1970年代の電源多角化を"原子力への転換"とだけ読むと、実際の手当ての幅を取り落とす。九州電力が同じ10年に決めたのは、原子力の2基だけでなく、LNGの導入、当時世界最高揚程の揚水、2か所目の地熱、そして50万ボルトの基幹系統であった。燃料の種類を分け、出力の性格を分け、それらを運ぶ系統を厚くする。石油の値段に賭けない構成をつくるという意味では、どれも同じ判断の別の面にあたる。
ただし、分散して備えた構成は、そのうちの1本が太くなれば別種の集中を生む。原子力が33%に達した1990年度の構成は、その1本が止まったときの振れ幅も同時に抱えていた。1971年3月に着工した玄海1号機は、40年の運転を経て2015年4月に運転を終了し、いま廃炉作業の工程に入っている。危機のさなかに続けると決めた1基は、九州電力の収支を44年間支え、そして九州電力の手で解体されている。