1951年5月、関東配電と日本発送電から設備の出資および譲渡を受け[1]、東京電力株式会社が発足した。同年8月には東京・大阪の両証券取引所市場第一部へ上場[2]した。発足後は関連会社の設立が相次ぎ、1953年3月に尾瀬林業観光を子会社化[3]し、1954年4月に東興業、1955年4月に東電不動産、同年11月に東電フライアッシュ工業を設立した[4]。1961年10月には名古屋証券取引所市場第一部にも株式を上場[5]した。
発足直後の東京電力は、水力に依存する電源構成[6]が生む供給の不安定さに直面した。1953年2月の渇水では電力事情がドン底に追い込まれ、猪苗代湖の貯水は残り28日分[7]と伝えられた。流量は平年の81%まで落ち、10年来の渇水記録[8]となった。通商産業省公益事業局は官報で各地の電力制限を強化したものの、大口工場の陳情に押されて法的制限は早くも乱れ[9]、豊水期までの1か月を凌ぐ策が課題となった。翌1954年1月には『東電だけでも400億からの金を使っているのに、ちょっと雨がふらないとモーターの回転が遅くなるという状況では心細い、電力会社は何をしているのか』[引用元]と需要家の不満が紙面に載った。
1955年8月、東京電力は従来の水主火従の原則による電力設備増強計画を火主水従へ改める[10]方針を打ち出した。戦後に海外から導入された技術で熱効率が従来の2倍近い高性能機器[11]が現れ、火力の経済性が一変したことがその前提にあった。先駆けとなった新東京火力発電所は、東京の需要の4分の1と栃木・群馬両県の全需要をまかなう規模[12]を備えた。同社は千住のような非能率火力を渇水期以外は停止し、新鋭火力を常時運転させる[13]ことでコストの切り下げと料金の安定を図る意向を示した。ひとむかし前まで発電といえばほとんど水力を指し、火力は補助にすぎなかった常識[14]が、ここで入れ替わった。
火主水従への転換と並行して東京電力は関係会社と発電資産を広げ、1957年6月に東京礦油、同年12月にスター礦油と南明興産を相次いで傘下へ加え[15]て、燃料の調達と輸送を担う会社を自前で抱えた。1960年12月には東電建設設計事務所を設け[16]、1963年8月に姫川電力の株式を取得[17]して水力発電の子会社とした。一方で立地の制約は1960年代半ばから重みを増し、1965年12月の京浜地区は一日中スモッグに覆われ[18]、公害対策上、石炭火力の建設は見合わせるべきだという主張[19]が紙面に現れた。新鋭火力の運転は自動制御へ移り、1959年6月にはイスに座って計器とにらめっこする運転作業員[20]の姿が紙面に載っている。
1966年7月、東京電力は福島県双葉郡で福島第一原子力発電所1号機の建設に着手した。木川田一隆社長[21]のもとで原子力を基幹電源に据える判断であり、米ゼネラル・エレクトリックが設計した出力46万kWの沸騰水型軽水炉を採用した。1971年3月に営業運転を開始したこの1号機[22]が、国内の40万kW級商用原発の先駆けとなった。同年5月の紙面は、冷暖房・温水器・電子レンジといった家庭電化を支える主役が火力から原子力へ移る[23]と論じ、東京電力が6基の原発を建設する計画[24]も伝えた。高密度化すれば発電所から放出される放射能も増える[25]という指摘は、この時点ですでに載った。
原子力の増設が1970年代から80年代にかけて続くなか、1973年6月の時点で電源開発は行き詰まり、1975年には需要が供給を上回る危機に追い込まれるのは必至[26]だと見込まれた。
設備の増設は立地をめぐる交渉と表裏にあり、1968年に東京電力が品川区の米軍施設跡地を買い上げて東大井火力発電所を新設する計画[27]を立てると、東京都は公害の恐れがあるとして払い下げを拒む検討に入った。発電に使われる重油中の硫黄が亜硫酸ガスとなって発散する恐れ[28]があり、大気汚染が深刻になっていたことがその理由である。美濃部亮吉都知事は公害防止に断固たる態度で臨み[29]、東京電力側には建設の必要性を説明する具体的で詳細な文書の提出[30]を求めた。木川田一隆社長は、これが予定通りに完成しないと1971年夏には都内の電力が35万kW程度の供給不足になる[31]と訴えた。
設備投資の累増は収益構造そのものを変え、1978年4月の時点で東京電力は稼働率56%のまま史上最高の利益を計上[32]して、稼働率の低下がそのまま収益の悪化に結びつく製造業[33]とは逆の姿を見せた。電気は貯蔵がきかないため、需要のピークに見合った供給力を持つ必要[34]がある。夏の冷房需要の増加を反映してピーク需要が急増し、これに対応して各電力会社が発電所の建設を進めた[35]結果、8月の最も暑い日に発電所はフル稼働する一方、それ以外の時期には設備が遊んだ[36]。1987年7月23日午後には首都圏を中心に大規模な停電が起き[37]、電力供給システムのもろさが露呈した[38]。
