関西電力 の歴史

更新: Author:

創業 1951年
母体 関西配電+日本発送電
創業地 大阪市北区
創業
1951年5月1日、電気事業再編成令により日本発送電と九つの配電会社が解散し、関西電力はそのうちの一社として発足した。日本発送電から8億4,000万円、関西配電から8億5,000万円の現物出資を受け、資本金16億9,000万円で本社を大阪市北区梅ケ枝町に置き、社長には太田垣士郎氏が就任した。同年7月に大阪証券取引所、8月に東京証券取引所へ上場している。発足時の発電設備は水力113万kWと火力115万kWの合計228万kWで、年間販売電力量は5,655百万kWh、年度末の契約口数は268万3,000口である。ただし管内の需要は年10%前後で伸び続け、3年で97万kWを開発する計画でも平水年で年30億kWh以上の不足が残る見通しで、供給力の不足を抱えたままの出発となった。
決断
原子力の稼働率に、収益と信用の両方を預けてきた。1962年に若狭湾の福井県美浜町を建設地と定め、1970年に美浜1号機が電力会社として国内初の商用運転に入り、高浜・大飯を同じ湾沿いへ並べる集中立地で建設と運営の費用を抑えた。しかし1991年2月、美浜2号機で伝熱管が破断し、自主保安体制の立て直しを迫られた。2004年8月には美浜3号機で配管が破損し、11人が死傷して全原発が止まった。2019年9月には役員らの金品受領が露見し、指名委員会等設置会社へ移行した。原子力へ経営資源を集中した見返りとして、事故と不祥事が起きるたびに全基の運転が止まり、そのつど収益と立地地域の信用を同時に失った。
現況
売上の8割は電気だが、利益率が高いのは通信と不動産である。2026年3月期の連結売上高は4兆566億円、営業利益4,376億円、純利益3,801億円であった。報告セグメントは4つで、発電と小売を担うエネルギー事業が売上3兆2,614億円と全体の8割を占めるものの、セグメント利益3,774億円に対する利益率は11.6%にとどまる。これに対しオプテージを中心とする情報通信事業は売上2,222億円で利益471億円、不動産開発を含む生活・ビジネスソリューション事業は売上1,868億円で利益390億円と、いずれも利益率は20%を超える。2023年10月に原子力7基体制へ戻して得た資金を、森望社長は10年で1兆円超のデータセンター開発へ充当している。
競合
原発を何基動かせたかが、そのまま各社の回復の速さを分けた。関西電力は2015年から2023年にかけて美浜3号機・高浜1〜4号機・大飯3〜4号機の計7基を再稼働させ、電力大手で最多の稼働基数へ戻した。同じ時期に中部電力は東海地震の想定震源域に立つ浜岡の再稼働を待てず、火力を東京電力との合弁へ移管して発電の外側へ移った。東北電力は被災した女川2号機の再稼働まで13年8カ月を要し、その間の燃料費を料金値上げで賄っている。ただし原子力を最も深く保有したことは固有の負担も伴い、2004年の死傷事故は全原発の停止を、2019年の金品受領問題は取締役会の作り替えを招いて、他社の経験しない停止と統治の代償を関西電力だけが引き受けた。
関西電力:長期業績の推移(売上高・利益率)売上高(億円純利益率(%)
1997年3月期2026年3月期

設立ストーリー 電気事業再編成による発足と黒部川第四発電所の建設 (1951年〜)

電気事業再編成が生んだ関西の一社

1951年5月1日、電気事業再編成令にもとづき、日本発送電と九つの配電会社が解散し[1]、発送配電を一貫して営む9社が発足した。関西電力はその一社として、日本発送電から8億4000万円、関西配電から8億5000万円の現物出資[2]を受け、資本金16億9000万円をもって設立[3]された。発足時の発電設備は水力113万kWと火力115万kWの合計228万kW[4]、年間販売電力量は5655百万kWh、年度末の契約口数は268万3000口[5]だった。会長には堀新氏、社長には太田垣士郎氏が就き[6]、本社を大阪市北区梅ケ枝町に置いた[7]。同年7月に大阪証券取引所、8月に東京証券取引所へ株式を上場[8]し、額面500円の株式338万株のうち関西配電分が170万株、日本発送電分が168万株[9]を占めた。

