芦原義重

関西電力・元取締役社長

Ashihara Yoshishige(敬称略)

更新:
社長就任 1959年11月
生年月日 —
学歴 京都帝国大学工学部
出自 —
社長就任までの出自
出自

1901年に香川県で生まれ、1924年に京都帝国大学工学部を卒業して阪神急行電鉄に入社した。1946年11月に関西配電の取締役、同年11月に常務取締役、1950年11月に同社の副社長へ進んだ。1951年5月の電力再編成で関西配電を辞任し、同月に関西電力の常務取締役となり、1958年5月に取締役副社長へ就任した。1961年5月には工学博士の学位を得ている。配電会社の時代から技術畑を歩いた経歴である。

社長に選ばれた経緯
抜擢

1959年11月、太田垣士郎氏の後を継いで社長に就任した。太田垣氏は1951年5月の創立から社長を務め、1956年5月に黒部川第四発電所の事業主体となる決定を受けて同年7月に工事へ着手していた。工事は1957年5月に大町トンネルで断層破砕帯に突き当たり、同年12月に突破したばかりだった。難工事のさなかに、技術畑の副社長へ社長を渡す交代だったとみられる。

在任中の主な施策
施策

黒部川第四発電所は1963年6月に竣工し、工費は500億円余に達した。1961年3月には火力設備の出力が水力設備を上回った。原子力では1957年に原子力部を置き、1966年12月に米ウェスチングハウスから加圧水型軽水炉を導入して美浜発電所1号機(出力34万kW)の建設へ着手した。美浜1号機は1970年11月に営業運転へ入り、国内の電力会社として初の加圧水型原子力発電所となった。芦原氏は同じ月に会長へ就任した。

在任の評価
評価

執筆予定

経歴 1924〜1970年
在任中の業績
就任前(FY58)683億円
退任時-
変化-
就任前-
退任時-
変化-
参考文献 2件

免責事項およびポリシー