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|---|---|---|---|---|
| 1951〜1965年9電力体制の一社としての発足と火主水従への転換 | 安蔵彌輔 | 東京電力設立 | ★ | |
| 安蔵彌輔 | 東京・大阪両証券取引所市場第一部に上場 | ★ | ||
| 高井亮太郎 | 水主火従から火主水従へ──火力を基幹電源に据えた電源構成の転換 1955年8月、東京電力が従来の『水主火従』原則による電力設備増強計画を『火主水従』へ改め、天候に左右されにくい火力を供給の基幹電源に据える転換に踏み切った経営判断。戦後の需要膨張と渇水による供給危機がその引き金となった。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 木川田一隆 | 名古屋証券取引所市場第一部に上場 | ★ | ||
| 木川田一隆 | 姫川電力を子会社化 | ★ | ||
| 1966〜1990年原子力17基への傾斜と設備拡大が生んだ代償 | 木川田一隆 | 福島第一原子力発電所の建設と原子力への参入 1966年、東京電力が福島県双葉郡に福島第一原子力発電所1号機を着工し、1971年3月に営業運転を開始した経営判断。米ゼネラル・エレクトリック社が設計した沸騰水型軽水炉を採用し、出力46万kWは日本の40万kW級商用原発の先駆けとなった。木川田一隆社長のもとで原子力を基幹電源に据えた。 詳細を読む | ★★★ | |
| 水野久男 | 福島第一原子力発電所1号機営業運転開始 | ★★ | ||
| 那須翔 | 柏崎刈羽原子力発電所1号機営業運転開始 | ★ | ||
| 那須翔 | テプコケーブルテレビを設立 | ★ | ||
| 1991〜2010年「普通の会社」への模索と原発データ改ざんによる信頼の失墜 | 荒木浩 | テプコ・リソーシズ社設立 | ★ | |
| 南直哉 | 海外電力事業の統括会社TEPCインターナショナルを設立 | ★ | ||
| 南直哉 | 原発検査データ改ざん問題の発覚 | ★★ | ||
| 勝俣恒久 | パワードコムを子会社化し通信事業へ参入 | ★ | ||
| 勝俣恒久 | パワードコムをKDDIと合併し通信事業から撤退 | ★★ | ||
| 勝俣恒久 | 新潟県中越沖地震により柏崎刈羽原発が全基停止 | ★ | ||
| 勝俣恒久 | 初の純損失を計上 | ★ | ||
| 2011〜2025年福島第一原発事故と実質国有化、4社分割による再編 | 清水正孝 | 東日本大震災・福島第一原子力発電所事故 | ★★ | |
| 清水正孝 | FY10に純損失1兆2473億円を計上 | ★ | ||
| 西澤俊夫 | 1兆円の公的資金を受け入れ、議決権の過半を政府へ渡す 2012年7月31日、政府が原子力損害賠償支援機構を通じて東京電力へ1兆円を出資し、議決権の50.11%を取得した。同年5月に総合特別事業計画を発表し、6月末には委員会設置会社へ移行して廣瀬直己氏が社長、下河辺和彦氏が会長に就いている。民間電力会社が国の管理下で経営を続ける枠組みがここで成立した。 詳細を読む | ★★ | ||
| 廣瀬直己 | 火力発電と燃料調達を中部電力との合弁JERAへ移し、自社の火力発電所を手放す 2015年4月に燃料・火力発電、送配電、小売電気の3つの分割準備会社を設立し、同年10月には中部電力との合弁会社JERAが燃料輸送事業と燃料トレーディング事業を承継した。2016年7月に既存の燃料上流・調達事業と海外火力IPP事業、2019年4月には既存火力発電事業が移り、東京電力は自社の火力発電所を持たない電力会社になった。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 廣瀬直己 | 東京電力HDに商号変更、HDス体制に移行 | ★★ | ||
| 小早川智明 | 小早川智明が代表執行役社長に就任 | ★ | ||
| 小早川智明 | リニューアブルパワーに再エネ事業を承継 | ★ | ||
| 小早川智明 | ユーラスエナジーHDの株式を全数譲渡 | ★ | ||
| 小早川智明 | FY22に経常損失2853億円、純損失1236億円を計上 | ★ | ||
| 小早川智明 | FY23に経常利益4255億円、純利益2678億円に回復 | ★ |
免責事項およびポリシー
事実根拠:出所(東京電力ホールディングス)