  • 証券 1951年10(24)
    • [1]1951年5月1日 電気事業再編成令により日本発送電と9配電会社が解散、発送配電一貫の9社が発足
    • [2]設立時の現物出資 日本発送電8億4000万円・関西配電8億5000万円
    • [6]設立時の会長 堀新・社長 太田垣士郎
    • [9]上場株式338万株(額面500円)、関西配電分170万株・日本発送電分168万株
  • 関西電力 有価証券報告書【沿革】
    • [3]設立時資本金 16億9000万円
    • [4]設立当初の発電設備 水力1,130,126kW・火力1,153,580kW・合計2,283,706kW
    • [5]設立当初の年間販売電力量5,655百万kWh・年度末契約口数2,683千口
    • [7]設立時の本社 大阪市北区梅ヶ枝町
    • [8]1951年7月 大阪証券取引所上場、1951年8月 東京証券取引所上場

発足直後の関西電力が抱えた課題は需要の伸びに供給が追いつかないことで、管内の電力需要は年10%程度の増加が続いていた[10]。1951年度から1953年度までの3年間で水力65万kW・火力32万kWの合計97万kWを開発する計画[11]を立てても、平水年で年30億kWh以上の不足が残る[12]見通しだった。1951年、関西電力は公益事業委員会へ料金の改定を申請し、定額電灯40%、従量電灯26%、大口電灯31%の引き上げ[13]が認められた。申請の理由には物件費と人件費の上昇、需要増にともなう修繕費の増加[14]、減価償却費の増加が挙げられている。その後は合理化で原価の上昇を吸収し、1954年10月から1968年まで料金を改定しなかった[15]

  • 証券 1951年10(24)
    • [10]関西電力の電力需要量は年約10%増加の趨勢
    • [11]1951〜53年度の電源開発計画 水力65万kW・火力32万kW・計97万kW
    • [12]計画達成後も平水年で毎年30億kWh時以上の電力量が不足
    • [13]1951年の料金改定率 定額電灯40%・従量電灯26%・大口電灯31%
    • [14]値上げ理由=物件費・人件費の値上り、需要増に伴う修繕費の増嵩、減価償却金の増加
  • 『企業の歴史 : 明治百年』(経済春秋社, 1968)「関西電力」の項
    • [15]昭和29年(1954年)10月以来料金を改訂せず、1968年時点で全国最安の料金水準
  • 証券 1951年10(24)
    • [1]1951年5月1日 電気事業再編成令により日本発送電と9配電会社が解散、発送配電一貫の9社が発足
    • [2]設立時の現物出資 日本発送電8億4000万円・関西配電8億5000万円
    • [6]設立時の会長 堀新・社長 太田垣士郎
    • [9]上場株式338万株(額面500円)、関西配電分170万株・日本発送電分168万株
    • [10]関西電力の電力需要量は年約10%増加の趨勢
    • [11]1951〜53年度の電源開発計画 水力65万kW・火力32万kW・計97万kW
    • [12]計画達成後も平水年で毎年30億kWh時以上の電力量が不足
    • [13]1951年の料金改定率 定額電灯40%・従量電灯26%・大口電灯31%
    • [14]値上げ理由=物件費・人件費の値上り、需要増に伴う修繕費の増嵩、減価償却金の増加
  • 関西電力 有価証券報告書【沿革】
    • [3]設立時資本金 16億9000万円
    • [4]設立当初の発電設備 水力1,130,126kW・火力1,153,580kW・合計2,283,706kW
    • [5]設立当初の年間販売電力量5,655百万kWh・年度末契約口数2,683千口
    • [7]設立時の本社 大阪市北区梅ヶ枝町
    • [8]1951年7月 大阪証券取引所上場、1951年8月 東京証券取引所上場
  • 『企業の歴史 : 明治百年』(経済春秋社, 1968)「関西電力」の項
    • [15]昭和29年(1954年)10月以来料金を改訂せず、1968年時点で全国最安の料金水準

破砕帯に阻まれた黒部川第四発電所の工事

1950年代のなかばには全国で水力開発が最盛期を迎え、佐久間、田子倉、御母衣、奥只見といった[16]大規模地点が相次いで工事に入っていた。黒部川の電源開発は北陸電力・電源開発・関西電力の三社が計画しており[17]、1956年5月に電源開発調整審議会が事業主体を関西電力と決め[18]、同社は6月に出力25万8000kWの黒部川第四発電所[19]の計画を発表した。7月には長野県大町に建設事務所を開き[20]、工区ごとに特命で工事契約を結んだ。大町から赤沢岳を貫きダムサイトへ至る第三工区は熊谷組、[21]高さ182m・堤頂長526mのアーチダム本体は間組[22]、地下150mの発電所は大成建設が請け負い、鹿島建設・佐藤工業・清水建設なども工区を分担した。

