美浜2号機の細管破断事故(1991年・関西電力の決断)

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論点 原発の自主保安体制と経営の関与
売上高(億円)経常利益率(%)
事故を受けた自主保安体制の立て直し

事故を受けた自主保安体制の立て直し

概要

1991年2月9日、関西電力の美浜発電所2号機で蒸気発生器の伝熱管が破断し、非常用炉心冷却装置(ECCS)が作動した。国内の商用原発で初めてECCSが働いた大規模事故であった。

背景

事故の原因は、放射性物質を含む1次冷却水を通す配管の一部である伝熱管にあった。管の振動を抑えるための金具(振れ止め金具)が、本来の位置から外れて取り付けられていたのである。美浜2号機は最初の国産原発で、製造から20年以上が経過しており、なぜ設計図どおりに施工されなかったのかを裏づける記録も残っていなかった。組み立てを終えると金具の状態は外部から確認できなくなり、定期検査でもこのずれは見過ごされてきた。

内容

森井清二氏(社長)は自主保安体制を強化するため、社長が原子力本部長を兼ねる制度に改め、2万5000人の全社員に原発の安全維持を最重点目標と意識させた。社長室品質監査部に原子力監査プロジェクトチームを置き、事故の人的要因を研究する原子力安全システム研究所を社外に設けた。住民への通報の遅れも反省し、ファクスやポケベルによる緊急通報の仕組みを構築した。

含意

後任の秋山喜久社長も原子力本部長を兼任し、信頼回復を自ら指揮した。もっとも、13年後の2004年に美浜3号機で検査漏れによる死亡事故が起き、自主保安の徹底という課題は繰り返し問い直されていった。

いつ何が起きたか 5件
筆者の見解 過信を戒めた総括の射程
筆者の見解

過信を戒めた総括の射程

この判断が際立つのは、事故の原因を機器の不具合や下請けの施工不良だけに求めず、『絶対にあるはずがない』と思い込む技術への過信という、組織の心のありようにまで踏み込んで総括した点にある。社長が原子力本部長を兼ねる制度、社外に置いた安全研究所、全社員に安全を最重点と意識させる仕掛け——いずれも、安全の責任を現場任せにせず経営の中枢に引き寄せようとする試みであったと思われる。トップ自身が誌上で『人災』と認めた率直さには、事故を組織として引き受けようとする構えがうかがえる。

それでも、過信を戒める言葉が組織の隅々に根づいたかどうかは、13年後の2004年に美浜3号機で起きた検査漏れの死亡事故が改めて問い直した。1991年に掲げた自主保安の徹底が、コスト効率を追う時代の圧力のなかで再びほころびを見せたとすれば、この総括はどこまで実を結んだのかという問いが残る。安全を経営の中枢に置く仕組みを構築することと、その仕組みが年月を経ても働き続けることとの間には、なお隔たりがあったのだろう。

Yutaka Sugiura, 2026年7月

参考文献
出典・参考
  • 日経ビジネス 1992年1月20日号
  • 日経ビジネス 1992年5月25日号

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