするのは公式沿革の自社表現(一次の独立裏付けは資産内になし)
- [9]東西連系容量は佐久間・新信濃・東清水の3カ所合計150万kWに発展
- [10]1973年 竹原火力(広島)1号機(25万kW・国内炭主軸)運転開始
- 電源開発 有価証券報告書 第N期【沿革】
- [8]1965年10月 佐久間に電気事業用周波数変換所(最大容量30万kW)を運転開始
1981年の松島火力と豪州進出 ── 海外炭時代の幕開け
1981年1月、長崎県西海市の松島火力発電所が1号機(50万kW)の運転を開始した[11]。日本初の輸入炭を専用燃料とする石炭火力で[12]、1号機・2号機合計100万kWの当時最大級の出力を備えた[13]。二度の石油危機を経て政府は石炭火力を脱石油の主軸に据えたが、国内炭だけでは100万kW級火力を支える供給量と価格水準が満たせず、海外炭の安定調達体制構築が急務となっていた。電源開発はこの政策要請を受け、海外炭主体の100万kW級火力建設と並行して、燃料調達のための海外事業に着手した。松島は離島立地ながら、輸入炭の荷揚げ岸壁と石炭サイロを併設して海外炭の直接受入が可能な国内初の発電所として運用された。
- J-POWER公式沿革
- [11]1981年1月 松島火力1号機(50万kW)運転開始
- [12]松島を「日本初の輸入炭専用石炭火力」「海外炭の直接受入が可能な国内初の発電所」とするのは公式沿革の自社表現(最上級の独立裏付けは資産内になし)
- [13]松島火力1号機・2号機合計100万kW
同年1981年11月、電源開発はEPDC (Australia) Pty. Ltd.(現J-POWER AUSTRALIA PTY. LTD.)をシドニーに設立[14]した。豪州の炭鉱権益取得と石炭調達を目的とした現地法人で、松島火力の燃料を長期にわたり安定価格で調達する仕組みを担った。海外炭の長期供給契約は、9電力が単独で取り組むには投資規模と回収期間がともに重く、卸電気事業者の電源開発が業界全体の燃料調達インフラとして引き受けた構造だった。EPDC豪州はその後の海外IPP事業にも転用され、2024年7月の豪州GENEX POWER LIMITED買収[15]に至るまで、約40年にわたる豪州事業の起点を与えた。
- 電源開発 有価証券報告書 第N期【沿革】
- [14]1981年11月 EPDC (Australia) Pty. Ltd.(現J-POWER AUSTRALIA PTY. LTD.)をシドニーに設立
- [15]2024年7月 豪州GENEX POWER LIMITEDを買収
海外炭時代の到来とともに、電源開発は1980年代後半に石炭火力を主力事業の一つに育てた。竹原・松浦・松島の3拠点を中心に、出力50万kW級ユニットを並列運用する体制が確立し、9電力に石炭電力を卸す事業構造が定着した。同時期、9電力各社は財務体質を強化し独自に100万kW級電源を建設できる余力を回復しており、設立当初の「9電力では引き受けられない案件の補完者」という電源開発の存在意義は、相対的に縮小し始めていた。バブル経済の好景気下で電力需要は伸び続けたが、国策会社としての電源開発の役割は1990年代を通じて見直しを迫られる地点に近付いていた。
- J-POWER公式沿革
- [11]1981年1月 松島火力1号機(50万kW)運転開始
- [12]松島を「日本初の輸入炭専用石炭火力」「海外炭の直接受入が可能な国内初の発電所」とするのは公式沿革の自社表現(最上級の独立裏付けは資産内になし)
- [13]松島火力1号機・2号機合計100万kW
- 電源開発 有価証券報告書 第N期【沿革】
- [14]1981年11月 EPDC (Australia) Pty. Ltd.(現J-POWER AUSTRALIA PTY. LTD.)をシドニーに設立
- [15]2024年7月 豪州GENEX POWER LIMITEDを買収