  • 日本産業史 第2巻 建設・不動産(日本経済新聞社、1994年)「建設-巨大工事にいどむ」
    • [16]1950年代半ばは佐久間・田子倉・御母衣・奥只見が工事中で水力電源開発がピーク
    • [17]黒部の電源開発を北陸電力・電源開発・関西電力の三社が企画
    • [18]1956年5月 電源開発調整審議会が黒部第四の事業主体を関西電力に決定、6月に関電が発表
    • [19]黒部第四発電所の出力25.8万kW
    • [20]1956年7月 長野県大町に建設事務所を開設し特命で工事契約
    • [21]第三工区大町ルート=熊谷組、アーチダム本体(高さ182m・堤頂長526m)=間組、地下150mの発電所=大成建設、他に鹿島建設・佐藤工業・清水建設
    • [22]アーチダム本体 高さ182メートル・堤頂長526メートル

工事は大町ルートで80mにおよぶ破砕帯に突き当たり[23]、ダム地点では第7号台風、黒部ルートと地下発電所では高熱と高湿に見舞われた。28トンダンプ、ドリルジャンボー、ロッカーショベル、長大ベルトコンベヤー[24]といった大型の機械設備を編成して難所を抜き、工費は当初の370億円から500億円あまりへ膨らんだ[25]。竣工式は1963年6月に行われ[26]、佐久間と黒部第四に代表される大工事を通じて日本の土木事業では機械の導入が本格化した[27]。黒部第四の工事が進んだ時期は産業設備投資の波が全国をおおった時期[28]にもあたる。関西電力は水力の開発と並行して大容量の新鋭火力の建設にも力を入れた[29]

  • 日本産業史 第2巻 建設・不動産(日本経済新聞社、1994年)「建設-巨大工事にいどむ」
    • [23]大町ルートの80mに及ぶ破砕帯、ダム地点の第7号台風、黒部ルートと地下発電所の高熱・高湿
    • [24]28トンダンプ・ドリルジャンボー・ロッカーショベル・長大ベルトコンベヤーなど大規模機械設備の編成
    • [25]黒部第四の工費 当初370億円の予定を超過し500億円余
    • [26]1963年6月 黒部第四の竣工式
    • [27]佐久間・黒部に代表される大土木工事を通じ土木事業への機械導入が本格化
    • [28]黒部第四の工事期間は産業設備投資の波が全国をおおった時期
  • 『企業の歴史 : 明治百年』(経済春秋社, 1968)「関西電力」の項
    • [29]水力電源の開発とあわせ大容量新鋭火力の建設にも注力
  • 日本産業史 第2巻 建設・不動産(日本経済新聞社、1994年)「建設-巨大工事にいどむ」
    • [16]1950年代半ばは佐久間・田子倉・御母衣・奥只見が工事中で水力電源開発がピーク
    • [17]黒部の電源開発を北陸電力・電源開発・関西電力の三社が企画
    • [18]1956年5月 電源開発調整審議会が黒部第四の事業主体を関西電力に決定、6月に関電が発表
    • [19]黒部第四発電所の出力25.8万kW
    • [20]1956年7月 長野県大町に建設事務所を開設し特命で工事契約
    • [21]第三工区大町ルート=熊谷組、アーチダム本体(高さ182m・堤頂長526m)=間組、地下150mの発電所=大成建設、他に鹿島建設・佐藤工業・清水建設
    • [22]アーチダム本体 高さ182メートル・堤頂長526メートル
    • [23]大町ルートの80mに及ぶ破砕帯、ダム地点の第7号台風、黒部ルートと地下発電所の高熱・高湿
    • [24]28トンダンプ・ドリルジャンボー・ロッカーショベル・長大ベルトコンベヤーなど大規模機械設備の編成
    • [25]黒部第四の工費 当初370億円の予定を超過し500億円余
    • [26]1963年6月 黒部第四の竣工式
    • [27]佐久間・黒部に代表される大土木工事を通じ土木事業への機械導入が本格化
    • [28]黒部第四の工事期間は産業設備投資の波が全国をおおった時期
  • 『企業の歴史 : 明治百年』(経済春秋社, 1968)「関西電力」の項
    • [29]水力電源の開発とあわせ大容量新鋭火力の建設にも注力

美浜1号機の着工と若狭湾への集中立地

1966年12月、関西電力は福井県美浜町で加圧水型軽水炉の美浜発電所1号機(出力34万kW)[30]の建設に着手した。同じ月に東京電力も福島1号機(沸騰水型46万kW)に着工[31]しており、運転開始は美浜1号機が1970年11月、福島1号機が1971年3月[32]だった。炉の型式は分かれ、関西電力は米ウェスチングハウス社の加圧水型を導入した[33]。核燃料の確保も課題となり、1967年12月にカナダのデニソン・マインズ社と、翌1968年1月にリオ・アルゴム社と[34]、関西電力を含む電力8社がウラン精鉱の長期購入契約に調印した。デニソン社とは1969年から10年間で1万500ショートトン[35]、リオ社とは同じ期間に5160ショートトンの八三酸化ウランを購入する内容だった。

  • 日本産業史 第3巻 エネルギー・資源(日本経済新聞社、1994年)「原発時代の幕開けと脱石油への模索」
    • [30]1966年12月 関西電力が美浜1号(PWR・34万kW)に着工
    • [31]1966年12月 東京電力が福島1号(BWR・46万kW)に着工
    • [32]美浜1号は1970年11月、福島1号は1971年3月に運転開始
    • [34]1967年12月 加デニソン・マインズ社、1968年1月 加リオ・アルゴム社と電力8社がウラン精鉱長期購入契約に調印
    • [35]デニソン社と1969年から10年間で1万500ショート・トン、リオ社と同期間に5160ショート・トンの八三酸化ウラン
  • 日経ビジネス 1973年9月3日号
    • [33]関西電力が導入したのはウェスチングハウス社の加圧水型炉

1973年の時点で関西電力は既設分を含む566万8000kWの原子力発電計画[36]を決めており、これは東京電力とほぼ同じ規模だった。火力から一気に原子力へ移す構想は、その間をつなぐ電源の確保という難題[37]を残した。新規立地も難航し、那智勝浦原子力発電所(和歌山県)などの計画が地元の反対で進まなかった[38]。導入した加圧水型炉は故障が続き[39]、美浜1号機は運転開始から2年たたずに止まった[40]。単一の出力としては最大で最新鋭だった海南火力3号機も試運転中に爆発した[41]。原子力発電所は建設に5年以上かかり、2年足らずで済む火力[42]に比べて資金の負担が重かった。

  • 日経ビジネス 1973年9月3日号
    • [36]1973年時点で合計566万8000キロワットの原子力発電計画(既設分含む)、東電とほぼ同じ開発規模
    • [37]火力から一気に原子力への移行を狙ったため「つなぎ」の電源に苦慮
    • [38]那智勝浦原子力発電所(和歌山県)など新規立地が困難
    • [39]導入したウエスチングハウス社の加圧水型炉が故障続き
    • [42]原発の建設期間は5年以上、火力は2年足らず
  • 日経ビジネス 1973年8月6日号
    • [40]美浜原子力発電所1号機が導入後2年も経たずに故障
    • [41]単一出力としては最大・最新鋭の海南火力3号機が試運転中に爆発
  • 日本産業史 第3巻 エネルギー・資源(日本経済新聞社、1994年)「原発時代の幕開けと脱石油への模索」
    • [30]1966年12月 関西電力が美浜1号(PWR・34万kW)に着工
    • [31]1966年12月 東京電力が福島1号(BWR・46万kW)に着工
    • [32]美浜1号は1970年11月、福島1号は1971年3月に運転開始
    • [34]1967年12月 加デニソン・マインズ社、1968年1月 加リオ・アルゴム社と電力8社がウラン精鉱長期購入契約に調印
    • [35]デニソン社と1969年から10年間で1万500ショート・トン、リオ社と同期間に5160ショート・トンの八三酸化ウラン
  • 日経ビジネス 1973年9月3日号
    • [33]関西電力が導入したのはウェスチングハウス社の加圧水型炉
    • [36]1973年時点で合計566万8000キロワットの原子力発電計画(既設分含む)、東電とほぼ同じ開発規模
    • [37]火力から一気に原子力への移行を狙ったため「つなぎ」の電源に苦慮
    • [38]那智勝浦原子力発電所(和歌山県)など新規立地が困難
    • [39]導入したウエスチングハウス社の加圧水型炉が故障続き
    • [42]原発の建設期間は5年以上、火力は2年足らず
  • 日経ビジネス 1973年8月6日号
    • [40]美浜原子力発電所1号機が導入後2年も経たずに故障
    • [41]単一出力としては最大・最新鋭の海南火力3号機が試運転中に爆発

1973年の電力危機と料金据え置きの代償

1973年の夏、関西電力の管内では大口需要家に使用電力量を平均20%削減させるピークカットが[43]9回発令された。前年の1972年は1回もかからなかった[44]。光化学スモッグ予報の発生と同時に15〜20%の節電を自主的に実施するよう[45]、通商産業省の大阪通商産業局が行政指導に踏み切った。兵庫県などの自治体も発電所の燃料消費量を落とすよう強く求めた[46]。事務所の照明や冷房を切る程度では足りず、鉄鋼や化学のメーカーは増産指令を受けながら生産ラインの一部を止めた[47]。関西電力は6月20日、電灯料金を平均15.8%、電力料金を平均35.2%引き上げる[48]第1次の値上げ案を通商産業省へ申請した。

  • 日経ビジネス 1973年9月3日号
    • [43]1973年夏 関電管内でピークカットが9回強制、大口需要家は使用電力量を平均20%削減
    • [44]1972年の夏はピークカットが1回もかからず
    • [45]光化学スモッグ予報発生と同時に15〜20%の節電を自主実施するよう大阪通産局が行政指導
    • [46]兵庫県など自治体が発電所の燃料消費量削減を強く要求
    • [47]鉄鋼・化学メーカーは大増産指令を受けながら生産ラインを一部休止
    • [48]1973年6月20日 電灯料金平均15.8%・電力料金平均35.2%の第1次値上げ案を通産省に申請

値上げに至るまでの19年間、関西電力は料金を据え置いていた[49]。同じ期間に1961年の改定を実施した東京電力[50]とは対照的で、初代社長の太田垣士郎氏が掲げた『電力事業は地域独占を許されているだけに、特に経営合理化に努める必要がある』[引用元]という方針が、芦原義重氏、吉村清三氏へと引き継がれた[51]結果だった。1966年度末の自己資本比率は東京電力の26.9%に対し関西電力が38.5%[52]と、10ポイント以上の差がついた。設備投資額は1968年度の1057億円から1972年度には2954億円へ増え[53]、東京電力の3153億円に迫った。売上高は1921億円で東京電力の3315億円を下回っており[54]、経営規模に比べれば投資の負担は重かった。

  • 日経ビジネス 1973年9月3日号
    • [49]関西電力は19年間値上げせず、東京電力はこの間の1961年(昭和36年)に値上げ
    • [50]東京電力は1961年に値上げを実施
    • [51]太田垣士郎の方針「電力事業は地域独占を許されているだけに、特に経営合理化に努める必要がある」が芦原義重・吉村清三へ継承
    • [52]1966年度末の自己資本比率 東電26.9%・関電38.5%
    • [53]設備投資額 1968年度1057億円→1972年度2954億円、東電の1972年度は3153億円
    • [54]1972年度売上高 関電1921.3億円・東電3315.7億円、経営規模に比べ関電の設備投資額は多い

電源の立地は関西電力にとって最も重い制約[55]となった。管内の需要地は大阪湾から瀬戸内海沿岸に集まり、臨海の火力発電所と近接していたため、[56]送電設備の負担も送電ロスも小さく済んでいた。しかし公害問題が強まると人口の集積地で火力発電所を新増設することは難しくなり、遠隔地へ移そうにも残る海岸線の大半は国立公園か国定公園[57]だった。大阪府の多奈川第二火力の新設計画では黒田知事や住民と対立し、京都府では新宮津火力の立地をめぐって1965年から蜷川知事の同意が得られなかった[58]。1973年8月には三菱重工業や日立製作所などのボイラーメーカーへ、[59]窒素酸化物の除去率を明示して保証する念書の提出を求める方針を決め、1974年度中に管内の全火力発電所でボイラーを改造して[60]排出量を1970年度比で40〜50%削減する計画を各自治体へ伝えた。

  • 日経ビジネス 1973年9月3日号
    • [55]深刻な電源立地難が関電の制約
    • [56]需要地が大阪湾・瀬戸内海沿岸の阪神メガロポリス地帯に集積し臨海火力と近接、送電設備負担と送電ロスが小さい
    • [57]公害問題で既存人口集積地の火力発電所の新増設が困難、遠隔立地しようにも残る海岸線の大半が国立公園・国定公園
    • [58]多奈川第二火力の新設計画で黒田大阪府知事・住民と対立、新宮津火力は1965年(昭和40年)から蜷川京都府知事に拒まれる
  • 日経ビジネス 1973年8月6日号
    • [59]1973年8月 三菱重工業・日立製作所など大手ボイラーメーカーにNOx除去率の明示と保証念書の提出を要求
    • [60]1974年度(49年度)中に管内全火力発電所のボイラー改造を実施しNOx排出量を1970年度(45年度)比40〜50%削減、新設ボイラーは60%以上削減
  • 日経ビジネス 1973年9月3日号
    • [43]1973年夏 関電管内でピークカットが9回強制、大口需要家は使用電力量を平均20%削減
    • [44]1972年の夏はピークカットが1回もかからず
    • [45]光化学スモッグ予報発生と同時に15〜20%の節電を自主実施するよう大阪通産局が行政指導
    • [46]兵庫県など自治体が発電所の燃料消費量削減を強く要求
    • [47]鉄鋼・化学メーカーは大増産指令を受けながら生産ラインを一部休止
    • [48]1973年6月20日 電灯料金平均15.8%・電力料金平均35.2%の第1次値上げ案を通産省に申請
    • [49]関西電力は19年間値上げせず、東京電力はこの間の1961年(昭和36年)に値上げ
    • [50]東京電力は1961年に値上げを実施
    • [51]太田垣士郎の方針「電力事業は地域独占を許されているだけに、特に経営合理化に努める必要がある」が芦原義重・吉村清三へ継承
    • [52]1966年度末の自己資本比率 東電26.9%・関電38.5%
    • [53]設備投資額 1968年度1057億円→1972年度2954億円、東電の1972年度は3153億円
    • [54]1972年度売上高 関電1921.3億円・東電3315.7億円、経営規模に比べ関電の設備投資額は多い
    • [55]深刻な電源立地難が関電の制約
    • [56]需要地が大阪湾・瀬戸内海沿岸の阪神メガロポリス地帯に集積し臨海火力と近接、送電設備負担と送電ロスが小さい
    • [57]公害問題で既存人口集積地の火力発電所の新増設が困難、遠隔立地しようにも残る海岸線の大半が国立公園・国定公園
    • [58]多奈川第二火力の新設計画で黒田大阪府知事・住民と対立、新宮津火力は1965年(昭和40年)から蜷川京都府知事に拒まれる
  • 日経ビジネス 1973年8月6日号
    • [59]1973年8月 三菱重工業・日立製作所など大手ボイラーメーカーにNOx除去率の明示と保証念書の提出を要求
    • [60]1974年度(49年度)中に管内全火力発電所のボイラー改造を実施しNOx排出量を1970年度(45年度)比40〜50%削減、新設ボイラーは60%以上削減

安全規制の強化と核燃料サイクルの立地

1979年3月に米国のスリーマイル島原子力発電所で起きた事故[61]は、日本の規制にも波及した。原子力安全委員会は4月14日、稼働中だった関西電力の大飯発電所1号機[62](加圧水型117万5000kW)[63]の運転を止め、非常用炉心冷却装置の安全解析を実施するという異例の措置をとった。解析の結果は問題なしとされ、大飯1号機は6月に運転を再開した[64]。他の加圧水型7基についても、非常用炉心冷却装置に新たな回路を設ければ[65]安全を確保できるという結論となった。

  • 日本産業史 第3巻 エネルギー・資源(日本経済新聞社、1994年)「大きかった石油ショックの後遺症」
    • [61]1979年3月 米スリーマイル島原発事故
    • [62]1979年4月14日 原子力安全委員会が関西電力・大飯原発1号(117万5000kW・PWR)の運転を止めECCSの安全解析を実施する異例の措置
    • [63]大飯1号機の出力117万5000キロワット・加圧水型
    • [64]大飯1号は問題なしとされ1979年6月に運転再開
    • [65]他のPWR7基はECCSに新たな回路を設ければ安全が確保できるとの結論

使用済み核燃料の処理は電力業界に共通する課題となり、1984年6月末に電気事業連合会の会長となった関西電力社長の小林庄一郎[66]は、7月に青森県と六ヶ所村へ再処理・ウラン濃縮・低レベル廃棄物貯蔵の3施設の立地[67]を正式に申し入れた。再処理施設は年間処理能力8000トン・ウランで建設費約7000億円[68]、ウラン濃縮施設は年間1500トンSWU程度で約1600億円[69]、低レベル廃棄物貯蔵施設はドラム缶約300万本相当を貯蔵する計画だった。青森県と六ヶ所村は1985年4月に立地の受け入れを電気事業連合会へ正式に伝えた[70]

  • 日本産業史 第3巻 エネルギー・資源(日本経済新聞社、1994年)「大きかった石油ショックの後遺症」
    • [66]1984年6月末 平岩外四の後任として関西電力社長の小林庄一郎が電気事業連合会会長に就任、7月に青森県・六ヶ所村へ核燃料3施設の立地を正式申し入れ
    • [67]申し入れた施設は再処理・ウラン濃縮・低レベル廃棄物貯蔵の3施設
    • [68]再処理施設は年間処理能力8000トン・ウラン、建設費約7000億円
    • [69]濃縮施設は年間1500トンSWU程度・建設費約1600億円、低レベル廃棄物貯蔵施設はドラム缶約300万本相当
    • [70]青森県と六ヶ所村は1985年(昭和60年)4月に立地受入れを電事連へ正式に伝達
  • 日本産業史 第3巻 エネルギー・資源(日本経済新聞社、1994年)「大きかった石油ショックの後遺症」
    • [61]1979年3月 米スリーマイル島原発事故
    • [62]1979年4月14日 原子力安全委員会が関西電力・大飯原発1号(117万5000kW・PWR)の運転を止めECCSの安全解析を実施する異例の措置
    • [63]大飯1号機の出力117万5000キロワット・加圧水型
    • [64]大飯1号は問題なしとされ1979年6月に運転再開
    • [65]他のPWR7基はECCSに新たな回路を設ければ安全が確保できるとの結論
    • [66]1984年6月末 平岩外四の後任として関西電力社長の小林庄一郎が電気事業連合会会長に就任、7月に青森県・六ヶ所村へ核燃料3施設の立地を正式申し入れ
    • [67]申し入れた施設は再処理・ウラン濃縮・低レベル廃棄物貯蔵の3施設
    • [68]再処理施設は年間処理能力8000トン・ウラン、建設費約7000億円
    • [69]濃縮施設は年間1500トンSWU程度・建設費約1600億円、低レベル廃棄物貯蔵施設はドラム缶約300万本相当
    • [70]青森県と六ヶ所村は1985年(昭和60年)4月に立地受入れを電事連へ正式に伝達

API for AI Agents — 認証不要、URLをGETするだけで機械可読なJSONをトークン消費を抑えつつ取得できます。

関西電力の沿革1951〜2026年における主な出来事を抜粋

時代年月社長・CEO出来事重要度
1951〜1963年電気事業再編成による発足と黒部川第四発電所の建設太田垣士郎電気料金の引き上げが認可★★
太田垣士郎電気事業再編成令により発足★★★
太田垣士郎太田垣士郎氏が社長に就任
太田垣士郎本社を開設
太田垣士郎大阪証券取引所に上場
太田垣士郎東京証券取引所に上場
太田垣士郎電気料金を改定
太田垣士郎黒部川第四発電所の事業主体に決定★★
太田垣士郎黒部川第四発電所の新設工事に着手
太田垣士郎原子力部を設置★★
太田垣士郎大町トンネルの掘削で断層破砕帯に直面
芦原義重火力設備の出力が水力設備を上回る★★
芦原義重黒部川第四発電所が竣工★★
1964〜1990年原子力への傾斜と料金据え置きが残した代償芦原義重美浜発電所1号機の建設に着手★★
芦原義重ウラン精鉱の長期購入契約に調印
吉村清三美浜発電所1号機が営業運転を開始★★★
吉村清三大口需要家へのピークカットを9回発令★★
吉村清三電灯15.8%・電力35.2%の値上げを申請★★★
吉村清三ボイラーメーカーに窒素酸化物除去率の保証を要求
森岡俊男美浜発電所3号機の運転を開始
小林庄一郎大飯発電所1号機の運転を停止★★
小林庄一郎姫路LNG施設が営業運転を開始
小林庄一郎核燃料サイクル3施設の立地を申し入れ★★
森井清二森井清二氏が社長に就任
森井清二芦原義重氏を取締役から解任★★
森井清二関西通信設備サービスを設立
1991〜2010年美浜で起きた二度の原子力事故と自由化への対応森井清二美浜2号機の細管破断事故と自主保安体制の立て直し

1991年2月9日、関西電力の美浜発電所2号機で蒸気発生器の伝熱管が破断し、非常用炉心冷却装置(ECCS)が作動した。国内の商用原発で初めてECCSが働いた大規模事故であった。事故原因の調査を陣頭指揮した森井清二社長は、これを技術への過信が招いた『人災』と総括し、原因究明に区切りをつけた同年11月に社長を退いた。

詳細を読む
★★★
秋山喜久秋山喜久氏が社長に就任
秋山喜久社長が原子力本部長を兼ねる制度に改正★★
秋山喜久阪神・淡路大震災の被災地で応急送電が完了★★
秋山喜久初めて電気卸の入札を実施★★
石川博志ケイ・オプティコムを設立★★
石川博志電力の小売部分自由化が開始★★
石川博志関電ガス・アンド・コージェネレーションを設立
藤洋作藤洋作氏が社長に就任
藤洋作「エコキュート」を開発★★
藤洋作美浜3号機配管破損事故と全原発停止・サポート子会社の再編

2004年8月9日、関西電力の美浜発電所3号機で2次系配管が破損し、高温の2次冷却水を浴びた協力会社の作業員5名が死亡、6名が負傷した。破損箇所は1976年の運転開始から28年間、点検リストから漏れたまま放置されていた。関西電力は保有する全11基の原発を順次停止して総点検し、事故対応の過程で安全管理を担うサポート子会社26社を専門分野別の11社へ再編した。

詳細を読む
★★★
藤洋作保有する原子力発電所11基を順次停止して点検★★
藤洋作子会社26社を専門分野別11社に再編
藤洋作原子力安全・保安院の調査委員会が最終報告書を公表★★
森詳介森詳介氏が社長に就任
森詳介初の経常赤字を計上★★
森詳介八木誠氏が社長に就任
2011〜2026年東日本大震災後の4期連続赤字と信用の立て直し八木誠原子力の停止により過去最大の経常赤字を計上★★
八木誠BPと15年間のLNG購入で基本合意★★
八木誠電気料金を平均9.75%値上げ★★
八木誠岩根茂樹氏が社長に就任
八木誠高浜発電所3・4号機が再稼働★★
八木誠大津地裁の仮処分により高浜発電所3号機を停止★★
八木誠5期ぶりに経常黒字を回復
八木誠電力の小売全面自由化が開始★★
岩根茂樹大阪ガスの一般料金を下回るガス料金プランを発表★★
岩根茂樹役員らの金品受領問題の露見と、第三者委員会設置・指名委員会等設置会社移行によるガバナンス再建

2019年9月、関西電力の役員ら20人が、高浜原子力発電所を擁する福井県高浜町の森山栄治元助役から7年間で約3億2000万円分の金品を受け取っていた問題が露見した。岩根茂樹社長は当初『不適切だが違法ではない』と収拾を図ったが批判が噴き、10月に八木誠会長・岩根社長ら6人が辞任、第三者委員会が設置された。

詳細を読む
★★★
岩根茂樹八木誠氏と岩根茂樹氏ら6人が辞任★★
岩根茂樹「ゼロカーボンビジョン2050」を策定
森本孝森本孝氏が社長に就任
森本孝第三者委員会が金品受領の事実を認定★★
森本孝経済産業省から業務改善命令★★
森本孝関西電力送配電を分社化★★
森本孝指名委員会等設置会社に移行★★
森本孝公正取引委員会の立入検査★★
森望森望氏が社長に就任
森望新電力の顧客情報の不正閲覧が発覚★★
森望原子力プラント7基体制を実現★★
森望過去最高益を計上
森望姫路第二発電所で混焼率30%の水素発電を達成
森望「関西電力グループ 経営計画2026」を策定★★
出典・参考
  • 関西電力 有価証券報告書【沿革】
  • 『企業の歴史 : 明治百年』(経済春秋社, 1968)「関西電力」の項
  • 日本産業史 第2巻 建設・不動産(日本経済新聞社、1994年)「建設-巨大工事にいどむ」
  • 日本産業史 第3巻 エネルギー・資源(日本経済新聞社、1994年)「原発時代の幕開けと脱石油への模索」
  • 日本産業史 第3巻 エネルギー・資源(日本経済新聞社、1994年)「大きかった石油ショックの後遺症」
  • 日経ビジネス 1973年9月3日号
  • 日経ビジネス 1973年8月6日号
  • 証券 1951年10(24)

免責事項およびポリシー